2016年6月17日金曜日

武士道 生と死があれば死を選ぶ理由

武士道とは死ぬことと見つけたりで有名な葉隠の1節に、生と死があれば死を選ぶという部分がある。ともすれば死に急ぐ狂人とも言われかねないが、人間である以上そんな事を考えるはずないのは分かると思う。そこで、自分なりに解釈してみよう。

死中に活ありという言葉があるように、絶体絶命であれ生に執着せずに覚悟を決めると、結果的に生存する何てことは起きる。生と死があれば死を選ぶとは単にそういう教えだと思う。何で生を選ばないんだと思うかも知れないが、生と死で生を選んでも生存できる保証なんて無い状況だってある。その時は覚悟を決めたほうが良いっ話だ。

勝って兜の緒を締めよとは良く言ったもので、勝負事で最も大毒になり得るのは慢心だ。例えば、勝ち戦の時はみんな相手は逃げるとばかり考えていて、逃げる残党を狩って手柄くらいの勘定で慢心している事がどうしても多くなる。その時、逃げるはずの相手が覚悟を決めて斬りかかってきたらどうだ?勝ったと思ってるほうは、勝ち戦で命を落とすのは御免とばかりに逃げ出してしまうのが関の山だ。これが生と死があったら死を選ぶという事。逆に、覚悟を決めずに逃げると相手の兵が勢いづき、結果命を落とす事だって起こるのだ。

これが戦場を常とする武士の教えとして妥当では無いだろうか?人間には潔さを好む傾向があるように思う。言い訳をされれば見苦しいと思うが、正直に罪を認められると好意的に考えてしまう。例えば、自分の罪を告発する時などは正直に答えるべきか考えるだろう。もし、保身に走り嘘をついて酷い事になり、後々考えると正直に答えたほうが良かったという事は往々にしてある。生と死があって、生にしがみついてしまったゆえの失敗例だ。

葉隠の言う、生と死があれば死を選べとは、つまりは潔く生きろという事だと思う。

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