2016年4月12日火曜日

最後まで生き残る者

最後まで生き残る者は何かという話がある。ダーウィンによれば、強い者でも、頭のいい者でもなく、変化に対応出来る者こそが生き残ると言う。変化が激しい現代社会において、ある種の共感を得られそうな意見だと思う。確かに変化に対応できるなら、その者は生存力が強いはずだ。

そして、同じ事をコンピュータにも計算させたそうだ。当初は意思の強い者、力の強い者、お金持ち、最先端を走る者といろいろ予想があったそうだが、コンピュータの出した答えはどれでもなかったとか。コンピュータによれば、譲る事が出来る者こそが生き残ると言う。人間であるダーウィンとコンピュータの違いが興味深い。人工知能と人間の共存がテーマであろう現代において、コンピュータの計算結果とダーウィンの発想の差は意義があるように思う。人間の思いもよらない答えを導きだしてくるコンピュータには驚かされるばかりだ。

譲る者こそが生き残ると言う答えは、自分的にはとても意外な答えだ。しかし、言われてみればそうかも知れない。譲る事が出来るとは、つまりは無害だ。生存競争をするとして、無害な者を攻撃するのは後回しにするだろう。そもそも譲ってくれる人を好意的に思うのならともかく、攻撃しよう何てことは考えない。そうなると、生存競争は譲る事ができる者以外の者の間で行われる可能性が高い。生存競争がいよいよ大詰めともなれば、みんな疲労の極地にあるはずだ。その時、力を温存できてしまった譲る事が出来る者が勝ってしまうというのはあり得る話だ。もしくは、譲る者を攻撃する理由がないから生き残れるという事なのだろう。

さて、私はダーウィンとコンピュータの両方をリスペクトし、変化に対応する努力を怠らず、譲る事が出来る者が生き残ると言っておこう。人工知能と人間の共存のテーマにあった答えのようにも思えるし、あながち間違っていないのでは無いだろうか?21世紀は人間が人工知能より劣っている事を受け入れる時代なんて言われる事もあるが、いち早く人工知能の優秀さを認めて、お互いの良いところを掛け合わせたいものだ。まだ人間だって負けてないという時代の終わりが近い。




-----  以下、余談 -----

変化に対応する努力を怠らず、譲る事が出来る者と言う話で思うのだが、それは日本の事ではないだろうか?世界の経済大国として日本とドイツがある程度の地位を保っていられた理由は、もしかしたらと思う。望む望まざるを得ず、日本とドイツは譲る事が多かったろう。だが、結果としてはそのことが両国を助けた可能性がある。21世紀は変化への対応と、譲る精神が生き残りへのキーワードかも知れない。

0 件のコメント:

コメントを投稿