2017年10月29日日曜日

孫子の兵法 行軍編その7

7、数賞するは窘しむなり

孫子曰く。「数賞するは、窘しむなり。数罰するは、困しむなり。先に暴にして後にその衆を畏るるは、不精の至りなり。来たりて委謝するは、休息を欲するなり。兵怒りて相迎え、久しくして合せず、又た相去らざるは、必ず謹みてこれを察せよ。」



【解説】

孫子曰く。「しばしば(数)賞を与えるのは、士気が低下し困(窘)っている事の裏返しである。しばしば(数)罰するなら、兵士が言う事を聞かなくて困っているのだ。兵士達を乱暴に扱った挙句、後になって兵士の仕返しを恐(畏)れるのは、配慮を面倒臭がっている(不精の至り)。使節団が来て謝るとすれば(委謝)、軍の休息時間を稼ごうとしている(欲)。敵が怒気と共に攻めてきたのに(相迎)、時間がたっても(久)合戦にならず、かと言って去ろうともしないなら、必ず慎重(謹)にこれを観察しなければならない。」






まずは、さらに意訳してみる。孫子曰く。「賞は珍しいからこそ有難みがあるのだから、乱発するようでは軍の士気が低くなっていると見てよい。懲罰も同じで乱発すれば空気が悪くなるはずが、それをやらなくてはならない理由がある。恐らく軍首脳部は頭を悩ませているだろう。怒り方一つとっても、兵士の仕返しを恐れる将が多いなら、配慮が足りない軍と言わざる得ない。一事が万事だ。その配慮の足りなさは、必ず他の面でも出てこよう。

また、戦いの最中に、敵の使節団が来て贈答品と共に謝ってくることがあれば、それは本音と思わないほうが良い。敵は単に時間を稼ごうとしているのだ。恐らく軍が休息を欲しているのだろう。好機かも知れない。もし、敵が攻めてきたのに戦おうとせず、退却もしないなら、敵を良く観察しなさい。謀略の匂いがする。」

総じて、通常とは可笑しい行為があれば大よそマイナスなのだから、注意して観察せよと孫子は言っているのだろう。戦争の場合、攻めるタイミングを模索するわけだが、相手が準備できていない時に攻めるのが一番勝ちやすい。そう考えて見れば、孫子が何故こういった行為に注意しているのか分かる。今攻められたら困りますか?と聞いても、相手は全然問題ないと言うに決まっている。だが、ちょっとした事に敵軍のほころびが出ているものなのだ。

今回は特に日本と海外の文化の大きな違いである性善説、性悪説について考えて見よう。日本では人は生まれながらにして良いものであるとし、海外では人は生まれながらに罪を背負っていると考えている。この感覚の違いが、孫子の兵法でも見て取れるのだ。例えば、孫子は敵の使節団が謝りに来たのを、謝りに来たのではなく時間稼ぎに来たと言っているが、この感覚こそ性悪説だろう。

何故この話をしたかと言うと、日本人的な感覚で海外の文化を見ると危ないからだ。日本人も使節団が謝りに来たとして、それが時間稼ぎになる事は分かるだろう。しかし、時間稼ぎに来たとバッサリ斬れるだろうか?正々堂々や、惻隠の情を旨とする日本人にとっては難しい事のように思う。だが、孫子は性悪説に則ってるため、どうせ騙しに来たのだろうとバッサリ斬れてしまうのだ。日本人は海外の人も日本人と同じ感覚で生きていると誤解しがちだが、実は全く違う。簡単にだが、感覚の差を確認しておきたい。

遠からずAIによる自動翻訳機が出来、これからは言語の壁がなくなる。今までは英語だけは話せるように勉強しなさいと言われたが、これからは英語なんて勉強しているのかと言われるようになる。自分で不慣れな英語を話すより、自動翻訳機を通したほうが確実に伝わるようになるからだ。日本人は英語が話せない人が多かったために、国際交流が遅れた側面があったが、これからは言語の壁がなくなるため国際交流も進む事だろう。より海外の人と付き合うようになれば、性善説と性悪説の違いは必ず問題となる。誤解から足元をすくわれないよう、日本人に精神武装が求められている事を知っておきたい。


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