2016年6月14日火曜日

浮気の賛否両論

穿った見方をする。日本には貞操観念がもともと無かったという話もあるようだが、今の日本における貞操観念はアメリカの3s戦略の賜物なのは間違いない。良くも悪くも、アメリカがセックスを推奨したため、日本のマスコミでもてはやされてきた。マスコミがもてはやすから、今の貞操観念が出来上がったと言える。遊ぶ事がカッコいいとされたのは、本当に遊ぶ事がカッコいいからではなく、それがアメリカの戦略上に適っていたので、カッコいいとされてきたのだ。

勿論これからもそうなるかも知れないし、生き物として考えれば優秀な雄が雌をたくさん従えるのは自然とも言えるわけだが、アメリカの戦略が変わったり、もしくはアメリカ以外が日本に影響を及ぼすようになれば、遊ぶのがカッコいいという価値観はどうなるかは分からない。その場合、女遊び、男遊びの激しい人は戦犯として吊し上げられる事になろう。最近のTV放送を見ていると、多少時代の変化があるのかと感じるので、あえて記事を書いた。

大きな枠組みで見れば、遊ぶ事をカッコいいとするために、遊ぶ人を採用しもてはやす。遊べる自分はカッコいいという視点の他に、遊ぶ事をカッコいいとしたいという政治的な視点をもつと空気が読めるかも知れない。そして、それは長生きにつながるように思う。

男は女と寝たがる。そこに理由は無い。これを良しとするか、悪しとするかは時代によって決まるのだ。悪しとするなら、人間は理性があるから他の動物とは違うと言えば良い。理性の無い人間なんて、動物と同じだからと取り締まる何てことは普通に想定できる。浮気の賛否両論を決めるのは時代。そういう視点も大切では無いだろうか?



---- 以下、余談 ----

他のブログで浮気について書いたので、あえて変化をつけて書いている。こういう陰謀論的な切り口を逆らうためと決めつけず、相手とうまくやるために知るという視点も日本には必要では無いだろうか?

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