2016年4月27日水曜日

男の修行

男の修行 山本五十六

苦しい事もあるだろう。


言いたい事もあるだろう。


不満な事もあるだろう。


腹の立つ事もあるだろう。


泣きたい事もあるだろう。


これらにじっとこらえて行くのが男の修行である。




これが山本五十六の男の修行という話だ。共感を得られる部分があるのでは無いだろうか?かの連合艦隊のトップが我慢こそが男を磨くと言っている。自分にもし我慢が必要な事があれば、我慢しているのは相手も同じと思うと良いだろう。理由はどうあれ、歩み寄るには共感が大切だ。次は徳川家康の遺訓だ。



人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。


堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。


以下、略。




歴史的な順序から言えば、徳川家康を山本五十六がリスペクトしたと言うのが筋だが、徳川家康も人生とは我慢の連続だと言っている。天下人すら、その遺訓は我慢なのだし、もし自分に我慢が必要ならば、天下人への切符を手にしたと好意的に解釈するのが恰好良いかも知れない。そう言えば、数年前に他界したが高倉健も、我慢こそが役者の味となる的な事を言ってたように思うし、我慢こそ男を磨く研ぎ石というのは、時代を超えてコンセンサスが取れているのかも知れない。




----- 以下、余談 ----

我慢しているうちは、まだまだ。その事に感謝してこそと言いたい処だが、我慢は必要だよねとなってしまう。山本五十六の言う男の修行の後には、感謝のみという境地が待っているのだろうか?



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