2017年10月4日水曜日

孫子の兵法 軍争編その2

2、百里にして利を争えば・・・。

孫子曰く。「故に軍争は利たり、軍争は危たり。軍を挙げて利を争えば則ち及ばず、軍を委てて利を争えば輜重損てらる。故に甲を巻きて趨り、日夜処らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争えば、則ち三将軍を擒にせらる。頸き者は先だち、疲るる者は遅れ、その法、十にして一至る。五十里にして利を争えば、則ち上将軍を蹶す。その法、半ば至る。三十里にして利を争えば、三分の二至る。故に、軍、輜重なければ則亡び、糧食なければ則ち亡び、委積なければ則亡ぶ。」



【解説】

孫子曰く。「故に軍争は利ともなり、ともすれば危ともなる。全軍を挙げて戦地に先着(利)しようとしても及ばないし、全軍は諦(委)めて行ける者だけで先着(利)を目指すなら、輸送部隊(輜重)を捨てねばならない。

故に兜(甲)を脱いで体に巻いて走り、日夜関係なく通常の倍を進み、百里の遠征をして先着(利)を競うなら、上軍、中軍、下軍の三将軍が捕縛(擒)されてしまう。強(頸)き者だけが先を行き、疲れた者から遅れていき、おおよそ到達は一割となるからだ。これが五十里の遠征になると、先鋒隊である上将軍が倒(蹶)れる事になる。この場合、到達は半分となる。三十里の遠征になると、これが三分の二だ。軍は輸送(輜重)がなければ亡ぶし、糧食がなくても亡ぶし、蓄え(委積)が無くても亡ぶのだ。」





迂直の計は、あえて不利な行為をし、利で相手を釣る。そのため、相手が罠と気づいたなら一方的に不利益を被る事となる。軍争は仕掛けた罠に相手がはまれば利益となるが、罠を回避されてしまう危険性もあるのだ。

さて、軍争を具体的に考えて見よう。まず、速度の異なる騎兵、歩兵、輸送兵を戦地に連れて行く事をイメージして欲しい。どうしたら早く戦地に到着できるだろうか?理想的なのは、全ての兵が一緒に戦地に速やかに辿りつける事だ。軍の戦力が損なわれ無いし、戦地で十分に戦う事ができる。

だた、これをすると兵ごとの行軍速度の違いが大きく響く事になる。足の速い騎兵でさえ、足の遅い輸送部隊に速度を合わせなければならないのだ。戦地への先着争いをしている最中に、輸送部隊の速度に全軍の速度を合わせるのは如何なものだろうか?おそらくは敵に先着を許す結果となる。最も遅い輸送部隊の速度で行軍しては、流石に敵の速度に及ぶまい。

では、全軍一緒はひとまず諦めて、速度重視で考えて見る。速度勝負をして、速度で負けてはしょうがない。まずは勝負に勝つ事を念頭におき、騎兵の足の速さを活かしてどうだろう?騎兵の速度なら、敵より早く戦地にたどり着ける。足の遅い輸送部隊は置いて行くしかないが、騎兵だけでも戦地に送れば速度勝負に勝ちやすいではないか。ただ、この場合も、騎兵だけで敵と戦えるのか?という根本的な問題に直面する事になる。軍争で勝っても、その後の戦いで負けてしまっては意味が無いのである。

輸送部隊は軍において非常に重要だ。おおよそ輸送部隊からの補給がない軍は亡ぶ。食料もなく、財貨もなければ、どうして軍を維持できようか?腹がへっては戦は出来ぬのだ。先着したいからと輸送部隊を犠牲にしては、辿り着いても戦えない。しかし、輸送部隊がいては足が遅くて敵の先着を許す。軍争はかくも難しい。そして、孫子はこれをより具体的に論じている。

例えば、100里の遠征をするとしよう。鎧は軽いものにし、日夜問わず通常の倍を行軍し、ひたすら戦地へ向かう。この場合、戦地には早く着くが、辿り着けるのは精々1割となる。軍の中でも強い者だけが到着し、残りは疲れた者から途中で脱落してしまう。1割の兵力で敵と対峙すれば結果は見えていて、上軍、中軍、下軍の3将軍ともに捕まってしまう事だろう。

これが50里の遠征ならば、大分改善され半分は戦地に辿り着ける。だが、半分の兵力で敵と対峙すれば、やはり結果は見えている。先発隊である上将軍は倒れる事になる。さらに30里の遠征とすれば、また改善され3分の2が戦地に辿りつけるが、それでも3分の2の兵をもって敵と対峙せねばならない。

軍争を考えれば足の遅い輸送部隊は省きたいが、輸送なしでは軍が維持できない。このジレンマを解決するのに一番良いのは、敵方に足を止めてもらう事だ。敵の足がとまるなら、此方の速度は関係ない。そして、迂直の計という発想に至るのである。迂直の計自体にも危険はあるが、成功すれば軍争の問題は解決する。よく知恵を絞られたしと、孫子は言っているのである。

将棋の話を紹介しよう。プロの将棋は基本的に定跡と呼ばれる、過去の経験上良しとされている指し方同士の戦いとなる。将棋は徳川家康の時代から家元がいて、その時代から400年あまり研究されてきたのだ。不完全とは言え、勝ちやすいとされる指し方が出来上がっている。

こういった理由からプロ同士の戦いは定跡が自然と多くなるわけだが、定跡は通常は先手良しとして作られている。先手から手番は始まるのに、先手がわざわざ後手良しの手順に踏み込まないと言ったほうが良いかも知れないが。こういった理由から、プロの対局は先手は定跡どおりに指して、後手は定跡通りでは負けるため定跡から外れて指すというパターンになりやすいのだ。

しかし、ここで迂直の計が試される事がある。定跡は絶対ではなく、あくまで過去の経験上は優勢と見られているという事だ。そのため、優勢では無く、実は劣勢なのだと発見する事が出来ると、途端に迂直の計のチャンスとなる。プロ同士の対局なのだから、お互い定跡くらいは知っている。そこで例えば、先手有利とされている形に後手から誘ったらどうだろう?素人なら定跡知らないのかと思うだろうが、プロから見れば大きな誘いに見えるはず。なんせ相手が自分に勝たせてくれるわけが無いのだ。

しかし、先手有利という過去の経験が、孫子の言う利によって鎌首をもたげるのである。先手有利が常識なのだからと、先手は不信に思いながらも踏み込む事だろう。そこで後手は新手をだして、相手をバッサリ斬り捨てるのである。(先手と後手入れ替えても同じ)

将棋の世界では羽生善治永世6冠が、こういった事をして今の地位を築いたと言われ、将棋の解明を100年は縮めたと言われる所以である。今では研究と言う言葉に集約されるこういった行為も、実は孫子の兵法で言う迂直の計なのだ。相手を利によって誘い、そして不利を有利に変える。一見有利に見える定跡どおりの展開は、プロ同士の対局では怖かったりするのである。

仕事の話も紹介しよう。ただ、迂直の計で仲間の力をそぐという話を紹介してもしょうがないので、逆の話を紹介する。昔から出すから入ってくるから出入口とか、喜ばせる者が喜ばされると言われる。情けは人の為ならずという言葉もある。実はこういった言葉は、迂直の計で説明できる。

一見不利だと思われる相手を喜ばせる行為が、最終的には貴方を助ける事になる。不利を有利に変え、そして相手に利を提供して釣っている。迂直の計そのものでは無いか?

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