2016年3月20日日曜日

自分の話を最初に聞いてくれる人

読者も悲しいとき、楽しいときに誰かに話し、その悲しみを紛らわしたり、楽しかった思い出をより鮮明にした経験があるだろう。自分などは失敗した経験や、辛かったことをネタにして話すのが好きだ。誰に話そうかと考えて思い浮かぶ人はその話の内容によって変わってしまうが、どんな話題の時だって一番最初にその話を聞いてくれる人は決まっている。そういう人を大切にしなければいけないよと話を進めても良いのだが、それはまたの機会にするとして、自分の話を最初に聞くのは自分自身という話を紹介したい。

自分の話を最初に聞くのは自分自身という話がある。人間はその構造上、話した言葉を最初に自分の耳で受け取る。これは見落としがちだが、例えば誰かに愚痴をこぼすと、それは自分に愚痴をこぼしている事となる。誰かの愚痴は聞いた経験があれば、それを聞くのが大変な事は想像つくと思うが、実は愚痴を吐いている本人は、愚痴を吐くと同時に愚痴の聞き役に回っている事になるのだ。そのため、愚痴を言えば言うほどに、自分に愚痴という暗示をかけていることになり、愚痴を言って気持を紛らわすつもりが、逆に調子が悪くなるなんてことも起きる。誰かに愚痴を言ってスッキリすると言った話も見かけるが、愚痴を聞いてるのは自分自身という話も覚えておきたい。

誰しも誰々は嫌いだと言った経験くらいはあるだろう。でも、こういうネガティブな言葉は言わないほうが良い。脳みそはその仕組み上、相手と自分の区別をつけられないのだとか。誰々が嫌いと言ったはずなのに、脳みそ単位では自分を嫌いと言っているのと同義になるそうだ。あまりに嫌いと言いすぎると、自分が相当に嫌われている人間として脳みそには認識されてしまう。ネガティブな言葉は言われたほうも、言うほうも大きなダメージを負いかねない危険な行為なのだ。

逆に、誰々がすごいとかほめる等、ポジティブな言葉を多く話すようにするとどうなるだろうか?脳みそがどう認識してくれるか懸命な読者なら想像に容易いことと思う。周りを褒めれば、周りは幸せだ。でも、実のところ、脳みそ単位では自分をほめてる事にもなる。褒めて褒めて褒めまくれ。基本的に良いことしかない。

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