2016年9月20日火曜日

私は愛と光と忍耐という話

斎藤一人談。

私は愛と光と忍耐です。

毎日100回言うと良いらしい。


そうすると、

辛い時や悲しい時、

自分が愛と光だったらどうするだろう?

って考えられるようになるの。


そうやって出た答えは、

全て正しい。

是非試してみて。


忍耐は我慢じゃない。

忍耐とは常に愛と光でいようとすること。

間違いやすいから、書いとくね。


この言葉を100回言うようになると、

まるでコップから濁った古い水が溢れこぼれるように、

嫌な気持ちになるかも知れない。



でも、それは好転反応。

気にしないで続けてね。

コップから濁った水がなくなれば、

嫌な気持ちがもなくなるよ。




---- 以下、余談 ----

斎藤一人の知らないと損する不思議な本より。神は愛と光。私は愛と光とは、自分が神の一部であるという事。そう思えた時、自分には価値が無いと肩を落とす事もなくなるはず。辛い時も悲しい時も、まずは考えて。自分が愛と光だったらどうするだろう?愚痴や不平不満が少なくなっていくはずだ。

忍耐は我慢して乗り切れと解釈しがちだが、そういう事では無い。私は愛と光と言い始めると、神様の試験と言ってどうしても不平不満、愚痴を言いたくなるような時が訪れる。その時に、忍耐強く愛と光でいてねって話だ。間違いやすいので注意してくれ。

斎藤一人は、言葉を上手くつかって自分を良い方向に誘導する。私は愛と光と忍耐ですとは、そのお薦めの言葉の一つだ。後は論より証拠。試してもらうしか無い。もし役に立ったなら、この記事を書いた甲斐もあった。



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