2016年6月4日土曜日

文武両道

文武両道と言うと、現在では勉強も出来て、スポーツ万能である人を指す言葉となっているが、どうも本来の意味とは違うらしい。文武の文は、勉強だけでなく、芸事も含む概念らしく、文武両道とは武術に通じ、頭脳明晰、芸術にも長けた何でもできる人を指すようだ。スポーツだけでも駄目、勉強だけでも駄目、遊ばなくても駄目と言うのが面白いではないか。現在は遊びの部分が意味から消えているので、読者自身が意味を補うと良いだろう。

武に限らず、運動はある時から文を必要とする。1位になるなら、やみくもに運動するだけでは足りなく、どういった動きが最も効率良いとか、どれくらい運動して休息をどれくらいとったら最高能率になるかを考えたり、食事にも気を使わねばならない。運動は最初はやみくもにすれば良いのだが、1位を目指すならば学問が必要になる。

学問にしても、机の前にずっと座っているより、体を動かしたほうが頭が良く働く。運動のやりすぎは効率を落とすが、適度な運動ならば学問の質を高めるのだ。健全な体に健全な精神が宿ると言うように、まずは健全な体が基礎となる。学問をしっかりするにも、病気がちでは能率が上がらないのだ。

文武両道。文と武は車の両輪。文が武を助け、武が文を助ける。両道と言うが、両道だと凄いという事では無く、両道が一番効率も良い事に気づくと世界が広がるのでは無いだろうか?自分は勉強だけやりたいから、自分は運動しかできないと言うのでは、文武両道の本質を理解してない意見となるので注意して欲しい。何でも一生懸命やる。それが単純明快な本筋だ。できる、できないが問題になるなら、勉強の能率をあげるために運動を一生懸命すると考えよう。運動の能率をあげるために勉強すると考えよう。それが文武両道という事。

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