隠しぼめと言う話がある。一言に褒めると言っても、良い事を良いと言うだけが能では無い。良い事を良いという時に、あえて良いと言わずに褒めるのも粋だ。例えば、一緒に仕事した人に、貴方の仕事は本当に素晴らしいと褒めるのも良いが、そう言わずに、貴方とはまた仕事がやりたいと褒めるのも良い。この後者が隠し褒めだ。褒め方も色々バリエーションをつけられると、コミュニケーションの幅が広がる。恐らく、隠しぼめのほうが粋だ。どうせなら、恰好よく褒めたいと思わないか?
なお、この話は渥美清の話からの引用なので、隠しぼめと検索すると色々でてくる。自分はそちらのブログほど上手く説明できなかった。また見たくなるブログに出会えるだろう。
---- 以下、余談 ----
例えば、敵対しているグループがあるとしよう。敵の親分に対し、あいつが居てくれて助かると言えば、敵の親分にとってはマイナスに働くかも知れない。敵が褒めている親分では不味いと考えるのが普通だからだ。あいつが居なくなったらチャンスと言えば、敵はその親分を必死で守るかも知れない。敵が嫌がる親分は、頼りがいのある親分である可能性が高いだろう。コミュニケーションも、自分の立場によって色々だと思う。
実際はこんなに単純じゃないにしても、敵の親分を助けたい時は、嫌がってあげれば良いというのは面白いじゃないか。話は変わるが、国際政治を見る時も、こう言った事に注意すると見え方が変わるかも知れない。
なお、この話は渥美清の話からの引用なので、隠しぼめと検索すると色々でてくる。自分はそちらのブログほど上手く説明できなかった。また見たくなるブログに出会えるだろう。
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例えば、敵対しているグループがあるとしよう。敵の親分に対し、あいつが居てくれて助かると言えば、敵の親分にとってはマイナスに働くかも知れない。敵が褒めている親分では不味いと考えるのが普通だからだ。あいつが居なくなったらチャンスと言えば、敵はその親分を必死で守るかも知れない。敵が嫌がる親分は、頼りがいのある親分である可能性が高いだろう。コミュニケーションも、自分の立場によって色々だと思う。
実際はこんなに単純じゃないにしても、敵の親分を助けたい時は、嫌がってあげれば良いというのは面白いじゃないか。話は変わるが、国際政治を見る時も、こう言った事に注意すると見え方が変わるかも知れない。
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