2016年5月16日月曜日

武の境地

武の境地は殺しに来た者と友達になる事という話もある。相手が戦う気にならないなら、確かに護身完成の一つの形だ。殺しに来た相手が戦意をなくすためには、確かな実力があれば良いと考えがちだが、実はそれだけでは足りない。いくら実力があり、百戦錬磨の達人であれ、敵に刃を向けられるような状況があるなら、万に一つでも当たる可能性がある。当たれば致命傷という事もあるため、武の世界では技術のみを求めているうちは未熟とされている事を知らねばならない。

では、どうしたら相手が殺しにきたのに戦意を喪失するのだろうか?そのポイントは人格になる。つまるところ、憎めない相手をどうして殺せようか。例えば、殴るにも理由が必要だ。こいつ気に入らないでも何でも良いのだが、とりあえず理由がないと殴るにも苦労する。だが、憎めない人格が備わっていると、会った瞬間に何故殴るしかないのだろうと頭をよぎって、気持が萎えてしまう。その時に確かな実力が効いてくる。殴る気が起きないのに、勝てるか分からない相手に立ち向かう人間はいない。

逆に、実力のみで人格が備わっていないと、負けるだろうけど気にくわないという理由で攻撃を受けてしまうかも知れない。この事には気づきにくいため、強くなりたい一心の者は技術のみを求めてしまうのだ。心技体と言うが、まずは心ありき。心を補完する形で技が続くのが筋という事は字が示す通りだ。そのため、武の世界では技術を求めているうちはまだまだと言う。武は技術と人格をもって完遂すと言った処。武が完成すれば、勝つまでもなく戦いは起きない。そして、友達になりたいと思うものだ。



---- 以下、余談 ----

これは武の世界以外でも指針とすべきポイントとなる。実力だけでも駄目、人格のみでも弱い。人格と実力が備わった時に初めて護身完成たりえる。人格を磨けとは良く言われる事だが、こういった捉え方も良いのではないだろうか?初めに人格ありき。実力はついてくるもの。

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