2017年10月2日月曜日

孫子の兵法 軍争編

1、迂をもって直となす。

孫子曰く。「およそ兵を用うるの法は、将、命を君に受け、軍を合し衆を聚め、和を交えて舎するに、軍争より難しきはなし。軍争の難きは、迂をもって直となし、患をもって利となすにあり。故にその道を迂にして、これを誘うに利をもってなし、人に遅れて発し、人に先んじて至る。これ迂直の計を知る者なり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ戦争というものは、将が君主に命令を受け、軍を編制し兵を集め、一緒に(和を交えて)戦地に向かう(舎する)が、軍争ほど難しい事は無い。軍争の難しさは、迂回をもって近道となし、不利(患)をもって有利とする事にある。故にその道を迂回しながら、利によって敵を誘い、人より遅れて出発しておきながら、人より先に到着する。これが迂直の計を知る者となる。」




およそ戦争というものは、君主から命令を受けた将軍が、軍を編制し国民を徴兵する所から始まる。軍が出来たなら戦地に向かうわけだが、この戦地に辿りつくまでの争いを軍争と言い、この軍争がとても難しい。

戦争が始まれば、先ずは戦地における地の利の奪い合いである。敵に戦地に先着されると、地の利を奪われ不利な戦いを強いられる事になるのだから、此方で地の利を確保し、その後の戦いを有利に展開したい。戦地には敵より早く着きたいのだ。

ただ、ここで問題となるのが、軍は部隊ごとに行軍速度が違うという点だ。軍と一言に言っても、騎兵隊もあれば歩兵隊もあるし、補給物資の輸送隊もある。動きの遅い輸送隊に速度を合わせては、敵に戦地に先着されてしまうが、逆に動きの速い騎兵に合わせては歩兵すらついて行けない。行軍速度の異なるこれらを、戦力を出来るだけ損なう事なく、どれだけ速やかに戦地に到着させられるか。これが将の腕の見せ所であり、軍争を巡る戦いなのだ。

軍争をめぐる戦いの大切なポイントは、行軍中に行軍速度を変えるのは限度があるという事かも知れない。歩兵が足が遅いからと休まずに行軍する事はできても、全員に馬を配れるわけいかない。どうあがいても、歩兵は騎兵にはならないのである。それに、そもそも歩兵には歩兵の利点もある。例えば、地形次第で馬が使えない場所もあろう。平原でこそ騎兵は威力を発揮するが、弓兵が潜みやすい山では大きな的となってしまう。どの部隊も一長一短だ。

では、現状のまま敵より早く着くにはどうしたら良いだろう?これを考えると、結局、敵に足を止めて貰うという発想に至る。敵のスピードが此方より遅くなれば、戦地には此方が早く到着するのだから。そこで、敵の足を遅くするための一計を案じるわけである。こうして出てくるのが迂直の計である。

軍争の難しさは、周り道を近道に変える事にあり、不利を有利に変える事にある。敵に足を止めて欲しいからと言って、そうお願いしても足は止めてくれまい。敵に足を止めて欲しければ、例えばあえて遠回りをして油断させるとか、あえて不利な状況を演出して慢心させる必要がある。ただ、それだけでは心許ないないため、出来た心の隙を利で誘うのである。であればこそ、敵より遅れて出発しておきながら、敵より先んじて着く事ができる。これを周り道(迂)を近道(直)に変えると言うのだ。

迂直の計の大切なポイントは、相手を油断させ、慢心をもって、利に食いつかせるという2段構えである。油断・慢心という心の隙ができても、敵がそのまま行軍しては意味が無い。敵にできた心の隙を利で釣るからこそ、敵は足を止めるのである。逆も同様である。利だけ用意しても、相手が冷静な状態では罠を疑い食いつかないかも知れない。しかし、慢心しているからこそ、欲目がでてくるのが人情である。「分かっていたはずが、つい」この言葉を暗に引き出すのが、迂直の計の本質なのだ。(将軍ならば、迂直の計は知っている)

例えば、政治を考えて見よう。嘘が3つ集まると政治になると言う格言どおり、基本的に政治家は本当の事を言わない。其処ら辺を不審に思う人もいるわけだが、それは何故だろう?下心もさることながら、本当のことを言うと邪魔が入るからである。そのため、政治では迂直の計が多用される。具体的な話は想像にお任せしよう。

次は仕事で考えて見る。仕事では、常に見られている意識を持つ事が大切となる。人は誰かに見られていると思っていれば、足を踏み外さないものである。人が足を踏み外すのは、誰にも見られていないと思えばこそ。誰にも見られていないと思うから、盗みを働いたり、仕事をさぼったり、普段は暴言を吐かない人が暴言を吐いたりするのだ。

一度くらいでは見つからないだろう。でも、一度目があれば2度目もあるもので、結局は癖になるものだ。そして、癖になってしまうと、何時までも隠し通すことはできない。必ず何時かは見つかり、その時、痛いしっぺ返しを受ける事になる。これを、まさかの落とし穴と言う。だから、常に見られてるという意識が大切だ。人が見ていないからではない。人が見ていないからこそである。これは迂直の計を裏から見た話だが、両面から抑えて欲しい。

誰もいない時に、仕事を一生懸命こなしていた。ある時、それを上司が偶然見かけた。それで上司の評価が変わり、チャンスを頂けた。逆も然り。誰もいないからと、仕事をさぼっていた。ある時、それを上司に見られた。こいつは人が見てない時はサボる人間と思われ、信用を失った。これが人情である。



---- 以下、余談 ----

今回は軍争を戦地に辿りつくまでの間と定義したが、文字通り軍が戦う事とする解釈もある。ただ、迂直の計は、敵の油断・慢心を誘い利で釣るという部分が核心であるため、どう定義しても言わんとする事は同じとなる。

軍争の難しさは、相手を油断・慢心させるためにあえて不利を装うが、実際に不利である事には変わりないため、ともすると一方的に不利益を被る事にあるという話に落ち着く。


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