2016年5月12日木曜日

神木

神木と聞けば、さぞ立派な木なのだろうと思うものだが、誰にも見向きもされなかったからこそ、神木になれたという話がある。昔は今と違い、風呂を沸かすにも料理を作るにも薪を焚いた。真っすぐで使いやすい木から薪にされてしまうため、真っすぐな木はすぐに切り取られてしまう。曲がっていたり、不格好で使いにくい木だけが切り取られず神木になると言う。神木と崇められる木は、決して恰好良い木では無い。どちらかと言えば、箸にも棒にもかからない類の木。だからこそ、1000年、2000年と生き残る事が許され、最終的に神木として大切にされるのだ。

自分たちは出来の良い事にだけ目を向けがちで、出来の悪い事には悩みがちだ。しかし、現実には出来の悪い事は大切な武器になり得る。少なくとも、神木はそう語っているように思う。神木にできた事は不格好という個性を主張する事だけ。頑なにその個性を主張し続けた結果、時代が変わりその不格好さに有難味がでたのだ。



---- 以下、余談 ----

短所と長所があれば、長所で勝負していくのが本筋ではある。だが、短所も筋違いではあるが立派な武器だ。短所は時には長所を引き立たせる役目を果たし、時には相手への安らぎを与える。短所がなければ長所は長所なのか分からないし、相手があなたへ親しみを感じるかは分からない。人間を車に例えれば、短所と長所は車の両輪。片方だけでは進めない。

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