2017年10月17日火曜日

孫子の兵法 九変編

1、君命に受けざる所あり。

孫子曰く。「およそ兵を用いるの法は、将、命を君に受け、軍を合し衆を聚め、圮地には舎ることなく、衢地には交わり合し、絶地には留まることなく、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。塗に由らざる所あり。軍に撃たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ戦争というものは、将が君主に命をうけ、軍を編制(合)し国民(衆)を集(聚)めるわけだが、沼地や森林などの進軍しにくい場所(圮地)には陣(舎)をはらず、様々な国が行き交う要所(衢地)では外交し、敵地深く進攻した地(絶地)に留まらず、敵に囲まれれば(囲地)謀で対応し、絶対絶命(死地)ならば勇戦する。

道(塗)には通ってはいけない道もあれば、軍には攻撃してはならない敵もいる。城には攻めてはいけない城もあれば、争って奪ってはいけない土地もある。君命とは言え、受けてはならない事もある。」






九変編という事で、まずは九編とは何かについて考えて見よう。九変は文字通り、九つに変化する状況の事を言い、孫子が戦争を大よそ9つに分けたと言う話である。だから結論を言ってしまうと、孫子は将たる者は状況に臨機応変に対応すべしと言っている。では、以下一つ一つ見ていく。



その1、森林や沼と言った進軍しづらい場所(圮地)

こういう場所では陣をはるような真似をしてはいけない。進軍しづらいのだから、攻撃しようにも速やかに攻撃できないし、攻撃されても逃げづらい。森林なれば火攻めの危険もあるし、沼地なら足を取られ弓の良い的となろう。およそ圮地に陣を張って良い事は無いのだ。



その2、様々な国が行き交う交通の要所(衢地)

二国間だけの問題なら、戦火を交えて奪うという選択肢も無いわけでは無いが、三か国以上の国が関わっている交通の要所ともなれば話はそう単純ではない。ある国に攻めた時に、他の国から攻められる事だって普通にあり得るのだ。様々な国の利害が交錯する場所では、外交にて利害を調整しなければならない。少なくとも他国が連合して攻めてくるような状況だけは、絶対に避けねばならないだろう。

およそ衢地では、戦火を交えられないのだから、選択肢は外交に限られる。ならば、外交で他国同士が離反するよう働きかけるのが上策となる。



その3、敵地に深く進攻した場合(絶地)

敵地に深く進攻した場合の、まず浮かぶ問題は補給である。軍は飯を食えている内は元気だが、飯が食えなくなると途端に士気が下がる。餓死するかも知れない不安の中、誰が強く戦えるだろうか?敵地に深く進攻すれば、その分長く伸びた補給路を狙われやすい。そのため、絶地に長くとどまるのは得策では無い。



その4、敵に囲まれた場合(囲地)

貴方が前後左右を囲まれたイメージして欲しい。貴方はどうするだろうか?孫子は、何か謀をし囲まれた状況に逃げ道を作れと言っている。敵と一言に言っても、新兵もいれば、古強者もいよう。防御の厚い場所もあれば、薄い場所もあるはず。そういった敵の状況を冷静に見て、防御網を突破できそうな場所を選び一点突破する。恐らくこういう事を謀と孫子は言ってるのでは無いだろうか?



その5、絶対絶命の場合(死地)

万策つきて絶対絶命と判断するなら、窮鼠とかし勇戦するしかない。降伏という手が無いわけでは無いが、降伏して助かるかは分からない。中国の歴史を見ると、降伏した敵兵を生き埋めにした例まであるのだ。それならば、窮鼠とかしたほうが命を拾うかも知れない。

死地にては、生より死を選んだほうが助かりやすい。こちらが絶対絶命と分かると同じく、敵も優勢または勝勢と認識している。言わば勝ち戦で命を落としたい者などいるわけもなく、そこを相手に強く反撃されると、命欲しさに逃げてしまうのが人情だ。これを武士道では、死ぬことと見つけたりと説明している。



その6、受けてはならない君命

孫子は勝利の条件に、君子が口出しをしない事をあげている。君子は将軍から見れば、軍事の素人である。その君子が口出しをすればどうなるか?およそ将軍が指揮をとったとは思えないミスをする事になる。軍事に関しては、将軍こそ第一人者なのだから、君命にも受けてはならないものはある。

将棋の話を紹介しよう。将棋で複数の棋士が合議によって将棋をさすイベントがあるが、彼らに言わせると、話し合うほど弱くなるのだそうだ。普通は話し合って指したほうが知恵が出て強くなると思うものだが、実際は手に一貫性がなくなり弱くなる。攻め好きな棋士が攻めれていたのに、守り好きの棋士が守ったほうが良いと言うので採用すれば、攻めとも守りとも、どっちともつかない中途半端な将棋になってしまう。結果として、勝率が下がる。プロの棋士同士でさえ弱くなるのに、素人の君子が口を出したらどうなるか?孫子が言わんとする事は、つまりそう言う事だろう。



このように状況に応じて、すべき事は変わってくる。そして、孫子はこう続けている。「通っていけない道もあろう。攻撃してはならない敵もあろう。攻めてはいけない城もあろう。奪ってはならない土地もあろう。受けてはならない君命もあろう。」この世に全く同じ状況など存在しないのだから、その時々の状況を自分の頭で考え、臨機応変に対応しなさいと。

仕事で考えて見よう。九変を今の言葉で言えば、要はTPOだ。髪形はいつも清潔に整っているか?服装はどうだ?靴は汚れていないか?そして、場に即しているか?一見当たり前の事だが、年を取るにつれ厚顔無恥になるもの。最初は頑張っていたけど、今ではとなるのが人間である。意識して直さなくてはならない。

と言うのも、人は見た目で判断されてしまうもの。自分は中身を見て欲しいと願っても、他人は外見でほぼ100%判断する。全身をブランド物で固めていれば、お金もってるんだなとか、社長さんかなと思うだろう?見た目が100%なのである。ただ、特に高い物を着込む必要は全くない。清潔感があれば良く、気を使ってる事が伝われば合格点である。

特に異性の評価では、これが顕著になる。例えば、イケメンだと何故か仕事ができるように見えるものなのだ。人間は結局好きか嫌いかなのだ。自分の好みだと、どうしても採点が甘くなる。中身を見て欲しいと思っても、人は中身はあまり見てくれない。それならば、見た目にこだわるのが得策と言うものだろう。

なお、ブランド物と言っても、新品もあれば中古もある。傷が少しついただけで、数十万の商品が数万になったりする。少しの傷なんて、遠目の他人は誰も気づかないわけで、傷があろうがなかろうが他人の評価は同じである。本当に新品にこだわる必要があるのだろうか?新品が良いと言うこだわりで、損している人が多い事にも触れて置く。


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