2016年7月13日水曜日

惻隠の情

海外の事を深く知っているわけでは無いが、惻隠の情という相手を思いやる事を良しとする文化は日本の特徴の一つかも知れない。これからグローバル化するにあたって大切なのは、日本文化を脇に置いておく事ではなく、日本文化をしっかり身に着けている事となるため、惻隠の情も日本人としてのアイデンティティとして身に着けても良いかも知れない。スポーツで考えて見よう。

例えば、負けた者には何もやるなという考え方がある。TVの受け売りだが、負けた者に何もやらないからこそ、負けた者はその悔しさが身に染み、将来の勝者となるのだ。だから、負けた者には何も与えない事こそ愛となる。これはTVで放送された話なので、格好良い言葉になっているが、負けたんだから何ももらえないのは当たり前だというのが、一般的と思ってよいだろう。

しかし、日本の惻隠の情という武士道の考え方は違う。江戸時代の相撲では、勝った者が称賛されるのは当然として、負けた者だけを集めて慰労会が開かれたと言う。負けた者によく頑張ったと飯を食わせてやる。そうする事で負けた者をねぎらったのだ。そこで、みんなに支えられていることを力士が感じ、次の相撲で勝つ事を約束するわけだ。(負けたら何も与えないでは無い)

相撲は神事であるから、スポーツとは違うわけだが、日本の特徴的な考え方は伝わると思う。日本は判官びいきが好きと言われるが、それこそが惻隠の情の現れと言えよう。この2つの考え方の違いはどちらが良いという話では無い。単に価値観の違いに過ぎない。だが、グローバル化するにあたって、日本人に求められるのは日本人らしさであるのだから、惻隠の情を身に着けておくほうが良いのでは無いだろうか?考えるキッカケになれば嬉しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿