2019年11月28日木曜日

里仁 第四 21

【口語訳21】

孔子先生がおっしゃった。父母の年齢は知っておきなさい。長寿を喜ぶためにも、老い先を気遣うためにも。



【解説】

親の年齢を知っておけば、親が高齢から体が不自由になってきている事を意識しやすい。自然と老い先を気遣え、孝行にも身が入りやすくなる。また、長寿を喜べば、可愛げのある子となろう。人間は老いは嫌がる傾向があるが、長寿は好む傾向があるから。

なお、孔子の言葉を逆から読むと赴きが変わる。例えば、長寿を喜んでいる事を親に伝えるにはどうしたら良いかと考える。すると、まずは父母の年齢を知らねばとなる。故に、孔子は先ずは父母の年齢を知っておきなさいと言っている。例えば、老い先を気遣いたいと考えて見る。すると、まずは父母の年齢を正確に把握したほうのが良いとなる。そこで、孔子は先ずは父母の年齢を知っておきなさいと言っている。孔子は倒置法を使って父母の年齢を知る事を強調しているわけだが、倒置法を外してみると、また景色が違って見えるのだ。孝の根本は親を気遣う心にある。長寿を喜びたい、老い先を気遣いたいと言う気持ちこそが孝の根である事を確認して欲しい。その気持ちが先ずあって、その具体的な方法の一つに年齢を知るというアドバイスがある。この順番が大切だ。



【参考】

為政6為政8も孔子が孝行について触れているので、参考までに。


2019年11月25日月曜日

里仁 第四 20

【口語訳20】

孔子先生がおっしゃった。父の死後、3年そのしきたりを改めないならば、孝子と言っても良いだろう。



【解説】

父の面子に注目してみると良い。例えば、父の死後すぐにしきたりを変えた息子がいたとする。すると、この息子は父とうまく行ってなかったのだろうかと言う疑いをもたれても文句は言えない。父のしきたりを変えるという事は父を否定する面があるから、生前は親子仲が悪かったと考えたほうが自然だからだ。となると、家族をまとめられなかった家長という事で父の面子が潰れる。父の面子を潰しておいて孝子とは言えまい。逆に、3年もの間父の言いつけを守っている息子がいたとしよう。すると、どう見えるかと言うと、父は生前しっかりと世話をしていたから、息子は父が死んだ後になっても慕って言いつけをきちんと守っているとなる。家長として立派だったとなろう。故に孝子と言っても良いと言う。

3年という期間については諸説あるが、ポイントは死後も十分に長い期間という理解にある。何故なら、くどいほど長く時間をかけねば、周りの人には伝わらないから。人間、例えば1か月のような短い期間なら、孝行している振りができる。本当はそんな気持ちはないが、体裁だけ整えるわけだ。だが、3年もの間振りが続くなら、それはもう振りと言えず本物と言って差し支えない。

また、孔子は為政7において、食わせるだけならば犬や馬にだって食わせている。親を敬わずに孝と言えるものかと指摘している。この視点で考えても良い。というのも、人は尊敬している人の言う事しか聞かないし、逆に尊敬している人の言っている事ならばやってみるかとなるもの。こう考えて見ると、父の死後すぐにしきたりを改めた息子は、父を尊敬していたようには見えない。故に孝子とは言い難い。しきたりを改める、改めないなどのちょっとした事からも人間性は垣間見えるのだ。



【参考】

なお、今回は学而11と同じ内容のようなので、学而11の解説も参考になるだろう。こちらは中国人を意識して書いてある。為政7も合わせてどうぞ。

2019年11月23日土曜日

里仁 第四 19

【口語訳19】

孔子先生がおっしゃった。父母の存命中は、遠くへ遊びに出かけてはいけない。仮に出かけるにしても、必ず行く先は告げる事だ。



【解説】

子の年齢によって多少のニュアンスの変化がありそうだが、総論で言えば、子が遠くへ遊びにいけば親は心配する。行く先すら分からないなら、親の心配は如何ほどのものになるか。その親心を察っせれないようでは、とても孝子とは言えないというアドバイスとなろう。孝の根本は、親に心配をかけまいとする心の有り方にある。だから、遠くへ遊びに行ってはいけないと単に言葉通り理解してはいけない。寝ても醒めても子の帰りを心配する親心に心を配るならば、とても遠くへ遊びに行けるはずが無いという順番で理解したほうが良い。そう考えるなら、行先を伝えずに遠出するなど論外だと分かる。特に中国人の場合、現代でも世界中に中華系の出稼ぎ労働者がいるように、歴史的に遠くへ出稼ぎに出かける事も苦にしない傾向がある。また、治安も良いとは言えず、特に子共は誘拐される危険性もある。この辺の事情に孔子は心を痛めたのかも知れない。

なお、他の解釈として、遠くに遊びに行っている内に両親に何かあれば申し訳が立たない、もしくは遠出している間は両親の世話ができないからとも考えられるが、やはり上記のように心の有り方を軸に解釈するのが筋だろう。君子なれば道理を抑えるべし。




【参考】

中国と日本では多少文化の違いがあると思うが、親心を理解するに最適な「感恩の歌」を紹介する。




感恩の歌      竹内浦次 作

あわれ同胞心せよ  山より高き父の恩
海より深き母の恩  知るこそ道の始めなれ

児を守る母のまめやかに  わが懐中を寝床とし
かよわき腕を枕とし    骨身を削る哀れさよ

美しかりし若妻も  幼児一人育つれば
花の顔いつしかに  衰えゆくこそ悲しけれ

身を切る如き雪の夜も  骨さす霜のあかつきも
乾ける処に子を廻し   湿れる処に己れ伏す

幼きものの頑是なく   懐中汚し背をぬらす
不浄をいとう色もなく  洗うも日々に幾度ぞ

己は寒さに凍えつつ   着たるを脱ぎて子を包み
甘きは吐きて子に与え  苦きは自ら食うなり

幼児乳をふくむこと    百八十斛を越すとかや
まことに父母の恵みこそ  天の極まりなき如し

若し子の遠く行くあらば  帰りてその面みるまでは
出ても入りても子を憶い  寝ても覚めても子を念う

髪くしけずり顔ぬぐい  衣を求めて帯を買い
美しきもの子に与え   古きを父母は選ぶなり

己れの生あるそのうちは  子の身にかわらんこと思う
己れ死にゆくその後は   子の身を護らんこと願う

よる年波の重なりて  いつか頭の霜しろく
衰えませる父母を   仰げば落つる涙かな

ああ有難き父の恩  子は如何にして酬ゆべき
ああ有難き母の恩  子は如何にして報ずべき

はえば立て立てば歩めの親心 わが身につもる老いをわすれて

世を救う御代の仏の心にも似たるは親の心なりけり




2019年11月19日火曜日

里仁 第四 18

【口語訳18】

孔子先生がおっしゃった。親に仕えては、それとなく諫めるが良い。親が聞いてくれない場合も、また元の通り敬って逆らわない事だ。苦労させられたとて恨むでないぞ。



【解説】

他人は自分の思い通りにはならない。それは例え親であっても同じである。大切なのは操縦から、導くに意識を変える事だ。第一、そのほうが労が少ない。故に、親に仕えては、それとなく諫めると言う。それとなくと言う言葉に、導くと言う意識を感じると理解しやすいだろう。逆に普通に諫めてしまっては何が問題になるかと言うと、親が感情的になってしまうかも知れないという事だ。本当は子の言う事にも一理あると思っていても、面子を気にして素直になれなくなる。これが相手を操縦しようという意識では上手くいかない理由で、この場合、貴方は何故言う事を聞いてくれないとストレスを抱えるのが落ちとなる。

親が諫めを聞いてくれない場合、他人は自分の思い通りにならないのが普通なのだから、本来聞いてくれないからと言ってどうという事もない。それを感情的になって逆らってしまえば、親も感情的になってしまって余計に聞いてもらえなくなる。苦労させられたと恨むものなら、育てた恩を忘れた親不孝な子を持ったと嘆かれるのが関の山となる。だから、親が諫めを聞いてくれなくても敬って接するほうが良い。親を敬い逆らわずに従っていれば、親も子が可愛くなるし、感心する。そうなれば、少しは子の言う事も聞いてやるかとなるのが人情だ。親に言う事を聞いて欲しければ、逆らわず孝行に励むのが最善なのである。故に、親が諫めを聞いてくれない場合であっても、元通り敬って逆らわず、苦労させられたとて恨まないと言う。

なお、立派な官僚という視点で考えると、親不孝の疑いをかけられないためにも細心の注意を払うという理解でも実利に適っている。官僚ともなれば、親を敬まえない者に他人を敬えるはずが無いと言われては、非常にまずい事もあろう。そう考えれば、逆らうのはご法度、恨むのはご法度、親の面子を潰さないためにそれとなくと諫めるのも当然となる。個人主義的に考えれば、このほうがスッキリするかも知れない。




【参考】






2019年11月18日月曜日

里仁 第四 17

【口語訳17】

孔子先生がおっしゃった。賢者を見ては、見習う。愚者を見ては、内省する。



【解説】

一言で言えば、人の振り見て我が振り直せという話だが、何故そう言われるのかを少し掘り下げて説明しよう。優れた人になるには、優れた人の真似をするのが早い。出来れば優れた人と行動を共にし、その方の思考のパターン、所作を出来るだけ真似をする。そうしている内に優れた人とどんどん似通っていくから、当然ながら自分も優れた人にどんどん近づいていく。これを波長が合うと言う。優れた人と波長があうと、恐らく人間関係も変わり始める。人は波長の合わない人と一緒にいても居心地が悪いため、以前付き合っていた友人達とは疎遠になっていくのだ。以前付き合っていた友人達は、自分が変わる前の波長と合う友人達なので、自分が変わってしまえば考え方のあわない人達になるからだ。逆に言えば、友人が一新するような状況にならねば、自分が本当に変わったとは言えないと思っても良い。少々極端に感じるかも知れないが、普通の人が優れた人と波長を合わせればそういう結果を招くはずなのだ。そして、優れた人と同じ波長になった貴方には、同じく波長のすぐれた人達が新しい友人になってくれるようになる。優れた友人達に囲まれた貴方は、チャンスにも恵まれるようになり、自然と人生が好転していくだろう。

次に愚者を見て内省する理由だが、愚者と波長を合わせないためと考えても良いかも知れない。愚者の愚者たる所以は、波長が愚かであるにつきる。そのような者と行動を共にし同じ波長になってしまうなら、自分も愚者になってしまう。そうすると上記とは逆に、優れた友人達は去り、代わりに愚者の友人達が集まってくる。水は低きに流れ人は易きに流れるというように、賢者になるよりも愚者になるほうが簡単であるため、孔子が君子になるはずの貴方に警告を発したとも言えよう。愚者にならないための秘訣は、愚者を見た時、自分にも同じ部分がないかと内省する事に尽きる。そうする事で愚者は他山の石となり、ある意味では師とさえなるのである。優れた者だけでなく、愚者さえも師とできたなら、まさに盤石となろう。

なお、君子を立派な官僚として解釈するなら、賢者とは出世の糸口をつかんだ者、もしくは出世している者だ。実利で考えるなら見習うのは当然となる。愚者は逆に出世コースから外れた者、もしくは出世の糸口をつかめなかった者になるから、我が身の事として内省するのも当然となる。

2019年11月14日木曜日

里仁 第四 16

【口語訳16】

孔子先生がおっしゃった。君子は道理をさとり、小人は損得をさとる。



【解説】

人生の勝ち負けにこだわるわけでは無いが、あえて人生全体を一つの勝負と考えてみると、君子が万事道理を大切にするのは、それが負けづらい手であるからと考えても良い。損得のみを考えた言動はその場限りでは良い思いをする事もあるだろう。だが、後々咎められる可能性も高く、後顧に憂いを残すとも言える。人生を近視眼的に考えるのではなく、雄大に長い目で捉えるなら、後顧に憂いを残す事は極力するべきでは無い。長い時間の中では、必ず咎められるときが来るのだから。これは例えば、政治家の汚職など良い例となる。彼らは賄賂を受け取ってその場では良い思いをしたはずだし、その時はバレないと思っているはずだが、しばしばTVや新聞を騒がすようなニュースに発展している。こうなって見れば、賄賂を受け取った事は馬鹿だったとさえ言える。ルールを破ったらいけないは子供でも知っている道理だが、道理をきちんと実践しているかは、長い時間のなかでは効いてくるのである。勿論、道理に従っていれば必ず成功できると言ったものでは無く、損得のみを考えては必ず失敗すると言うものでも無い。なかには損得のみで成功している者もいる。ただ、どちらが勝ちやすいかと考えた時に、君子は道理を重んじ、小人は損得に走る傾向があると考えて見たい。要は勝ち安さの問題である。

なお、君子を立派な官僚という意味で解釈するなら、君子でなければ国を潰す。小人には安心して政治は任せられないと言える。また、単純に考えて、道理をさとらねば応用がきかず、目先の損得に走るは実質的に損と考えても良い。経験を経験として活かすには、道理を把握しなければならないのも、また道理なのだから。





【参考】

将棋の世界にはプロとアマチュアがいるわけだが、プロとアマチュアで何が決定的に異なるかと言えば、将棋の腕の他に持ち時間がある。アマチュアの対局では精々数十分の持ち時間の処、プロになると数時間に増え、タイトル戦などは2日にわたり対局がされたりする。この持ち時間の差が、将棋の指し手の発想に決定的な差を生む事になるという話がある。アマチュアは相手の持ち時間が短いため、その短い持ち時間をついた手も有力な選択肢となる。実力者が見ると無理筋の手であっても、考えられる時間が短い中では実戦的なのである。詰み将棋もかける時間によって正答率は変わるように、考える時間が無ければ受けを間違うからだ。そのため、ただ局面を複雑にすれば、読みが追い付かないため勝負になる。

プロにこういった発想が無いかと言われれば、勿論ある。将棋は間違ったほうが負けるゲームという性質上、劣勢の祭は局面を複雑にして難しくしておくという事は一つの勝負術となる。故・米長永世棋聖などはそういった事が得意だったような気がする。だが、こういった発想は劣勢だからこそする事なので、プロのレベルではアマチュアほどの効果は期待できない。プロは腕もさることながら持ち時間も長いため、無理筋な手はきちんと受けられてしまう事が多いからだ。そのため、プロは持ち時間があっても関係が無い手、言い換えれば、棋理に沿った手を指そうと心がける。棋理にそった手なれば相手に咎められる心配なく、勝率に直結するからだ。君子の発想もここらへんに由来するのではないか。





2019年11月12日火曜日

里仁 第四 15

【口語訳15】

孔子先生がおっしゃった。参くんや。我が道は一つの道理を貫いてきたのだ。曾子が答える。さようでございます、と。孔子が去ると、他の門人達が曾子に尋ねた。どういう意味ですか、と。曾子が答える。師の道は忠恕に尽きると言えましょう。



【解説】

今回は後に孔子直系の後継者となる曾参の若かりし頃と、晩年の孔子のやり取りの一コマと考えると自然だ。年齢差46歳らしいので、この会話がなされた時、孔子は70前後だったと考えられる。孔子からすれば孫ほどの年齢である曾参に対し、自分の人生を語りたくなった。そう考えると、どこにでもありそうな日常の風景になる。

さて、まずは話の流れを整理しよう。孔子が自分の人生は一つの道理を貫いてきたと言うと、曾参はすぐに同意した。さようでございます、と。さすがに後に儒家の中心的人物となる曾参だけあって、心得たものと言えよう。その事に安心したのか、孔子は満足して部屋を後にした。だが、このやり取りを傍目で見ていた他の門人たちには、孔子が何故満足して部屋を後にしたのか分からないかったらしい。そこで曾参に孔子の貫いてきた道理は何かと聞いた。すると曾参は、師の道は忠恕の一語に尽きると答えたというのが話の流れとなる。

というわけで、孔子が貫いてきたという忠恕とは何かになるが、忠は偽りのない心と言う意味で、真心と訳される。忠の字を見ると中にある心と書くくらいだから、最も中にある心の部分と考えれば、忠=真心というニュアンスが感じ取れ理解の助けになるだろう。次は恕だが、恕は相手の心を察すると言う意味で、思いやりと訳される。恕は女の口に心と書くだろう。女と言うのは相手の心を察するのが得意な生き物である。表情、しぐさ、声色の微妙な変化に敏感で、ちょっとした変化から相手の心情を推し量る。そして優しい言葉を話す。こういったニュアンスが恕という字に現われていると考えれば、恕が思いやりという意味になるのも分かるような気がする。まさに心の如くである。なお、こういった女の能力は、生まれたばかりで言葉を全く話せない我が子を育てる時、我が子のちょっとした変化から、我が子の状態を察する事ができるように備わったのではないかという説がある。話が脇道にそれたが、忠恕の道は真心と思いやりの道であり、つまり孔子が歩んできたのは仁の道というのが結論になる。孔子は孫くらいの年齢の子に、先生は真心と思いやりの人生を歩まれてきましたと褒められて気持を良くしたわけだ。まさに我が意を得たりであっただろう。

なお、この話を教訓として活かすなら、以下3つの質問を考えて欲しい。全てYESなら君子の素養が備わっている。


  •  自らの人生を貫く道理はあるか?
  •  忠恕の道を歩んでいるか?
  •  曾参くらいに上司を理解しているか?




【参考】

女性の特徴の段は、以下の本を参考にした。


2019年11月10日日曜日

里仁 第四 14

【口語訳14】

孔子先生がおっしゃった。地位が無いからと言って嘆かない。地位にふさわしい実力があるかを心配する。知られないからと言って嘆かない。知られるような実力をつける事を求める。



【解説】

地位は結局のところ、運否天賦の世界である。地位にふさわしい実力があれば地位を得られるかと言うと、その実力を妬む者が上にいれば、邪魔をされて不遇に追いやられる。逆に、実力が無くても、その実力が無い事を上が気に入れば、厚遇されて出世してしまう。それが世の中だ。上がどのような人物であるかは巡り合わせとしか言いようがなく、まさに天のみぞ知る世界であるから、地位が無い事を嘆いても仕方がない。人間に出来る事は、少なくても地位が与えられた時に、その地位にふさわしい実力が備わっているようにして置くに尽きる。そうしている内に、上が変わってしまうというのも世の中なのだから。故に、地位を嘆くより、地位にふさわしい実力を心配したほうが良いと言う。

知られないからと言って嘆かないのは、世の中は知られれば良いと決まったものでもないから。実力が無いうちに世に知られれば、あるいは名折れとなる事も考えられる。名折れとなっては、失った信用を取り戻さなければならないと言う意味で、零どころかマイナスからのスタートとなってしまう。知られないから良かったという事もあるのである。大切な事は、自分に都合の良い事だけを考えず、公平に都合の悪い事も想定する事である。そうすれば、知られない事を嘆いても仕方ないと分かる。世に知られるかどうかは、やはり天の範疇であるから、人事を尽くして天命を待つが最良の選択肢なのである。故に、知られないからと言って嘆かず、実力をつける事に専念すると言う。

また、他の解釈として、君子は愚痴を言わないと考えても良いだろう。



【参考】

学而16と同じ内容の模様。学而16の解説も合わせてどうぞ。

2019年11月9日土曜日

里仁 第四 13

【口語訳13】

孔子先生がおっしゃった。礼制と謙譲の精神のもとで国を治めるなら、何の難しい事があろうか。礼制と謙譲の精神のもとで国を治められないなら、礼制は何の役に立とうか。



【解説】

礼制が必要な理由は、要は便利だからだ。どういう事かと言うと、例えば、いくら心で敬意を示しても、心で思うだけでは相手に敬意は伝わらないという問題がある。そのため、相手に敬意を伝えるためには、相手にも分かる形で具体的に敬意を示さなければならないとなる。そうすると敬意を示すための共通の所作があったほうが良いとなり、それが社会規範として発達する事になる。そして、そういった社会規範が洗練されると礼制と呼ぶようになるわけだ。礼制に則ることにより、相手にあらぬ誤解を与えてしまうリスクも避けられるため、誤解から喧嘩になる事もなくなり、言わば高いレベルでの非言語コミュニケーションも可能になる。

このように礼はコミュニケーション手段が増えると言う意味で便利であるのだが、一方で、良くも悪くも形式に過ぎず、言わば化粧のように見た目を整えたに過ぎないと言う問題もある。いくら見た目を整えても、お互いが自分の利益を主張するばかりで実質的な折り合いがつかなければ、それはそれで喧嘩になってしまうものだ。そこで必要になってくるのが謙譲の精神と考えるとスッキリするだろう。つまり、利害が対立しても、お互いが相手を尊重して譲り合うならば喧嘩にならないと言うわけだ。故に、礼制と謙譲の精神のもとで国を治めるなら、国を治めるのに何の困難も無くなる。相手を侮辱せず、その誤解をうけず、相手を尊重し利益を譲るなら、どうして喧嘩になろうか。喧嘩にならないなら、何の困難があろうか。いや、無いというわけだ。

また、礼制と謙譲の精神のもとで国を治められないなら、礼制が役に立たない理由も上記の通りである。謙譲の精神ぬきでは、利害対立した場合に喧嘩になってしまう。これは、お互いが礼儀に則りながら皮肉を言い合う姿を想像すれば分かりやすいだろう。笑顔で皮肉を言い合う姿などグッタリするのでは無いだろうか。



1、礼に通ずる事こそエリートの証

君子を立派な官僚として考えると、円滑に仕事を行うために喧嘩を避けたいという実務上の理由のほかに、礼に通ずる事で生じるエリート意識も抑えておきたいポイントとなろう。と言うのも、一般人は礼に通じてはいないし、知っていてもおぼろげに知っているだけだ。そのため、礼に通じる事で自ずとエリート意識が芽生えるし、礼に通じた者同志の仲間意識を強める事にもなる。エリートは嫉妬され仲間外れになりやすい事を考えると、この仲間意識は処世術として大変重要となる。ここら辺の事情が孔子が仁を説く一端でもある気がする。