2017年10月27日金曜日

孫子の兵法 行軍編その6

6、利を見て進まざる者は労るるなり

孫子曰く。「杖つきて立つは、飢うるなり。汲みて先ず飲むは、渇するなり。利を見て進まざるは、労るるなり。鳥の集まるは、虚しきなり。夜呼ぶは、恐るるなり。軍の擾るるは、将重からざるなり。旌旗動くは、乱るるなり。吏怒るは、倦みたるなり。馬を殺して肉食するは、軍に糧なきなり。軍、缻を懸くることなくしてその舎に返らざるは、窮寇なり。諄々翕々として徐に人と言うは、衆を失うなり。」



【解説】

孫子曰く。「兵が杖をつきながら立っているのは、飢えているからだ。水を汲んだ兵が先ず水を飲んだなら、その軍は渇きに苦しんでいる。有利な戦況なはずなのに進攻しないなら、疲(労)れているのである。鳥が集まっているなら、人がいない(虚)のだ。夜に呼び声がするのは、恐れているに他ならない。

軍が騒(擾)がしいのは、将軍に威厳(重)が無いからである。旌旗が揺れ動くのは、将兵に混乱が生じているのだ。役人(吏)が怒っているなら、兵が疲れて怠けている(倦)。馬を殺して肉を食しているなら、軍に食料が無い。軍が炊事道具(缻)を吊(懸)り下げず宿舎に戻(返)らないのは、決死の覚悟(窮寇)をしているからだ。上官が懇切丁寧(諄々翕々)にゆっくり(徐)と部下に話すのは、部下の気持(衆)が離れているのだ。」






孫子は色々な切り口で分析している事が伝わってくる。遠目にも敵の状況は、兵士の姿であったり、旌旗の動き、動物の動きに現れる。特に動物の動きは人間が装うのが難しいため、動物の動きは推論を決定づける根拠となるかもと思う。兵士が杖をついていたり、旌旗がやたら揺れ動くようでは、敵に良からぬ事が起きているのは言うまでも無いだろう。

そして、より近くから見た時は、上官の言動に軍の士気が現れ、牛馬を処分しているかどうかに糧の状況が現れる。夜に大声を出せば敵にも聞こえるのに大声を出すという事は、気持ちを紛らわせているのだろう。つまり、怯えている兵が多そうだし、軍が騒がしいなら上官を軽視しているの可能性が高い。言わば、学級崩壊の状態だ。孫子は様々な例を通して、何気ない事が良くチェックされていて、何気ない事を見れば相手が透けてくる事を説いているのである。


  • 何気ない事から相手が透けて見える。
  • 何気ない事が良くチェックされている。


普段の生活でも、この教えはとても大切である。例えば、子供である。子供の躾では3つ事が大切と言われる。まず大きな声でハイと返事が出来る事、次に有難うと言える事、そして履物を揃えられる事である。理由は単純である。それが出来ると大人に可愛がられるからだ。可愛がられると子供に良い事が起きる。だから昔から子供可愛さに、こういった事を躾たわけだ。

考えてもみて欲しい。大きな声でハイと返事をする子供がいたら、厳しく育てられてると思わないか?小遣いを上げた時、ありがとうと言われれば悪い気がしないだろう。履物が揃えている子供を見たら、しっかりした家だと子供の姿から家を想像するものだ。逆はすべて、しょうがない子共だの一言となる。えらい差であろう。

勉強して良い学校に入る事が教育と錯覚する人が多いが、本当にそうだろうか?今一度、見直さねばならないだろう。例えば、日本の最高学府の東京大学をイメージして欲しい。挨拶もできない、有難うも言えない、靴もそろえない東大生がいたとする。恐らく東大でてるから調子に乗っていると言われるだろう。人情とはそういうものだ。だが、礼儀正しく、靴もきちっとそろえる東大生だったらどうだ?流石に東大生は違うと言われるのだ。人は頭の良さではなく、何気ない事でこそ評価するのである。何気ない事から相手が分かり、何気ない事こそがチェックされている。これが孫子の兵法である。



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