2016年4月26日火曜日

面白さの境地

立川談志だったと思うが、落語というある種同じ話を繰り返してるだけのものを、プロが話すと何故飽きもせず面白いのかという話がある。彼はそれは間に秘密があると語っていたように思うが、素人である自分にはその本当のところを感じる事は出来ないのだろう。ただ、素人なりに興味をそそられる話なので、自分なりに考えて見る。

自分たちは面白い事を言おうと考えれば、何か面白い事を探そうとする。勿論、その事が間違いではないだろうが、面白さの境地とは全く別ものである可能性を感じた。面白い話をするから面白いのではなく、どんな話をしても面白い。それこそが面白さの究極というイメージが談志の言葉から伝わってくるようだ。落語は面白いように作られたものなので、間が大切という話から、どんな話をしても面白いとするのは飛躍ではある。だが、もし究極の姿と言うものがあるなら、あえてこう言っておきたい。

面白い話を探しているうちはまだまだ。オイラが話せば何でも面白い。




---- 以下、余談 ----

営業の世界でも、商品ではなく自分を売れと言われる事があると思うが、恐らくは上の話と通ずるものがあるだろう。どうやって売ろうかと考えるまでもなく、相手が買いたくなるような人間性にこそ理想がある。綺麗なトークばかりに目がいきがちだが、人間性を磨くならどんな拙いトークでも良いのが実際だろう。



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