3、智者の慮は必ず利害に雑う。
孫子曰く。「この故に、智者の慮は必ず利害に雑う。利に雑えて、而して務め信ぶべきなり。害に雑えて、而して患い解くべきなり。この故に、諸侯を屈するものは害を以ってし、諸侯を役するものは業を以ってし、諸侯を趨らすものは利を以ってす。」
【解説】
(臨機応変に対応するとすれば)
孫子曰く。「故に、智者の思慮には必ず利と害が混在(雑)する。利を考える時は害も合わせて考える(雑)ため、当然のように(而して)物事(務め)が上手くいく(信)。害を考える時は利も合わせて考える(雑)から、当然のように(而して)不安(患)が解かれる。この故に、諸外国(諸侯)を屈服させる時は害を強調し、諸外国(諸侯)を使役しようと思えば仕事(業)をつくり、諸外国(諸侯)を奔走(趨)させるには利を強調する。
買い物を想像して欲しい。あれを買ったら、これは買えない。これを買ったら、あれは買えない。どっちを買おうか悩む事がないだろうか?実はこれが孫子が言っている事のイメージである。一方を手に入れるという利は、一方が手に入らないという害ともなる。利害は混在するという訳だ。このイメージを、買い物以外でも当てはまるよう一般化したのが孫子である。以下、これを踏まえて読んで欲しい。
さて、一長一短という言葉の示す通り、良い所ばかりのものもなければ、悪い所ばかりのものもない。どんなものも良い所もあれば、悪い処もある。ならば、両面から物事を捉える事ができるのが智者であると、孫子は説く。
そして、物事を両面から捉えられると、例えば、将来に見込める利益だけでなく、将来に被るであろう損害も同時に考えられる。そのため、将来に損害を被ったとしても、予め想定していたのだから慌てる事は無いし、例え想定外だったとしても、損害だけを被るという事もないのだから、必ず得られた利益を探し出し不安を解消できる。一長一短という言葉を、例え悪いと感じても、必ずや良い処もあると解釈できるのが智者だと、孫子は言うのである。
また、何かをする時、利益ばかり考えたらどうなるだろうか?例えば、博打をする金を借金で賄う人を考えて見よう。彼らは博打で儲ければ良いとお金を借りるのだが、もし博打で負けたらどうなるかは考えていない。博打が必ず勝てるなら博打と言わないわけで、博打は勝てないからこその博打である。大抵は借りた金をすって終わるのが世の常であろう。そして、借金取りに追われ、家まで取られたという例がごまんとあるわけだ。
もし、彼らが金を借りる時に、借金取りに追われる姿を強く想定していたらどうだろう?恐らく自分の身の丈にあった遊び方をしたに違いない。だから、結果として大失敗する事はなく、裏返すと、物事が上手くいくとも言えるのだ。
その1、諸外国を屈服させるには害を強調
最近の例で言えば、例えば、北朝鮮へのアメリカの対話と圧力と言う姿勢も害を強調している。対話に応じなければ、分かってますよね?と迫る事で、相手に害を強く意識させているのだ。ポーカーの国らしい極めて効果的なやり方である。ポーカーでは、相手に降りろとハッタリを嚙ますだろう?ハッタリかどうかわからないからこそ、相手は降りるのだ。
諸外国への中国からの援助もそうである。いう事聞かないなら、借金を返してもらえませんか?と迫るわけだ。最近はベネズエラに、ドル決済を止めて人民元決済に移るよう求めている様子だが、これは借金という害を強調しながらベネズエラに屈服を迫ってるとも言える。
その2、諸外国を使役するには仕事を与える
ここ数年は日本で観光立国という言葉が叫ばれ、駅などの公共機関のアナウンスに英語以外の外国語も加えられているが、これも実は孫子の兵法どおりの展開とも言える。観光客として外国人が多く訪れるようになると、その観光客で商売しようと日本では商売が盛り上がる。これが孫子の言う仕事を与えるという事だ。外国からすれば、自国の民を日本に旅行させることで、日本に仕事を与えている。
しかし、外国人客を見込んで大きく設備投資などをしてしまうと、大きな問題を将来に抱える事になる。例えば、突然、外国人が来なくなったらどうだろう?設備投資をするために、銀行からお金をたくさん借りたのに、その返す当てがなくなってしまう。そうすると、企業を潰さないために、外国に強い交渉が日本から出来なくなるのである。怒らせて渡航禁止にされては観光産業が潰れてしまうからだ。こうなると、観光産業に外国の政府の意向を反映するようになり、つまり、日本の観光産業が外国に使役されたと言える。これを孫子は「諸侯を役するのは業を以ってし」と言っているのである。日本はこういう危機感も持たねばならないだろう。
その3、諸外国を奔走させるには利を強調
例えば、数年前のインドネシアの新幹線受注の話を考えて見よう。結果としては、日本が中国に敗れたわけだが、では実際にインドネシアで新幹線の工事が行われているかと言えば、行われていない。驚いた現実であるが、そもそも何故日本は敗れたのだろう?
それは、日本が数億円もかけて実地調査をしたデータが、賄賂によって中国へ横流しされていたからだ。そして、そのデータを基に中国が話を進めたため、実現性はともかく日本より良い話を提供する事ができた。しかし、これは表面的な理由で、実際は一重に賄賂の問題だろう。東南アジア諸国での取引では、例えば大統領が「で、俺に幾らくれるのか?」と聞いてくるらしい。それを中国は良く知っているため、たんまり賄賂を食わせたわけだ。
日本の常識からすれば、工事を受注しときながら、出来ませんは詐欺にあたるわけだが、何故かそれがインドネシアでは通ってしまっている。中国はインドネシアを利によって奔走させたとも言えるわけだ。勿論、インドネシア側も騙されたわけでは無く、国際情勢における中国と日本の立ち位置を鏡みて、中国に従うべきと判断したのだろう。さらに言えば、騙すことは悪いと感じている日本人が等身大で勝負し、ハッタリでも相手には大きく見せる中国文化に一本とられたと言えるかも知れない。孫子が言うように、物事は如何様にも解釈できるのである。
さて、仕事で考えて見よう。物事は両面から捉えるとはどういう事だろうか?例えば、上司に怒られたとしよう。怒られて嫌という気持ちは分からないでもない。普通はそうだろう。ただ、考えて欲しい事があるのだ。それは、怒られているという事は、まだ目をかけてもらっているという事ではないか?という事だ。目を掛けなくなったら、人は無視するもの。それが、上司はまだ怒っているでは無いか?それに気づけた時、嫌な気持ちは消える。「まだ怒ってくれるのか、有難い」と言える者は、気に入られるしストレスもない。まさに知恵者なのである。
これを孫子は言っている。害があれば、利もあるもの。どちらを見るかで、物事は見え方が変わる。愚者は害のみを意識し、知恵者は利を見て心の不安を取り除く。
孫子曰く。「この故に、智者の慮は必ず利害に雑う。利に雑えて、而して務め信ぶべきなり。害に雑えて、而して患い解くべきなり。この故に、諸侯を屈するものは害を以ってし、諸侯を役するものは業を以ってし、諸侯を趨らすものは利を以ってす。」
【解説】
(臨機応変に対応するとすれば)
孫子曰く。「故に、智者の思慮には必ず利と害が混在(雑)する。利を考える時は害も合わせて考える(雑)ため、当然のように(而して)物事(務め)が上手くいく(信)。害を考える時は利も合わせて考える(雑)から、当然のように(而して)不安(患)が解かれる。この故に、諸外国(諸侯)を屈服させる時は害を強調し、諸外国(諸侯)を使役しようと思えば仕事(業)をつくり、諸外国(諸侯)を奔走(趨)させるには利を強調する。
買い物を想像して欲しい。あれを買ったら、これは買えない。これを買ったら、あれは買えない。どっちを買おうか悩む事がないだろうか?実はこれが孫子が言っている事のイメージである。一方を手に入れるという利は、一方が手に入らないという害ともなる。利害は混在するという訳だ。このイメージを、買い物以外でも当てはまるよう一般化したのが孫子である。以下、これを踏まえて読んで欲しい。
さて、一長一短という言葉の示す通り、良い所ばかりのものもなければ、悪い所ばかりのものもない。どんなものも良い所もあれば、悪い処もある。ならば、両面から物事を捉える事ができるのが智者であると、孫子は説く。
そして、物事を両面から捉えられると、例えば、将来に見込める利益だけでなく、将来に被るであろう損害も同時に考えられる。そのため、将来に損害を被ったとしても、予め想定していたのだから慌てる事は無いし、例え想定外だったとしても、損害だけを被るという事もないのだから、必ず得られた利益を探し出し不安を解消できる。一長一短という言葉を、例え悪いと感じても、必ずや良い処もあると解釈できるのが智者だと、孫子は言うのである。
また、何かをする時、利益ばかり考えたらどうなるだろうか?例えば、博打をする金を借金で賄う人を考えて見よう。彼らは博打で儲ければ良いとお金を借りるのだが、もし博打で負けたらどうなるかは考えていない。博打が必ず勝てるなら博打と言わないわけで、博打は勝てないからこその博打である。大抵は借りた金をすって終わるのが世の常であろう。そして、借金取りに追われ、家まで取られたという例がごまんとあるわけだ。
もし、彼らが金を借りる時に、借金取りに追われる姿を強く想定していたらどうだろう?恐らく自分の身の丈にあった遊び方をしたに違いない。だから、結果として大失敗する事はなく、裏返すと、物事が上手くいくとも言えるのだ。
その1、諸外国を屈服させるには害を強調
最近の例で言えば、例えば、北朝鮮へのアメリカの対話と圧力と言う姿勢も害を強調している。対話に応じなければ、分かってますよね?と迫る事で、相手に害を強く意識させているのだ。ポーカーの国らしい極めて効果的なやり方である。ポーカーでは、相手に降りろとハッタリを嚙ますだろう?ハッタリかどうかわからないからこそ、相手は降りるのだ。
諸外国への中国からの援助もそうである。いう事聞かないなら、借金を返してもらえませんか?と迫るわけだ。最近はベネズエラに、ドル決済を止めて人民元決済に移るよう求めている様子だが、これは借金という害を強調しながらベネズエラに屈服を迫ってるとも言える。
その2、諸外国を使役するには仕事を与える
ここ数年は日本で観光立国という言葉が叫ばれ、駅などの公共機関のアナウンスに英語以外の外国語も加えられているが、これも実は孫子の兵法どおりの展開とも言える。観光客として外国人が多く訪れるようになると、その観光客で商売しようと日本では商売が盛り上がる。これが孫子の言う仕事を与えるという事だ。外国からすれば、自国の民を日本に旅行させることで、日本に仕事を与えている。
しかし、外国人客を見込んで大きく設備投資などをしてしまうと、大きな問題を将来に抱える事になる。例えば、突然、外国人が来なくなったらどうだろう?設備投資をするために、銀行からお金をたくさん借りたのに、その返す当てがなくなってしまう。そうすると、企業を潰さないために、外国に強い交渉が日本から出来なくなるのである。怒らせて渡航禁止にされては観光産業が潰れてしまうからだ。こうなると、観光産業に外国の政府の意向を反映するようになり、つまり、日本の観光産業が外国に使役されたと言える。これを孫子は「諸侯を役するのは業を以ってし」と言っているのである。日本はこういう危機感も持たねばならないだろう。
その3、諸外国を奔走させるには利を強調
例えば、数年前のインドネシアの新幹線受注の話を考えて見よう。結果としては、日本が中国に敗れたわけだが、では実際にインドネシアで新幹線の工事が行われているかと言えば、行われていない。驚いた現実であるが、そもそも何故日本は敗れたのだろう?
それは、日本が数億円もかけて実地調査をしたデータが、賄賂によって中国へ横流しされていたからだ。そして、そのデータを基に中国が話を進めたため、実現性はともかく日本より良い話を提供する事ができた。しかし、これは表面的な理由で、実際は一重に賄賂の問題だろう。東南アジア諸国での取引では、例えば大統領が「で、俺に幾らくれるのか?」と聞いてくるらしい。それを中国は良く知っているため、たんまり賄賂を食わせたわけだ。
日本の常識からすれば、工事を受注しときながら、出来ませんは詐欺にあたるわけだが、何故かそれがインドネシアでは通ってしまっている。中国はインドネシアを利によって奔走させたとも言えるわけだ。勿論、インドネシア側も騙されたわけでは無く、国際情勢における中国と日本の立ち位置を鏡みて、中国に従うべきと判断したのだろう。さらに言えば、騙すことは悪いと感じている日本人が等身大で勝負し、ハッタリでも相手には大きく見せる中国文化に一本とられたと言えるかも知れない。孫子が言うように、物事は如何様にも解釈できるのである。
さて、仕事で考えて見よう。物事は両面から捉えるとはどういう事だろうか?例えば、上司に怒られたとしよう。怒られて嫌という気持ちは分からないでもない。普通はそうだろう。ただ、考えて欲しい事があるのだ。それは、怒られているという事は、まだ目をかけてもらっているという事ではないか?という事だ。目を掛けなくなったら、人は無視するもの。それが、上司はまだ怒っているでは無いか?それに気づけた時、嫌な気持ちは消える。「まだ怒ってくれるのか、有難い」と言える者は、気に入られるしストレスもない。まさに知恵者なのである。
これを孫子は言っている。害があれば、利もあるもの。どちらを見るかで、物事は見え方が変わる。愚者は害のみを意識し、知恵者は利を見て心の不安を取り除く。
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