2016年4月30日土曜日

言わなくても分かって欲しい

言わなくても分かる。男の世界では、当然に求める域と言うか、それが出来る事が良いとされている。上の者が考えている事を、下の者は察して動ければ、出来る人間という評価をもらえるだろう。男社会では当たり前すぎて疑問を持たないわけだが、しかし、恋愛マニュアル的なものを見ると、この感覚がいけないというから面白い。

女性的な思考では、言わなくても分かるかどうかはさほど重要ではなく、分かっていても口にだして共感を得たいらしいのだ。言わなくても分かる事に美徳を持つ男と、口にだして共感する事に美徳を持つ女の違いが興味深い。男女間では、男が何も言わなくなると、共感を得られなくなった女が愛を感じれなくなったとすれ違いが生じるらしいので、男としては女にとっての共感の重要性を良く把握しておかなければならないとなる。

ただ、恋愛マニュアルをさらに見ていくと、言わなくても分かってもらった時に愛を感じると書いてある。恐らくは自分を良く見ていてくれている事に喜びを感じるのだろうが、あえて口に出して共感を得たいのではなかったのか?女心は分からないとなってしまうが、つまるところ、男は女が言わなくても分かって欲しい時と、共感を求めてる時の両方ある事を知るべきなのだろう。

相手を良く見て気を使い、会話を求めてきたら共感を心がければ良いので、具体的に何をすれば良いかは難しくはないが、この男女のメカニズムの違いは良く把握しておきたいものだ。と言うのも、これからはウーマンリブの時代になり、女性活躍社会がうたわれている。今まで以上に上司が女性という事が増えるわけだから、男社会のルールだけでは乗り切れないかも知れない。男の上司と女の上司では求める部下が変わるだろうから、今まで以上に女性を知る事が男には求められるのだろう。こう言ってはなんだが、仕事のために恋愛マニュアルを読む時代が来るかもしれない。





---- 以下、余談 ----

新人研修は恋愛マニュアルという時代も来るのか?少なくとも男は必読だろう。女にとっては男にあらぬ誤解をしないように読むべきか。男の上司が求める事は恋愛マニュアルに書いてある。



2016年4月29日金曜日

何故上司は怒るのか?

今回は怒られた時の自己コントロールを紹介しよう。人間生きていれば怒られる事もあると言うものだが、その時にプラスにとるか、マイナスにとるかで差がでててくる。叱咤激励の字面通り、怒られるたら励まされているんだと考えられれば一番良いのだが、恐らくそうもいかないだろう。叱られたら負の感情が多少わくものだし、後々考えれば感謝しなければとなっても、叱られた瞬間に感謝とまで行くのは難しい。

でも、それは叱られた時に叱られていると考えるからだ。上司が部下を叱る時は、勿論失敗に対して怒っていることもあるだろうが、実の処、気持の切り替えを強制的にする目的がほとんどだ。人間は自分で気持ちをコントロールするのは難しいため、それを上司がショック療法として叱る。この事を知っているか、知っていないかで怒られた時の気持は大分違うように思う。

上司は自分が憎くて怒っているのでは無い。単に気持ちの切り替えを要求している。そして、怒られた時にすぐ気持ちを切り替えられる人は可愛げのある人となる。本当に気持ちを切り替えられるかどうかは問題じゃない。その姿勢を見せれるかどうかがポイントとなるので、覚えておけば役に立つ事もあるだろう。

怒られた方より、怒るほうが大変なんだと言われる。怒るには怒る理由を探さなければならないし、怒るほうだって気持が荒れてしまう。決して気持良いものでは無い。そこを察したい処だが、怒るほうが何故つらいかの理由を一つ上げておこう。人間は年をとるほど、感情の弾力性がなくなって行く。子供は今泣いたカラスがもう笑うと気持を引きづらないわけだが、大人はそうもいかない。年をとるほどに気持が戻らなくなっていくものなのだ。一度怒ると怒った気持を戻すのに時間がかかり、怒った時だけじゃなく、相当時間不快な思いをする可能性がある。

下の者は怒られた時にショック療法的な気持ちを切り替えるタイミングを与えられるが、それが無い上の者は怒った気持を引きづるわけだ。なぁに、辛いのは自分だけじゃない。上の気持を汲んでやるのも部下の度量というもの。





---- 以下、余談 ----

人は年を取るほど怒らなくなっていく。しかし、年をとるほど気持を引きずるようになる。もしかして、人が年を取るほど怒らなくなっていくのは、生物としての生存本能的何かなのか?怒ると言う不快な感情は生きる上での障害になると。年をとると良い意味で枯れて、そういった事もないのか?枯れれば気持を引きづらないとすれば、一番のネックは中年という事になるか?


2016年4月28日木曜日

勝手に目標を作ろう

例えば、あなたに月1件の新規顧客というノルマが課せられたとしよう。その時、あなたは月2件以上を目標にすると良いという話がある。月1件とろうと思うと1件とれないかも知れないが、2件を目標にすると1件くらいはとれる事が多い。誰かに課せられた目標を達成する時は、課せられた以上の目標を達成しようとすると良いという話。

ノルマを増やせば、普通のやり方じゃ達成できない。結果、達成できるやり方を必死で考えるようになり、与えられたノルマは達成できるというメカニズム。自分で目標を立てているため、楽しく仕事に取り組めるというメリットもある。

テストで60点狙いなら80点目標、80点狙いなら100点目標。ちょい増しが正義だ。

2016年4月27日水曜日

男の修行

男の修行 山本五十六

苦しい事もあるだろう。


言いたい事もあるだろう。


不満な事もあるだろう。


腹の立つ事もあるだろう。


泣きたい事もあるだろう。


これらにじっとこらえて行くのが男の修行である。




これが山本五十六の男の修行という話だ。共感を得られる部分があるのでは無いだろうか?かの連合艦隊のトップが我慢こそが男を磨くと言っている。自分にもし我慢が必要な事があれば、我慢しているのは相手も同じと思うと良いだろう。理由はどうあれ、歩み寄るには共感が大切だ。次は徳川家康の遺訓だ。



人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。


堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。


以下、略。




歴史的な順序から言えば、徳川家康を山本五十六がリスペクトしたと言うのが筋だが、徳川家康も人生とは我慢の連続だと言っている。天下人すら、その遺訓は我慢なのだし、もし自分に我慢が必要ならば、天下人への切符を手にしたと好意的に解釈するのが恰好良いかも知れない。そう言えば、数年前に他界したが高倉健も、我慢こそが役者の味となる的な事を言ってたように思うし、我慢こそ男を磨く研ぎ石というのは、時代を超えてコンセンサスが取れているのかも知れない。




----- 以下、余談 ----

我慢しているうちは、まだまだ。その事に感謝してこそと言いたい処だが、我慢は必要だよねとなってしまう。山本五十六の言う男の修行の後には、感謝のみという境地が待っているのだろうか?



2016年4月26日火曜日

面白さの境地

立川談志だったと思うが、落語というある種同じ話を繰り返してるだけのものを、プロが話すと何故飽きもせず面白いのかという話がある。彼はそれは間に秘密があると語っていたように思うが、素人である自分にはその本当のところを感じる事は出来ないのだろう。ただ、素人なりに興味をそそられる話なので、自分なりに考えて見る。

自分たちは面白い事を言おうと考えれば、何か面白い事を探そうとする。勿論、その事が間違いではないだろうが、面白さの境地とは全く別ものである可能性を感じた。面白い話をするから面白いのではなく、どんな話をしても面白い。それこそが面白さの究極というイメージが談志の言葉から伝わってくるようだ。落語は面白いように作られたものなので、間が大切という話から、どんな話をしても面白いとするのは飛躍ではある。だが、もし究極の姿と言うものがあるなら、あえてこう言っておきたい。

面白い話を探しているうちはまだまだ。オイラが話せば何でも面白い。




---- 以下、余談 ----

営業の世界でも、商品ではなく自分を売れと言われる事があると思うが、恐らくは上の話と通ずるものがあるだろう。どうやって売ろうかと考えるまでもなく、相手が買いたくなるような人間性にこそ理想がある。綺麗なトークばかりに目がいきがちだが、人間性を磨くならどんな拙いトークでも良いのが実際だろう。



2016年4月25日月曜日

布団で寝れるだけで幸せ

中村天風によれば、彼は布団で寝れるだけで幸せと言う。彼は青年時代戦争を経験しており、情報部隊の隊員として道端で何もなしで寝る事が多かったそうだ。それを思えば、布団で寝れるだけでも幸せなんだと、たたんだ布団にありがとうとお辞儀をしていたと言う。それを旅館の女中が見て笑った時に、中村天風がこう説明したという話が残っている。

人は幸せになりたいと考えると、とかく上ばかりを見たがる。例えば、今より高い年収があれば幸せになれるのではないかと言うイメージだ。年収100億の人にいくらあったら幸せになれると思いますか?と聞くと、200億あったら幸せになれる気がすると答えるものだ。しかし、これでは幸せになる事は難しいかも知れない。100億と言う、他の人から見れば十分幸せと感じるであろう年収でありながら、本人は幸せを感じてはいないという事が現実に起きている。欲望に限りがないため、欲望を追いかけているうちは幸せになれないという良い例と思う。彼は200億になったら、幸せには300億必要と考えるに違いないのだ。

では、どうしたら幸せを得られるのか?それは、当たり前の事に感謝することにつきる。今ある日常自体が幸せの連続なんだと考えられれば、その人は幸せになれるのは道理。中村天風が道で布団も無しで寝ていた時代を思って布団に感謝したように、最終的には生きているだけで丸儲けとまで行ければ、最強の幸せ体質だろうと思う。幸せは日常に潜んでおり、それに気づけるかが幸せになれるかどうかの境目と言えよう。

幸せは、当たり前に感謝できるかにかかっている。



---- 以下、余談 ----

富を得ても幸せは得られなかったとは、アメリカンドリームの体現者であるジョン・ロックフェラーでさえ言ってる。幸せになりたければ、物的なものから視点をそらす必要があるのだろう。幸せは結局は自分の心で決めるもの。心を修練し、どんな事にでも幸せを見出せれば究極の幸せ体質と言えよう。さて、まずは布団にお礼をいう事から始めて見ようか。




2016年4月24日日曜日

人相の見方(耳)

人相学を相手を褒めるためのテクニックとして活用すると良いかも知れない。人相学は相手をより良い方向へ導ける。例えば、耳だ。耳と言えば福耳が有名だが、斎藤ひとりによれば福耳に特に意味は無いのだとか。福耳は単に人の話を良く聞くというだけ。福耳じゃない人は、人の話を聞かないのでは無く、自分を強く持っている。その人の性質が耳に現れているだけで、その事に善悪は無い言う。

なるほど。自分の持っていた人相学に対するイメージが変わった。深く考えた事は無いが、人相学は顔の形がその人の運命を決める的なものくらいに考えていたので、その人の性質が現れているだけというのは興味深い。さらに、斎藤ひとりによれば、その事を利用して人を良い方向に導けると言う。以下、具体例を示すので、参考にして欲しい。



【具体例、福耳の人】
貴方は人の話を良く聞く人だね。でも、福耳の乞食って言って、人の話を聞きすぎて騙されないようにしないといけないよ。潜在的には福がたまる耳をしているんだからね。後は騙されないように注意してね。最近、流行りのオレオレ詐欺とか特に注意ね。あれ福耳の人に被害者が多いって話もあるからね。

ここで、え、そうなの?なら、ほら騙されたと、言って笑わしてあげて、もう一度注意しても良いだろう。そんなはず無いでしょ?と来れば、さすが分かってるねと言ってあげれば良い。


【具体例、福耳じゃない人】
貴方は自分を強く持っている人だね。そのまま、行けばいいはずだよ。ただ、浪費癖って言われて思い当たる節ない?無いならそれで良いんだけど、人相的には浪費してしまうかも知れないから、頭の片隅に置いておいてね。貴方はオレオレ詐欺に引っかからないような気がする。

ここで、え、そうなの?なら、勿論注意は必要だけど、ちゃんと注意してれば貴方なら引っかからないはず。そんなはず無いでしょ?と来れば、ほら用心深いでしょって言ってあげれば良い。




---- 以下、余談 ----

人相に善悪はない。善悪は話す側が作るもの。具体例は自分が斎藤ひとりの話を聞いて、それをアレンジしたものだ。あとは読者流にアレンジしてみて欲しい。善悪を作るとは言え、人相学という統計データに基づいている。あながち間違ってはないのがポイントだ。嘘を言ってるわけじゃないので、どんどん褒めると良い。今回は耳を例にとったが、他の部位もどうぞ。

2016年4月23日土曜日

死ぬことと見つけたり

武士道とは死ぬことと見つけたり。日本人なら誰しも聞いた事があろう武士道の真髄とされる言葉だが、もとは江戸時代、佐賀藩士の山本常朝によって書かれた葉隠の一節だ。

私は高校生のころ、この言葉の字面からのみ意味を感じ取り、武士は死ぬ理由を探して生きていると誤解していた。当時は切腹のイメージもあってか、死ぬに足る理由を探しながら生きるという美学なんだろうと友人と話していた。自分には真似出来ないと、そんな会話をしたように思うが、武士にどこか今の時代とは違う異質なものを感じていた。

それから10年近くたっただろうか、当時流行っていたSNSで知り合った古武道を嗜む友人と、武士道とは死ぬこととと見つけたりについて話す機会があった。その友人から意味が違うと言われ、驚いたのを覚えている。彼曰く、武士道とは死ぬことと見つけたりは、明日死んでも良いように今日を一生懸命生きよという教えだと言う。深く考えてない自分は、そういう事かと素直に受け取り感心した。

さて、さらに時を得た自分がもう一度死ぬことと見つけたりを考えて見よう。武士道とは死ぬことと見つけたりの心境は、つまりは余命宣告を受けた患者の心境では無いだろうか?例えば、がん患者など助かる見込みがない患者に余命を宣告すべきかという話がある。余命を宣告するなんて可愛そうという意見も当然だと思うが、余命を宣告してもらえたお陰で、あとどれくらい生きる事ができるか分かり、1日1日をより大切に生きる事ができたという患者の声もある。

1年後に死ぬとなれば、残された時間は365日しかないとなる。365日でやり残したことが無いようにしなければという思いが、最後の365日を鮮やかなものにするのだ。365日のうち、元気で動けるのは何日だろうか?死ぬ前にあの人に会っておきたい。元気なうちに趣味の山登りしておきたいとか、余命を宣告されなければ当たり前だった事が、余命宣告後は特別なイベントに変わっていく。武士道ではこういった効果を狙って、死ぬことと見つけたりと言う部分があるように思う。

白を目立たせたいなら、周りに黒を置けば良い。白は白のみで自らを鮮明にはできない。黒の存在が白を引き立たせるのだ。それと同じで、武士道では生を引き立たせるのは死だと言うのだろう。死を意識するからこそ、今日と言う一日が鮮やかになる。武士道とは死ぬことと見つけたり、こう解釈して見る。




2016年4月22日金曜日

幸せの在り処

人間の幸せの在り処は、結果ではなく過程にこそあるのでは無いかという話を聞いた。まずは三輪明宏のラジオの話を紹介しよう。彼女にはヨーロッパの貴族の友人がいて、ある時彼の自宅に招かれた事があったそうな。その時、ヨットのカタログを見かけたので、ヨットを買うのですか?と尋ねたところ、彼は買わないと言う。何故と尋ねたら、ヨットを買おうと思えばいつでも買える。でも、買ってしまったら、そこで終わりじゃないかと言われたそうだ。大金持ちである彼は、ヨットを所有するという事実より、ヨットを買ったら何をしようという想像に楽しみを見出していたわけだ。

この話を聞いて、自分がまず考えたのは、武士道とは死ぬことと見つけたりで有名な葉隠れだ。葉隠れには忍ぶ恋という話もあり、そこでは最高の恋とは永遠の片思いであると言う。恋は達成されねば意味が無いように思うが、片思いのまま思いを募らせる事にこそ恋の真髄があると葉隠れは語っている。

驚いた。ヨーロッパに武士道があったと言えば良いのか、彼も武士道も行き着いた究極は一緒だったと言うのか、どちらもその過程にこそ幸せを見出している。考えて見れば、何もなくてもバリバリ動けた時代が良かったと老人から聞く事もある。とかく物質的な豊かさのみを求めがちだが、それを求めている過程にこそ本当の幸せがあり、ほとんどの人は幸せの中にいる事に気付けていないだけなのかも知れない。

2016年4月21日木曜日

お手伝いしよう。

子供のころのお手伝いが大切という話を紹介しよう。ある新興の優良企業の話だ。その企業はとても人気があったので、新卒の採用も人があふれるばかりだったとか。そこで、選考を厳しくするために何回も面接し、特に優秀と認められた者を採用したと言う。この時点では人事は自信を持ってたそうだ。応募者枠が埋まらず、誰でも良いと採用したわけではなく、応募者の何倍にもなる人から選りすぐりの人材は選んだのだから。

問題は各新卒採用者を部署に配属した後に起こった。何と選りすぐりの人材だったはずが、苦情ばかり来たらしいのだ。何でこんな使えない奴を採用したんだというわけだ。ほぼ全員の苦情がきたから人事は頭を抱えた。そこで、仕方ないので苦情の来なかった人間と、ほかの人では何が違うのかを徹底的に調べたそうだ。そこで分かったのが、子供のころのお手伝い経験の有無が仕事に関係するという事だ。

子供のころに親のお手伝い経験がある人は、気がきくというか、機転が利くというか、回りの人とうまくやれる。でも、お手伝いの経験が無い人は気がきかず、周りの人から見ると使えないとなるらしい。それが分かってからというもの、その企業ではお手伝い経験の無い人は採用しなくなったと言う。

この話は学校教育の弊害を良く示していると思う。特に受験で良い点数が取れれば良いという風潮があるなか、ある優良企業ではお手伝い経験を採用の最低限満たすべき基準として考えている。これは子供の事を考えれば、受験だけさせるのは害悪という可能性を示唆する。子供にお手伝いしてもらうのは嬉しい事だろうし、社会に必要な事はお手伝いで学べるという教育方針も面白いかも知れない。

2016年4月20日水曜日

噛むと若返る。

誰しも良く噛んで食べなさいと、一度は言われた経験があると思う。自分などは良く噛んだら食事が美味しくなくなる。噛まないから美味しいと思っていて、今まで良く噛む事はしてこなかった。しかし、噛むと言う行動にアンチエイジング効果があると言う話を聞いて、考えを改めねばと思うこの頃だ。

どうも噛むほどに若返り効果のあるホルモンが分泌されるらしく、良く言われる30回噛むと良いは美容の面から確からしいのだ。しかも、各歯の1本1本がどこかしらの内臓とつながっているらしく、恐らくは噛むほど内臓をマッサージする事にもなるだろう。足つぼマッサージと似た効果を噛む事で引き出せるだろうから興味深い。良く噛んで食べなさいと言われても無視してきたが、それなりに言われる理由があった事に驚いた。



---- 以下、余談 ----

味に関しては噛まないほうが美味しいと思う。でも、噛むことで見た目も内臓も美しくなると思えば、なるべく噛むようにしたいものだ。ただ、美味しい味も捨てがたい。この際、美味しいお店では噛まずに、家では噛んでと使い分けて見ようか。こういう話は長い時間で差がでてくるため、意識して噛んでいきたい気はする。食べる時は箸をおくと心がけても良いかも知れない。

なお、食事中は飲み物を控えるようにすると良いとか。胃液がガンを防ぐらしく、飲み物を飲むと胃液が薄まり良くないらしい。そう考えると、酒とつまみという組み合わせは体に悪いようにも思う。ガンの栄養素は白砂糖とアルコール。酒で胃液を薄めてとなると考えものなのか。


2016年4月19日火曜日

出来る人と一緒に過ごせ。

出来る人と一緒に過ごせという話がある。出来る人と一緒に過ごすだけで自分も出来るようになり、出来ない人と一緒に過ごすと自分も出来なくなる。不思議とそういうものだと言うのだ。これは出来る人の生活習慣を盗む事で、自分も出来るようになると説明されるように思うが、本質的には出来る人の間を盗むための型稽古のように思う。出来る人を型に見立て、その型を自分に落とし込むのだ。

会話一つとっても出来る人の間と言うのものがあり、その間を近くで感じる事で自然とコピーできる。特に会話の間に至っては個人差は1秒未満なわけで、実際にそれをコピーするなら近くで一緒に過ごすしかないかも知れない。

ある芸人のマネージャーは、新しい芸を考えるより売れている芸人と仲良くやるように頑張ってくれとアドバイスする事があると言う。新しい芸は一般に受け入れられるか分からないが、売れている芸人と仲良くなれば、その人が仕事をくれると言うのがその理由らしい。勿論、そうなのだと思う。だが、売れている芸人の間を盗むという意味も相当大きいように思う。売れる、売れないは結局のところ間の良し悪し。良い間を持つ芸人ならどんな話をしても面白いように思う。

出来る人と一緒にいるとは、出来る人の間を盗む事。褒められるときは褒める間、怒られるときは怒る間、間に視点を置けば無駄な事は無い。そんな事を考えてみた。




2016年4月18日月曜日

毒を吐く。

毒を吐くという言葉がある。言わずもがな悪口をいう事だが、毒を吐くは文字通り毒を吐いているという話を紹介したい。悪口を吐いた息を凍らせる実験をしたことがあったそうだ。その凍らせた息を注射器に入れネズミに注射した処、何とネズミは死んでしまったとか。そして、悪口ではない息を凍らせてネズミに注射しても、ネズミは死ななかったと言うから恐ろしい。毒を吐くの毒は文字通り毒物だったのだ。

ある原住民の島では、大木を倒すのにノコギリの類は使わないらしい。では、どうするのかと言えば、切りたい木の回りを大勢で囲むのだそうだ。そして、みんなで罵声を木に向けて浴びせかける。日本にいる自分の感覚からすると、何してるの?って思うが、不思議な事に2か月も罵声を浴びせてると、木に元気がなくなって倒れるのだとか。

貴方がもし毒をまき散らしているなら、それは比喩じゃなく本当に毒物。目に見えないだけなので、長い間には必ず害となると注意を喚起しておく。

2016年4月17日日曜日

応援歌

明けない夜は無い。

やまない雨は無い。

さぁ、次はどんな家を建てよう?

頑張れ、熊本!!




---- 以下、余談 ----

単に名台詞の詰め合わせだが、即興で歌を作ってみた。

現在戦っている被災者の方へと思う。

そして、亡くなった方へご冥福を。

お見合い結婚

お見合い結婚と恋愛結婚を比べれば、恐らく恋愛結婚に憧れを抱く人が多いだろう。お見合い結婚は古臭いというイメージや、親が決めた結婚なんてという価値観は確かにあるように思う。ただ、離婚率を見ればお見合い結婚も捨てたものでは無い。お見合い結婚は離婚率が5~10%、恋愛結婚の50%を大幅に下回る。離婚率を考えれば、恋愛結婚のほうが良いものでは無いという可能性すらある結果だと思う。

では、何故お見合い結婚は離婚しづらいのだろうか?一説には、もともと結婚生活への期待度が少ないからだろうとの事だ。結婚生活は苦楽を共にするわけだから、楽しい事ばかり続く訳ではない。その時に最初の期待度が低い事が幸いする。もともと期待度が低いため、嫌な事があっても我慢できる土壌があるわけだ。それに加え、お見合い結婚の場合、最初から相手を共同生活者と見ている。そのため、自然と相手をフォローする事ができるらしく、結婚生活は円い世界というわけだ。結婚に対する満足度も、5年を境に恋愛結婚とお見合い結婚で逆転するというデータもあるようだ。

さて、お見合いが結婚後は円満になりやすいとは言え、ネックは好きな人と結婚できない事だろう。他人はうまくいったとしても、自分がうまく行く保証はないわけで、それなら最低限好きな人と一緒にと考えるのが人情と思う。5年で満足度が逆転するかも知れないが、5年はそれなりに長い。気持は分らないでも無い。ただ、お見合いに対する見方を変えると良いかも知れない。

お見合いで成功した人の体験談によれば、数十回の失敗を重ね、ようやく今の伴侶に出会うと言うものが多い。別に一発必中と言うわけでは無いのだ。恋愛結婚でも色々出会う中で気の合う人を選ぶと思うが、数十回の出会いを前提に考えれば、お見合いは恋愛に近似されていく事に気づくだろうか?数十回のお見合いの末に伴侶に出会ったなら、それは数十人の中から気の合う人を選んだのと変わらない。差があるとしたら、最初から結婚を意識しているかどうかくらいだろう。恋愛とお見合いは出会い方の違いに過ぎない。

大切なのは、一回で決めるという意識を捨てる事。




---- 以下、余談 ----

私は既婚者では無いが、思う事を書いてみる。お見合いは最初に容姿や年収なりのデータを相手に知らせ、その条件面で折り合えば出会ってフィーリングを確かめるのが一般的と思う。ここでまずやっていけないのは見栄を張る事だろう。どちらかと言えば低く書いておいたほうが良いのは間違いない。結婚と言う共同生活で大切になるのは相手への信頼なのだから、そこにダメージを与えるような真似はしないほうが無難だ。

また、相手に年収的な要素は求めないほうが良いかも知れない。共同生活者を選ぶ以上、相手に高い年収を求めるのは仕方無い部分があるが、如何せん収入は長い間にはどうなるか分からない。そして、高い年収を持つ人ほど、相手が自分では無くお金を見ている事を嫌がる傾向がある。つまり、年収的要素を見て近寄ってくる異性は最初からスルーかも知れないのだ。この事が分からないと、ともすると何でお見合いがうまく行かないか分からずにお見合いを続けることになるので注意を。結局は人によるわけだが、可能性を提示しておく。


2016年4月16日土曜日

型破りと形無し

型破りと形無しという話がある。独創性さえ求めれば型破りだという輩がいる。しかし、基本が身についてなければ、それは形無しと言う。型が身についてないのに、どう型を破ったのだという話だ。そのため、基本も身に着かない内から、新しい事ばかりに目をやるなと言う戒めとして語られる。守破離と一緒に抑えておきたい話だと思う。

型は洗練。それは分かりやすさを生み、相手に与える安心感となる。そして、自分が悩んだとき帰る場所ともなる。自分の型持ってますか?

2016年4月15日金曜日

頂ますは綺麗の素

食べものを食べる前は、頂ますと言いなさい。

そうすれば、綺麗になれるから。

頂きますは感謝の言葉。

感謝していると人相が良くなる。

他の子と化粧の下で差をつけられるよ。

人相はごまかせない。

人相はその人の心。

心を磨け。

心が綺麗な人は愛され体質。





----   以下、余談 -----

食事の前、頂ますと言いなさいと教育していると思うが、こう言ったアプローチはどうだろう?子供だけでなく、美に興味のある大人の女性にも良いのでは無いだろうか?化粧のやり方で差をつけるのは勿論として、化粧の下でも差をつけれたら盤石というものだ。誰にも教えたくない綺麗な人の習慣。それは日々感謝して生きているという事。心を磨いて、他の子に分からないように差をつけろ。



2016年4月14日木曜日

鏡の自分と会話する

中村天風曰く、寝る前に鏡に映る自分に笑いかけると良いそうだ。一日の中で、なんか反省すべきことがあれば鏡の自分に心の中で御免と謝る。そうすると、とても晴れやかな朝を迎えられると言う。自分も試しにやってみたが、これはとても良いかも知れない。心なしか顔つきが穏やかになるように思う。ぜひお試しあれ。




---- 以下、余談 ----

脳みその錯覚を利用したテクニックと捉えると良いかも知れない。脳みそ単位では鏡に映った自分を、1人称なのか2人称なのか判断できない。そのため、鏡に映った自分が笑っていても、誰かに笑いかけられているという錯覚を起こす。笑顔を向けられて嫌な気持ちはしないはず。自分が笑っているだけなのに、気持が明るくなっていく不思議なテクニックと紹介しておこう。

2016年4月13日水曜日

恋愛結婚の是非

昨今は恋愛結婚が良いとされている気がするが、後々の事を考えると、お見合いも捨てたものじゃないかも知れない。というのも、恋愛結婚の離婚率がお見合いに比べかなり高いのだ。恋愛結婚した夫婦の離婚率は50%、お見合い結婚の夫婦では5~10%程度という統計があるらしい。ここまで差があると、離婚は色々とダメージなわけだし、お見合い結婚にも一考の余地はあるかも知れない。

恋愛結婚の離婚率が何故高いのか?理由は様々だろうが、似た人を好きになるからでは無いかという指摘がある。恋愛では楽しさを重視しやすいため、自分と同じ趣味であったり、性格が似ているとか、相手に共通点を求める傾向があるとか。その事自体は問題では無いが、結婚するとなると事情が異なる。結婚すると共同生活者になるため、相手に足りない処をもう片方が補うという部分が大切だ。そのため、自分と似ている人と結婚すると、自分に足りない部分は相手も足りないという事になりやすく、誰も補う人がいなくなってしまいやすい。

具体的には、料理好きで掃除嫌いな人どおしで結婚すると、掃除をどちらがするかで喧嘩になりやすいという感じだ。それなら料理好きで掃除嫌いと、料理嫌いで掃除好きが一緒になったほうが結婚生活は穏やかになる。だが、恋愛では料理好きは料理好きと話があうため、料理好き同士のほうが恋愛に発展するのだ。体育会系と文科系が一緒になれば足りない部分を補いあえるが、体育会系は文科系を根暗と思っていたり、文科系は体育会系を暑苦しいと思ってたりで、接点自体が出来づらい。こういう感じの説明がなされていた。

さらに、恋愛結婚の場合、結婚した時が幸せの最高潮であるため、その後は基本的に下がっていく傾向にあるのも離婚率に関係あるのではないかとあった。恋愛結婚の場合は期待値が高い分、こんなはずじゃなかったと考えやすいのだろう。

いくらお見合いが離婚率が低いとは言え、好きじゃない人と結婚するのはきついだろう。そこで、この話が恋愛結婚で陥る罠をあらかじめ抑える意味で助けになればと思う。つまり、結婚する時は相手の足りない部分を自分が補うものと意識しておく事。結婚前は両目を開けて、結婚後は片目で半開きと言われるが、結婚生活に過度に期待しないことが恋愛結婚する夫婦にとって特に大切なのだろう。好き同士で結婚するんだ。高まる期待を自ら抑えるくらいが調度良い加減と言っておこう。

なお、恋愛結婚のプロポーズでは、幸せになろうと言わないほうが良いかも知れない。幸せになろうでは、実際の結婚生活が思ったものじゃないと、何で幸せにしてくれないの?となる。ただでさえ恋愛結婚は結婚時に最高潮が来てしまいやすいのだから、それを助長するようなプロポーズはしないほうが、長い結婚生活を踏まえれば無難かも知れない。では、何とプロポーズすれば良いのか?昔の人をリスペクトし、一緒に苦労してくれないか等はどうだろう。時代が変わったからだが、逆に新しい感じもするし、恋愛結婚の陥りやすいポイントも上手に回避している気がする。

結婚とは一緒に幸せになるのではなく、一緒に苦労するもの。





----  以下、余談 ----

自分は既婚者では無いので、既婚者目線ではなってないかも知れないが、そこはご容赦。恋愛結婚の離婚率の高さには素直に驚いた。しかし、どういう風に離婚に陥りやすいかさえ分かるなら、対応しようもあると言うもの。反面教師としてデータを活用すべきだろう。とは言え、結局は相手への感謝を忘れない事につきる気がしている。ありがとうと言う気持ちをいつまで忘れないでいられるかが勝負では無いだろうか?




2016年4月12日火曜日

最後まで生き残る者

最後まで生き残る者は何かという話がある。ダーウィンによれば、強い者でも、頭のいい者でもなく、変化に対応出来る者こそが生き残ると言う。変化が激しい現代社会において、ある種の共感を得られそうな意見だと思う。確かに変化に対応できるなら、その者は生存力が強いはずだ。

そして、同じ事をコンピュータにも計算させたそうだ。当初は意思の強い者、力の強い者、お金持ち、最先端を走る者といろいろ予想があったそうだが、コンピュータの出した答えはどれでもなかったとか。コンピュータによれば、譲る事が出来る者こそが生き残ると言う。人間であるダーウィンとコンピュータの違いが興味深い。人工知能と人間の共存がテーマであろう現代において、コンピュータの計算結果とダーウィンの発想の差は意義があるように思う。人間の思いもよらない答えを導きだしてくるコンピュータには驚かされるばかりだ。

譲る者こそが生き残ると言う答えは、自分的にはとても意外な答えだ。しかし、言われてみればそうかも知れない。譲る事が出来るとは、つまりは無害だ。生存競争をするとして、無害な者を攻撃するのは後回しにするだろう。そもそも譲ってくれる人を好意的に思うのならともかく、攻撃しよう何てことは考えない。そうなると、生存競争は譲る事ができる者以外の者の間で行われる可能性が高い。生存競争がいよいよ大詰めともなれば、みんな疲労の極地にあるはずだ。その時、力を温存できてしまった譲る事が出来る者が勝ってしまうというのはあり得る話だ。もしくは、譲る者を攻撃する理由がないから生き残れるという事なのだろう。

さて、私はダーウィンとコンピュータの両方をリスペクトし、変化に対応する努力を怠らず、譲る事が出来る者が生き残ると言っておこう。人工知能と人間の共存のテーマにあった答えのようにも思えるし、あながち間違っていないのでは無いだろうか?21世紀は人間が人工知能より劣っている事を受け入れる時代なんて言われる事もあるが、いち早く人工知能の優秀さを認めて、お互いの良いところを掛け合わせたいものだ。まだ人間だって負けてないという時代の終わりが近い。




-----  以下、余談 -----

変化に対応する努力を怠らず、譲る事が出来る者と言う話で思うのだが、それは日本の事ではないだろうか?世界の経済大国として日本とドイツがある程度の地位を保っていられた理由は、もしかしたらと思う。望む望まざるを得ず、日本とドイツは譲る事が多かったろう。だが、結果としてはそのことが両国を助けた可能性がある。21世紀は変化への対応と、譲る精神が生き残りへのキーワードかも知れない。

2016年4月11日月曜日

誕生日

誕生日を生まれた日と祝うようではまだまだ。

誕生日は育ててくれた人へ感謝をする日。

そう考えられた時、ようやく分かってきたねとなる。

感謝多き人は魅力的な人。

魅力的な人でありたい。




---- 以下、余談 ----

人の成長と誕生日を掛け合わせて見た。感謝しながら生きるとは、ある種人間の到達点と言うべき生き方のように思う。人によっては、それは馬鹿らしい事に映るかも知れない。しかし、騙されたと思って感謝して生きる事をお薦めする。感謝はすごい力を秘めている。



2016年4月10日日曜日

短所こそが長所

短所は長所だ。

君は短所が嫌いだろう。

だって嫌いだから短所なんだものね。

ここで質問するね。

君は完璧な人間と一緒にいられる?

自分と比べちゃわないかな?

一緒にいられないよね。

分かる?

君は相手に短所があるから親しみを感じるんだよ。

じゃあ、周りの人は君の短所を見てどう感じてるかな?

分かるね。

短所こそが君を人気者にするんだ。



----  以下、余談 ----

人は短所がなくなれば、自分はもっと輝けると思いがちだ。だが、短所があるから、長所が引き立つという事もある。白を目立たせたければ、となりに黒を置けば良い。白だけじゃ、白は引き立たないのと同じ理屈で、長所だけで構成された人間では、どこが長所が分からない特徴のない人間になる。短所は嫌ってしまうだろうが、その短所が自分の長所を引き立たせている可能性にも目を向けたい。要は自分の捉え方一つだ。短所も愛すべき自分の一部。そんな事をテーマにこの記事を書いてみた。

2016年4月9日土曜日

げんを担ぐ

読者はげんを担いでいるだろうか?何か勝負ごとをする時にげんを担ぐのは古くからの風習であり、特にエスタブリッシュメント層ほど好むように思う。人事を尽くした後は神にすがって盤石を期すという事なのか、不安を和らげるためか、単に風習だからかは定かじゃないが、彼らの運を自分に引き込みたいという思いの現れなのだろう。そのため、彼らは部下にもげんを担ぎ、げんの良い部下を潜在的に求めている。そこで、げんの良い人材について考えよう。

明るい人材がげんが良いという話がある。どんな苦境にあっても状況をポジティブにとらえる事が出来る人。例えば、何か組織の運命を左右するようなプロジェクトを行うとしよう。組織の長は不安でいっぱいだ。もし失敗したらと頭をよぎったりもする。その時に、このプロジェクトは絶対に成功しますよと、部下として言える人が好かれる。当然の事だと思う。不安でいっぱいだがやらねばという時に、失敗することばかり言われたら気がめいるというものだ。そして、プロジェクトが成功しようものなら、一緒に苦楽を共にしたと感じる部下は勿論自分を励ましてくれたほうだろう。

織田信長だったか、豊臣秀吉だったか、戦国大名の逸話がある。ある時、その大名の処に降伏してきた武将がいたそうだ。その武将の能力は申し分なく優れたものだったので、これは良い武将が来たと周りはみな喜んだそうな。しかし、大名がその武将に以前いた場所について聞いたところ、恨みつらみ、ここが悪かった等ネガティブな話をしたとか。それを聞いた大名はその武将を追い出したと言う。周りの部下たちは驚いて、何故あれほど優秀な武将を雇わないのですか?と聞いた。大名はあんなげんの悪いやつを雇えるかと言ったとかなんとか。

現代でも、以前所属していた組織の悪口をいう事はタブーとされている気がするが、それはげんが悪いという言葉が的を得ているのかも知れない。どんな時も明るくポジティブな雰囲気を心がけたいものだ。そう言う所も重要なポイントとして見られている事を意識したい。

2016年4月8日金曜日

守破離

守破離という言葉がある。

まずは、言われた事をしっかり守る事に努めよ。

慣れてきたら、その中で自分なりに工夫してみろ。

自分の色が出せたなら、独立して自分の流派を作れ。

何をするにも指針としたい言葉だと思う。

2016年4月7日木曜日

一番大事な仕事

京都の料理人の世界だったか、一番の仕事は親父の機嫌をとる事という話がある。親父が機嫌が良い時は悪い事が起きない。親父の機嫌が悪くなると良い事が起きないというのがその理由だそうだ。かなり昔になるが、なるほどと合点がいったのを覚えている。人情的に当然の話だと思う。機嫌が良ければ、どれ弟子に料理でも教えてやるかとなるだろうし、酒でもおごってやるかとなるだろう。でも、機嫌が悪いときは、親父も料理を教えるどころじゃ無いだろうし、八つ当たりもされるだろう。酒に誘われても、愚痴の聞き役か説教となろう。

読者はボスの機嫌を取っているだろうか?見直すきっかけになれば幸いだ。

2016年4月6日水曜日

弟子の修行

立川談志曰く、弟子の修行は理不尽に耐える事だそうだ。例えば、師匠がお茶を欲しいと思った時に、お茶を出せない弟子は駄目。そして、特にタイミングに気を使い、お茶をだすタイミングが遅いが駄目なのはともかく、早すぎてもいけない。早いと師匠が弟子のペースに合わせた事になるからだそうだ。阿吽の呼吸でお茶を出せた時に、ようやく分かってきたねとなるとか。

普通に考えれば、これはかなり無茶な類のものだ。師匠は何も言わないのに、お茶が欲しいはずだと弟子が察し、しかもジャストのタイミングじゃなければ怒られるのだ。しかし、落語という世界では、これくらいの事を出来ぬようでは、客前になんて立たせられぬと言った処なのだろう。常日ごろ一緒にいる師匠の間も分からずに、どうして落語の間を演じれようか。間を真髄とする落語ならではと言えるかも知れない。

談志の弟子の修行と言う話は、現代では良しとされない価値観だと思うが、とても含蓄ある話のような気がする。直観的には、これくらいの事までできるなら、相当気に入られるのでは無いだろうか?かくありたいものだ。それにしても、お茶の出すタイミングまで落語の修行になっている事には恐れ入った。自分は自分のペースで飲むのが良いという人間のため、思いもよらなかった。

2016年4月5日火曜日

当たり前はありがたい事

911テロの時の詩の1部分を紹介する。

当たり前の日常は、実はとてもありがたい事だと気付くだろう。

当たり前に感謝を。



--- 以下、詩 ---


最後だとわかっていたなら 作 ノーマ コーネット マレック


あなたが眠りにつくのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように

祈っただろう


あなたがドアを出て行くのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて

抱きしめただろう


あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが

最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう





2016年4月4日月曜日

結果か過程か

結果か、過程かという議論は良くされる議論だが、実際はどちらか何て選べる性質の議論では無い。勿論、職業人としては結果と答えるべきかも知れないが、結果が過程から生じる以上、過程を無視した結果など考えてもしょうがない。それでも、どちらかを選べと問われれば、やはり結果であるべきか。

理由は単純だ。例え運で結果がでただけであっても、その結果から相手に迷惑がかかる事が無いからだ。全ての事は相手あっての事なので、相手に迷惑が掛からなかったのであれば、それを良しとすべきだろう。過程がいくら良くても、相手に迷惑がかかってしまったなら、職業人としては良しとは出来ない。

しかし、これは1回限り、もしくは短期的な話と加えておく。長期的な話になるほど事情が変わってくるからだ。長期的な仕事の場合、平均的に優れた結果を残す事が重要になる。人間である以上ミスをするのはしょうがないため、ミスを含んだうえで結果を求めるとなると、過程をどれだけこだわったのかが、そのまま結果になる。1回限りのように運が入る余地が無く、過程をしっかりすれば結果は出る事から、仕事が長期的になって行いくほど過程が大切になると言える。

満足度においても、得意先が長い付き合いで求めるのは親身になってくれるかどうかという話もある。長期的な仕事は過程が大事いうのはある程度は的を得ているだろう。結論として、得意先と長く付き合うなら過程が大事、1回限りのお付き合いなら結果が大事と言っておこう。一般に結果を求めるのは初心から中級者、上級者になるほど過程を重く見る傾向はある。結果を求めても結果はでず、過程を求めると結果はついてくるからだ。



----- 以下、余談 -------

この話題は討論の題材になる事があると思うが、どちらにつくべきだろうか?昔、結果でなくては駄目と言われた経験があるが、むしろ過程側について、長いお付き合い視点で話を切り返したほうが面白いのでは無いだろうか?少なくとも、ユニークさだけはアピールできる気がする。討論に勝ってもしょうがないが、結果を平均的な結果という話にすり替えると、結果側は議論しづらく見える。その場合、結果を求めて過程を大事にするのだから、結果が大事と終始してくるのか。顧客が結果ばかり求めるとは限らないと切り返してどうか?ここら辺が勝負所だろうか?

女遊びは芸のこやし

歌舞伎、落語など伝統芸能の世界に、女遊びは芸のこやしと言う言葉がある。一見すると、女遊びの言い訳なのかなという感じもする言葉だが、実際はそう単純でもないらしい。ビートたけしによれば、芸人にはどこかハラハラした感じというか、こいつ何か面白い事するんじゃないかという雰囲気が大切なのだとか。そういう雰囲気が女遊びによって身につくとラジオで語っていた。そのため、結婚などで生活が定まってくると芸に良い影響はないというような事を言ってる。ビートたけしからすれば、女遊びが文字通り芸のこやしな訳だ。

さて、私見を書こう。女遊びが必要かどうかはさておき、どこか恋するような気持は大切な気がする。自分は歌を趣味で歌っているのだが、歌の歌詞には恋愛に関するものが多い。その歌詞にリアリズムを持たせるためには、自らが恋してるのが早いように思うのだ。歌も結局のところリアリズムのある歌を歌えているかって部分が大切だ。その時に大切なのは、自分が本当にそう思っているか、歌う歌詞の絵が浮かんでいるかになる。恋していればそう言ったイメージがつかみ安く、やはり芸のこやしになる気がする。

2016年4月3日日曜日

おべっか嫌いの人

ナポレオンはおべっかが大層嫌いだったという話を見た。彼はおべっか等ですり寄ってくる輩を相当に嫌ったという逸話があるらしい。しかも、それを厳しく罰したと言うから筋金入りと言えよう。でも、ある人がおべっかが嫌いな事を褒めたら、気に入られてしまったというから面白い。恐らくおべっかを嫌う事はとても素晴らしく、常人にはできる事では無い的な事を伝えたのだろう。

たまげた。おべっかが嫌いな人はいる。普段その人自身がおべっかばかりで嫌気がさしてるとか、おべっかをして来る人間にいい思い出がなかったりと嫌う理由はそれぞれだろうが、確かにおべっかを嫌う人はいる。自分もそういう人に何と言ったら良いか考えてはいたが、おべっかを嫌うあなたは素晴らしいは思いつかなかった。

自分はおべっか嫌いな人にあったら、2つほど言いたい事があった。一つ目は事実だからしょうがない。二つ目はおべっかを言わせるのも上役の務めだ。これからは、三つ目としておべっかを嫌う貴方は素晴らしいと加えようと思う。

2016年4月2日土曜日

記憶力+発想力=10

記憶力と発想力は足して10と言う話がある。記憶力と発想力は半比例し、記憶力に長けている人は新しい事を発想する力は乏しかったり、発想力があると記憶力はそれほどじゃなかったりする事が多いらしい。恐らく記憶量が少ないと自分で発想するしかないため、結果発想力が磨かれるという事なのだろう。逆に記憶量が多い人は自分の記憶から答えを探そうとするため、自ら発想せず発想力が弱くなると言った処か。

発想力が大事とは言え、記憶力が高いことが悪い事じゃない。高い記憶力は武器になる。でも、発想力と記憶力は次元が異なるという事を認識して、発想力を磨かないといけない。記憶力10で良かったのはひと昔前の話で、今はインターネットで調べれば大抵は分かるため、記憶力は昔ほど必要とされなくなってる。そして、人工知能の発達により、この流れが加速していくのは目に見えていて、すでにほとんどの分野でロボットは人間より優れていると言われる時代だ。

逆に記憶力が乏しいと思うなら、新しい事を発想する能力は高いかも知れないとポジティブに受け取るのが良い。とかく記憶力の問われる学校の成績が悪いと悲観してしまいがちだが、実は悲観すべき事ではぜんぜんなく、素晴らしいギフトである可能性すらある。なんせ過去の偉人は学校教育のドロップアウト組が多い。記憶力で戦えないなら戦うな。発想力を磨けばいいと好意的に解釈すると良いだろう。

記憶力と発想力は足して10という話を、自分にプラスになるように解釈して欲しい。

2016年4月1日金曜日

人を憎まず、仕組みを憎め

トヨタでは人を憎まず、仕組みを憎めという言葉があるらしい。トヨタらしい。誰かが失敗したとする。その者を憎んで責任を取らせても、問題が起きた事の根本的な解決にはならない。それなら、その者を憎まず、仕組みを徹底的に洗いなおしたほうが次につながる。こんな処なのだろう。人材を大切し、合理性を常に求める姿勢が伝わってくる言葉だと思う。

仕組みを憎むとは、つまりは責任者側が自らの非を認めるという事だ。部下も失敗すれば自分が悪い事は重々承知している。その時に、何故失敗したんだ?この馬鹿野郎とだけ言われるより、次頑張れ、ミスは俺の責任だと言われたほうが、部下の心に響くのは間違いない。部下は次こそはミスを取り返そうと頑張ってくれるだろう。上司に嫌われたい部下はいない。人を憎まず、仕組みを憎めはその心情をうまく捉えた言葉とも言える気がする。

人を憎まず、仕組みを憎め。要チェックである。