2017年10月14日土曜日

孫子の兵法 軍争編その6

6、気、心、力、変

孫子曰く。「故に三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪うべし。この故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰。故に善く兵を用いる者は、その鋭気を避けてその惰帰を撃つ。この気を治むるものなり。治を以って乱を待ち、静を以って譁を待つ。これ心を治むるものなり。近きを以って遠きを待ち、佚を以って労を待ち、飽を以って饑を待つ。これ力を治むるものなり。正正の旗を邀うることなく、堂堂の陣を撃つことなし。これ変を治むるものなり。」



【解説】

孫子曰く。「三軍(上・中・下軍)の士気(気)を奪うために、敵将の心の隙を窺うべし。人の士気(気)は朝に鋭く、昼になれば惰れ、暮には尽(帰)きるものだ。故に戦上手は、士気の鋭い時間帯は避け、士気が低い時間帯(惰帰)をもって攻撃する。こうして敵の士気(気)を治めるのである。

万全の態勢(治)を以って敵の乱れを待ち、冷静に敵の心に隙ができる(譁)のを待つ。こうして心理戦を治めるのである。敵の遠征は引き付けて撃ち、敵が疲弊するまで待ち、敵が飢(饑)えるのを見計らう。こうして敵の力を治めるのだ。旗が正正としている軍と戦う事はなく、堂堂と布陣する軍を撃つ事はない。こうして負ける変化を治めるのである。」






結論を言えば、勝ち安きに勝つという話である。どの種の戦いを考えても、相手に全力を出させて良い事は無い。相手が持てる力を出せない時に、あっさり勝つのが勝負の鉄則である。そういう視点から、孫子の言っている事を読み返すと良い。

さて、説明に入ろう。まず考えて欲しい事がある。士気が高い軍と、士気が低い軍があったとして、どちらと戦うべきだろうか?少年漫画の世界では、士気の高い軍と正々堂々と戦うのが良いとされているが、リアルは全く逆である。士気が低い軍とこそ戦い、勝負は楽勝だったと言うのが理想である。士気が高い軍と戦っては粘り強いだろうし、その諦めなさに戦っていて嫌になるだけである。敵の士気が低い事の何と素晴らしい事か。

では、敵の士気が低いのが良いとして、どうしたら敵の士気を低く出来るだろうか?これが問題になるわけだが、孫子はこれを明快に説明している。孫子が言うには、朝昼晩で兵の士気は変わるそうだ。朝は士気が最も高い時間帯で、それが時間がたつにつれ低くなり、日が暮れる頃には士気は尽きる。ならば、士気が高いであろう朝から午前中にかけて戦うのは避け、士気が低くなる昼以降に戦うのが良かろうと言うのだ。

次は心理戦を考えて見るが、敵が冷静沈着で謙虚に構えてる時と、敵が慢心している時や、怒っている時に戦うのとどちらが良いか?勿論、後者が戦いやすい。ならば、敵の心が乱れ隙ができるのを待って戦うのが良いのは当然である。そして、遠征は疲れるのだから、敵には出来るだけ長い距離を遠征させるが良いし、敵の休息が十分では力を発揮されてしまうのだから、敵が疲れたのを見計らって戦うのが良い。食料も十分な時より、飢えている時が心理的な負担も加わり、疲労感が増す。敵の力を如何に制限して、能力を出させないようにするか?これが肝なのである。

こう考えて見れば、隊列が正正とした軍と戦うべきか?堂堂と布陣した軍と戦うべきか?答えは自ずと決まってくると孫子は言っているのである。勝負はやって見なければ分からない。勝つ変化もあれば、負ける変化もあろう。ならば、負ける変化に踏み込まないよう、細心の注意を払うのが名将と言えるのだ。

仕事で言えば、例えば、上司に怒られた時の対処方法を考えて見よう。仕事で怒られるのは致し方無い。上司は怒るのも仕事の内なわけだし、怒られない人もいないのだ。とは言え、時には納得がいかない事もあろう。絶対に自分が正しいはずなのに、上司が間違っているはずなのにと思う時はある。

だが、絶対に上司が怒ってる時に、部下側から反抗してはいけない。たまに反抗して、余計に怒られて上司の愚痴を言う輩がいるのだが、孫子の兵法からは全くなってないのだ。上司が怒ってるとは、言わば上司が刀を出しているという事だ。刀をだしている相手に戦いを挑む奴があるか。戦いを挑むなら刀を鞘に納めた時にすべきだろう。

上司が怒っている時は、ひとまず上司が正しいと素直に認める。それでも、どうしても納得がいかないなら、1週間くらい時間を置くと良い。1週間もすれば上司も怒りは収まっている。その時にあの時の件なんですがと、もう一度話をもっていくのだ。そうすれば、上司は今度は聞く耳を持ってくれる。流石に1週間ごしに同じ話をされたのだ。どうして部下はそんなにこだわるのかと考える。上司も聞く耳を持ってくれるだろう。孫子は相手が万全な態勢ならば、その態勢を避けよと繰り返し説いている。上司とのやり取りの中にも、そういった思考を取り入れると良いだろう。

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