2016年5月18日水曜日

理不尽はチャンス

生きていれば理不尽だと感じる事もあるだろう。でも、その時にふてくされてはいけない。たいていは期待するからこそ理不尽にするのだから。期待もしてない時は、穏便にと何もしないものだ。それを知っていれば、理不尽な事をしっかりこなせば、それはチャンスな事に気づくだろう。理不尽だとふてくされるか、これをチャンスに変えてやると思うかで、その後が変わってくる。

理不尽な事を言いつけた方は、それが理不尽だと分かっている。あえて、どうでるか見ているのだ。そのため、ちょっとした頑張りを見せれば、こいつは使えるとなる。逆にふてくされてしまうと、叩いても響かないとなる。普通はふてくされる場面だからこそ、ちょっと頑張っただけで、意外に頑張るという評価を得られるわけだ。

もし、理不尽が単なるイジメにすぎず、理不尽な事を一生懸命こなしたと腹を立てられる事もあるだろう。でも、それでも一生懸命こなすと良い。天は見ていると言うか、必ずその姿を見ている人がいる。その人が貴方を助けてくれるものだ。ふてくされない限り、どう転んでも理不尽はチャンスにしかならない。

ある寺では、後継者を選ぶ時に理不尽な事を言いつけると言う。弟子に理不尽な申しつけをする。弟子も理不尽と思いつつも言われた通りするわけだが、理不尽な事をこなした後にさらに理不尽な事を申し付ける。これが1回2回なら弟子も耐えられるが、3回4回と言いつけられると段々単に虐められてるだけかとなってくる。大抵はそこでやめてしまうわけだ。だからこそ、そこをしっかりこなした者が後継者に指名されるらしい。和尚は後継者だからこそ、どんな事があっても寺を離れないという覚悟を試すのだそうだ。

どんな事があってもこの場所を離れない覚悟は、成功には最低限必要な事と言われる。何はともあれ、会社を復活させたければ骨をうずめる覚悟が必要と船井幸雄も言っているし、どんな種類の成功にも忍耐ほど必要なものは無いとジョンロックフェラーも言っている。寺の和尚も後継者にはそれを試したりする。こう考えて見ると、理不尽は次のステップに行くために必要となる試練なのかも知れない。理不尽はチャンスなのだ。

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