2018年11月29日木曜日

八佾 第三 3

【その3】

子曰く、人にして不仁ならば、礼を如何いかんせん。

人にして不仁ならば、楽を如何いかんせん。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。

思いやりに欠けた人の礼が、礼と言えるだろうか?

思いやりに欠けた人の楽が、楽と言えるだろうか?



【解説】

形式ばかり追い求め、天子の真似事ばかりしている三桓氏を皮肉ったのだろう。


1、人を見て法を説け

人を見て法を説けと言うように、礼楽も人を見て行う事が肝要で、相手を思いやってこそ礼楽も活きる。例えば、朝の挨拶を考えて見よう。朝はおはようございますが礼儀だが、おはようございますの言い方一つで、相手の気分を良くする事も、害する事もできる。明るい笑顔でにこやかに挨拶すれば相手も気持ち良いが、面倒くさそうに明後日の方向を向きながら挨拶するなら非常に印象が悪いだろう。もし相手への思いやりがあれば後者の挨拶は選ばないし、選べない。故に、思いやりが大切となる。

例えば、朝に聞きたい音楽と言っても、その好みはそれぞれだ。音楽は聞きたくないと言う人もいれば、目を覚ましたいからアップテンポの音楽が良いという人もいる。にもかかわらず、相手の好みも把握せずに音楽を流したらどうなるだろう?音楽は聞きたくない人にはうるさいと思われるだけだし、スローテンポの曲を流すならアップテンポを好む人の好みには合わない。故に、音楽も相手への配慮があって初めて活きる。相手への思いやりが大切なのだ。



2、礼楽は心の所作

そもそも礼は、自分の敬意を相手に伝えるために作られたものだ。そして、楽は礼を引き立てるための音楽である。だから、作られた当初は相手への敬意がある事は当然だったはず。だが、礼楽がマニュアル化されるようになると、この敬意と言う部分が忘れ去られ、単なる形式としてだけ礼楽が行われるようになる。だが、相手への敬意がこもらない形式のみの礼楽では、殺風景で何ら心に訴えるものが無い。だから、心を大切にしろと孔子は言っている。言葉にださずとも、心は相手に伝わるから。

例えば、自分が相手を嫌っていれば、大概は相手も自分を嫌っている。自分が相手を好いていれば、大概は相手も自分を好いている。だから、礼楽の前に、まず自分の心を相手への敬意であふれさせねばならない。そうすると、敬意が相手に伝わり、礼楽が形式のみから本来の姿となる。そして、何故そこまで気を使えるかと言うと、相手への思いやりがあるからである。故に、思いやりに欠ける礼楽は、礼楽ではないとなる。



【参考】

楽は、祭祀で奏でられる音楽と舞の事。



【まとめ】

人は結局、心だ。



2018年11月28日水曜日

八佾 第三 2

【その2】

三家者さんかしゃようを以って徹す。子曰く、たすくるもの辟公へきこう(諸侯)あり。天子穆穆てんしぼくぼくたり、と。なんぞ三家の堂に取らん、と。




【口語訳】

三家老は、雍の詩で祭祀の供え物を下げた。孔子が言う。雍の詩には、祭祀を助ける諸侯がいて、天子は威儀を正し奥ゆかしいとある。この詩がどうして三家老にふさわしいものか。



【解説】

三桓氏(三家老のこと)は祭祀の終わりに雍の詩を用いているが、詩の内容と三桓氏の実態が一致していないと、孔子は批判している。まず詩には祭祀を助ける諸侯とあるが、格上である諸侯がまるで臣下のように大夫である三桓氏の祭祀のために集うわけがない。また、三桓氏は大夫として魯の昭公を助ける役目を担うはずが、助けるどころか討伐して魯から追い出している。こんな詩の内容と反する三桓氏が雍の詩を用いても、自らを天子と言わんばかりと言う所だけが鼻につくのだろう。

孔子から見れば、三桓氏は服を逆さに着ている事に気づかないようなものだから、逆さだよという言葉が喉まででかかったはず。実際、孔子は昭王が魯を追い出され斉に逃れたおり、後をおって自らも斉に行っている。序列を重んじる孔子には、序列を無視した振る舞いをする三桓氏が鼻持ちならなかったのだろう。孔子36歳の時だった。



1、三桓氏の視点から見る

三桓氏からすれば、雍の詩で供え物を下げるのは大変意義がある。周王朝から許された天子と同様の祭祀を自分達が行えば、自分たちこそが魯の正当な後継者にふさわしいと暗に言う事になるからだ。三桓氏は分家の流れとは言え、もともとは王族の一員であったわけだから血筋的にも何の問題もないし、宗家が没落し今権勢を誇るのは我らとなれば、次を望めば自らが王として諸侯の仲間入りをするくらいになる。そこで、力を誇示するために、雍の詩になるわけだ。

ただ、雍の詩を使うと、詩で歌うところの天子は自分達になるため、問題は魯だけにとどまらず、周王朝にすらたてついた事になる。序列を重んじる孔子には、とても許せるような話では無かった。なお、政治的には、周王朝に賄賂を贈れば何とでもなった問題だろうと思う。周王朝は魯に天子級の祭祀を許可していたわけだし、魯内の問題であるならば周王朝は眼をつぶれる。三桓氏が祖先である周公旦を祭りたいと、多額の賄賂を持参するなら周王朝も断れまい。賄賂がちらつくし、周公旦は建国の英雄であるから。



【参考】

1、雍は、詩経の周頌の篇名。

2、徹は、供え物を下げる事で撤饌(徹饌)の意味。

3、穆穆は、威儀があり奥ゆかしいの意味。

4、堂は、儀式を行う場所。寺の御堂の堂。






【まとめ】

表裏、両方から見ると理解が深まる。

2018年11月27日火曜日

八佾 第三 1

【その1】

孔子、季氏を謂う。八佾(はちいつ)庭に舞わしむ。是れ忍ぶ可くんば、敦(いず)れをか忍ぶ可からざらん、と。



【口語訳】

孔子が季氏について批評した。季氏は八佾(はちいつ)を庭で舞わせている。これが平気ならば、何が平気でないと言うのだろう。



【解説】

孔子が問題にしている八佾(はちいつ)は、天子だけに許された舞の名称である。その天子の舞を季氏が庭で舞わせるという事は、天子に比べればはるか格下であるはずの季氏が自分が天子だと主張してる事になる。故に、これが平気ならば何が平気で無いと言うのだろうと孔子は言っている。

現代で例えれば、平社員が社長と同じ待遇を要求したと言う話で、それを端から見ていた孔子が、お前は平社員だろと憤ったいう状況だと思えば良い。






1、舞楽で使える人数が序列を表す

八佾(はちいつ)の佾は舞の列を意味し、八佾(はちいつ)は縦横8列の舞を意味する。具体的に言うと、八佾(はちいつ)は8列×8列で64人の舞である。当時は舞に使える人数が序列を示したため、64人は天子のみに許され、これが諸侯になると6列×6列で36人となり、大夫になると4列×4列で16人までしか許されなかった。季氏は大夫であったから、当時の常識からすれば16人の舞が相応しく、大夫が64人も舞わせるなどとんでもない話なのである。



2、季氏が八佾(はちいつ)に至る経緯

魯の初代は周王朝建国の功績もある周公旦の子であったためだろう。周王朝から特別な待遇を受け、祖霊を祭るに八佾(はちいつ)を許されていた。そのため、季氏の祖先にあたる15代目の桓公も、国廟で八佾(はちいつ)によって祭られる。

だが、孔子の時代になると、すでに宗家から力が失われ分家の季氏が権勢を誇るようになっていた。そこで、季氏からすれば、今は此方のほうが力があるという事なのだろう。自らの祖先である桓公を祭るのに、庭で八佾(はちいつ)を舞わせたわけだ。王のもとに臣下が集う姿が美しいと考える孔子からすれば、季氏は許されるはずのない行為をしたと言える。

なお、季氏は単独で八佾(はちいつ)をしたわけでは無く、同じく桓公を祖先にもつ孟孫氏、叔孫氏と合同でしたようだ。季氏は桓公の正妻の流れ、孟孫氏と叔孫氏は側室の流れであったため、季氏が筆頭として取り仕切った。政治的には分家同士で結束を強める意味合いがあり、宗家である王に対抗する狙いもあったと思われる。



【参考】

1、忍は容認の意味する。

2、庭(てい)は舞が行えるような庭で、植木や池がある観賞用の庭ではない。季氏は、庭に桓公の廟(墓)をつくり祭っていた。



【まとめ】

礼を失すると綾が付く。

2018年11月26日月曜日

為政 第二 24

【その24】

子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、諂(へつら)うなり。義を見て為さざるは勇無きなり。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。祭るべきでない魂を祭るのは、諂(へつら)いだ。正義と知りつつ為せないのは、勇気が無い。



【解説】

死者の魂を祭る話をしているため中国人の死生観から説明すると、中国人は人間は死んでも個性は失われず、地下の世界で生きていると考えている。その彼らにあって、祭るべきでない魂を祭る意味は何かという話を孔子はしているわけだが、素直に考えれば、地下の世界から自分を祟らないで欲しいという気持ちや、死後も貴方に従うから力を貸して欲しいという気持ちの現れであろう。故に、祭るべきでない魂を祭る事が諂(へつら)いとなる。

そして、本来祭るべきでない魂を祭るのは、道義に外れると知りつつも死者にすがりたい、又は死者を怖がるゆえなのだから、臆病者で勇気が無いとなる。



1、生まれ変わりとの比較

まず生まれ変わりの説明をすると、生まれ変わりは輪廻転生とも言い、今世の行いによって死後何に生まれ変わるか変わるという死生観である。その生まれ変わる先が6つあるため、六道輪廻とも言う。これは仏教や儒教より古くからあるインドに伝わる考え方であり、それが中国を通って日本に伝わった。

この生まれ変わりによれば、人は死後に生まれ変わってしまうのだから、死者の魂を祭っても何の利益も無い。なんせ生まれ変わり、別の姿で生きているのだから。そう考えるなら、死後に墓場を作る事も可笑しいとなるし、死者を祭ると言う話もしっくりこない。死者はすでに死者ではない可能性があるからだ。故に、生まれ変わりを信奉する人間からは、孔子のように死者に諂(へつら)うという言葉は出てこない。生まれ変わりと、中国人一般の死生観を比較して欲しい。孔子の言葉への理解が深まる気がする。



2、孝行に反するという視点

孔子は親の死後も3年は喪に服すのが良いと言っているし、親の意を汲んで生きるのが孝行であるとも言っている。その親は地下でご健在だと言うのに、親族以外の魂を祭る息子が孝行息子と言えるだろうか?中国では親孝行が最も尊ばれるため、孔子が諂(へたら)いと斬って捨てるには、孝行に反するという意味もある気がする。

なお、日本には仏壇に自分の家に関係の無い魂を祭ると、ご先祖様が居心地が悪いと霊障を起こすという伝承もある。家に関係のない魂は、例え親であっても同居していなければお寺にお願いするか、墓参りで済ますのが良いとか。



【参考】

1、鬼は死者の魂を意味する。

2、義は己の理想や志の上で正しい事であり、一般的な正しさとは違う。



【まとめ】

普通が一番。


2018年11月25日日曜日

為政 第二 23

【その23】

子張問えらく、十世知る可きか、と。子曰く、殷は夏の礼に因り、損益する所知る可し。周は殷の礼に因り、損益する所知る可し。其れ或いは周に継ぐ者、百世と雖(いえど)も知る可きなり、と。



【口語訳】

子張が訪ねた。十世後の事であっても知る事は出来るでしょうか?孔子が答える。殷の礼制は、夏の礼制を基にしている。周の礼制も殷の礼制を基にしている。例え周が亡びる事があっても、次の王朝は周の礼制を基にするのだから、百の王朝が変わったとしても分かるよ。



【解説】

この場合、百世たっても変わらない礼とは何かが問題となる。諸行無常という言葉の通り、世の中に永遠のもの等一つ足りと無い。世の常識など百年と言わずとも親と子ですら変わる。にもかかわらず、孔子は百の王朝が変わろうが知る事ができると言う。その心は、中国の本質は時代が変わっても変わらないと理解するとスッキリするかも知れない。

例えば、中国では皇帝が最も徳が高い人物であるから、天から地上の統治を委任されたと考える。そして、天から委任された事をもって、皇帝がする事は全て天の采配と独裁を敷く。基本的に皇帝は何をやっても許されるわけだが、何故そうなるかと言えば、それくらいの強力な権限が皇帝に無いと中国と言う地域は治まらないという事情がある。中国では50を超える民族が共生し、民族の数だけ常識があり、民族の数だけ利権がある。この状況で話し合いをしても、まとまるはずが無い。まとまらねば戦乱になるのだから、民はたまったものではない。故に、圧倒的絶対者の采配に委ねて戦乱を避けたほうが良いと考えるのである。

そして、この状況はいくら王朝が変わらろうが変わらないだろう。ならば、皇帝という絶対者の下で、中国がまとまるという中国の礼制も変わらないと考える。そして、これは統治者側に都合が良いルールであるため、尚の事、王朝が変われど去就される。故に、孔子は百の王朝が変わったとしても分かると言う。



1、曹操と劉備に見る中国の礼制

三国志に曹操が自分が他人に背こうとも、他人が自分に背く事は許されないと言ったという逸話がある。その理由は自分が天子(皇帝)だからである。それ以上でも、それ以下でもなく、曹操の強烈な個性と言うよりは、天子(皇帝)とはそういうものと解釈したほうが中華社会の考え方に近いだろう。

この曹操の発言に対し、劉備は自分は他人が自分に背こうが、自分は他人に背かないと言ったという逸話もある。これを日本では聖人のように紹介している様子だが、中国の文化を知れば、そのような解釈は出来ないのでは無いかと思う。劉備は50歳で諸葛亮を手に入れるまで、鳴かず飛ばずのゴロツキに過ぎなかった。その彼が頼れるのは漢王朝の血を引いているという事だけなのだから、他人が自分に背こうとも、自分は背かないとなる。むしろ、天下の主になるためには背けないと言ったほうが正しいかも知れない。この場合、他人とは漢民族の事であり、異民族は含まない事は当然という認識が良い。



2、時代が変わっても変わらない物を把握する

例えば、前王朝と現王朝の間で、変わったものと変わらなかったものを調べると、その歴史の変遷が見えてくる。前々王朝と前王朝でも同様にすると、前々王朝から現王朝まで変わらなかったものが分かる。変わった習わしより、変わらなかった習わしが特に大切で、今まで数百年と変わらない習わしなら、これから数百年も変わらないだろうと推測できる。故に、百の王朝が変わろうとも知る事ができるとなる。

例えば、中国では親孝行が最も大切な徳目だが、それが時代と共に変わるだろうか?恐らく今後も変わらないだろう。親孝行の在り方は変わるかも知れないが、親孝行が大切な徳目である事は変わらない。ならば、時代が変わっても、親孝行を基にした礼制になるに違いない。



【参考】

1、流行という言葉があるが、時代が変われば、時代に合わなくなったものが引かれ、時代に合うものが新たに加えられるもの。この様を損益と言う。損が引く、益が足すを意味する。


2、世は、王朝と捉えずに、30年と捉える説もある。後者によれば、百世は300年を意味するが、かなり長い時間というニュアンスは変わらない。



【まとめ】

時代が変わっても、人間の本質は変わらない。



2018年11月21日水曜日

為政 第二 22

【その22】

子曰く、人として信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車輗(げい)無く、小車軏(げつ)無くんば、其れ何を以て之を行らんや。



【口語訳】

孔子先生がおっしゃった。言っている事とやっている事が違う人間が、信頼できた試しは無い。例えるなら、牛車や馬車に横木が無いようなもので、それでどうやって走ると言うのだ。



【解説】

一言で言えば、人間は言行一致が大切という話だが、現代人からすると特殊な比喩を使っているため、その比喩を解説する。下の画像を見て欲しい。






馬の胸の部分を見て欲しい。馬と馬とを繋いでいる横木があるだろう。横木がなければ、双方の馬が同じ方向に走るだろうかと考えて欲しい。素直に想像すれば、片方が右にそれ、もう片方は左にそれれば、前に進めないと考えるのが自然だ。つまり、横木があるからこそ、双方の馬が同じ方向に走り、馬車は安定して前に走れるのである。故に、言っている事とやっている事が違う人間は何をするか分からない事から、横木のない馬車のようなものと評する。

孔子の時代は人を運ぶ馬車を小車と呼び、小車の横木を軏(げつ)と呼んだ。次は大車を紹介する。下の画像を見て欲しい。






見ての通り、荷物を運ぶために小車のサイズが大きくなったものが大車であり、馬車から牛車になる。そして、しっかり横木が備わっている事を確認して欲しい。大車の場合は横木を輗(げい)と呼ぶが、小車の軏(げつ)と同じものだ。同じ横木でも小車と大車では呼び方は変わるという話となる。参考までに絵も紹介しておく。軏(げつ)と輗(げい)は、下の絵の右下の横木で軛(くびき)の事だ。






横木がなく言う事を聞かなくなった車を、言う事とやる事が違う人間に例えた孔子の比喩は秀逸である。言行一致の大切さをみなおすキッカケとしたい。



【参考】

日本人は農耕民族であるから、実るほど頭をたれる稲穂かなと、人を稲穂に例えたりする。だが、狩猟民族である中国では、牛や馬など牧畜の延長で人間を考えたりする。今回の孔子の例え話が何故出てくるのかと言うと、民族性の違いに発端があるのだ。中国と言えば宦官が有名だが、宦官は牧畜で数が増え過ぎないように去勢するように人間も去勢し始めたのが始まりと言われる。彼らは異民族を動物と考える傾向がある事も相まって、孔子も言行不一致の愚かしさを牧畜の延長で例えたわけだ。

日本では宦官がいなかったが、中国に限らず牧畜文化のある国ではアラブであれ、ヨーロッパであれ宦官の歴史がある。これはあくまで説だが、そう考えて見ると、孔子の考え方の一端が垣間見えるようである。



【まとめ】

信用は得難く失いやすい。

by 松下幸之助




2018年11月20日火曜日

為政 第二 21

【その21】

或るひと孔子に謂いて曰く、子奚(なん)ぞ政を為さざる、と。子曰く、書に云う、孝か惟(こ)れ孝、兄弟に友に、有政に施せ、と。是れ亦政を為すなり。奚(なん)ぞ其れ政を為すを為さん、と。



【口語訳】

ある人が孔子に尋ねた。何故貴方は政治をなされないのか?孔子が答える。書を見れば、孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せとあります。家庭もまた一つの政治なのです。すでに政治の場にいる私が、どうして政治をなす必要がありましょうか?



【解説】

書に云う家庭は所謂一般家庭では無く、言わば城であり、小国家となる。背が高い壁に囲まれ、中を見れば望楼と呼ばれる物見やぐらがあり、水濠と呼ばれる足止めの堀、雇われた私兵がいるというイメージになる。故に、家庭も一つの政治となる。



1、弟子を通じた政治参加

孔子は30歳ころから私塾を開き、74歳で死ぬまで弟子の育成に励んでいた。孔子の教えを受けた弟子達は、孔子に感化されて各々士官していった事だろう。ならば、孔子が政治の現場にいなくても、政治は孔子の影響を受ける事になる。故に、家庭(私塾)も一つの政治となる。弟子を通じて政治に参加する事もできるのだ。

この場合、親を孔子として孝、兄弟に友は兄弟子と弟弟子は仲良くと解釈する。



2、政治の基本は家庭にあり

家庭内は基本的に利害が一致する。例えば、父親が偉ければ息子は七光りを受けるものだし、息子が出世すれば父親も楽ができる。兄弟も他人の始まりという言葉こそあるものの利害が一致する事は多く、兄に力があるのに弟が虐められる事は少ないし、逆も然りである。しかし、利益が相反しやすい他人ではこうはいかない。

政治とはある意味で利害を調整する機関である。様々な人の不平不満や要望を、優先順位をつけて調整する。その調整がうまく行けば善政となるし、調整が一方的となり納得がいかない人が多ければ悪政となる。そう考えてみると、最も利害を調整しやすいのは親子間となるし、次いで兄弟間、そして他人の順番と分かる。つまり、親子間で上手くやれない人間が政治をするのは難しく、兄弟間で上手くやれない人間では、他人とも上手くやれないのが自然だ。故に孝行に励み、兄弟に友に、それを政治に施せと書は言う。



3、陽貨説について

ある人は陽貨ではないかと言う説がある。陽貨は孔子が48歳の時に士官させようとした人物であるため、確かにある人が陽貨だとしても自然かも知れないが、陽貨については陽貨編にまとまっているだろう。にもかかわらず、ある人と書くかと言う疑問もある。

個人的には、孔子は69歳まで士官先を探していたと考えているため、70歳以降のやり取りの記録とするのが自然と思う。70歳の孔子ならば、すでに士官を諦め弟子の育成と古典の編纂に集中していたし、弟子達も立派になっていた。そして、政治家としての実績もあり、その頃の孔子が家庭も一つの政治と言ったならば言葉に重みがある気がする。とは言え、若かりし頃のやり取りとしても可笑しくは無いが、70歳の孔子が言った場合とは言葉のニュアンスが変わる。



【参考】

孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せ。この言葉だけならば、親兄弟と接するように政治を行えという意味に思える。一方で、家庭も一つの政治と言われれば、家庭が小国家の意味ならば、士官しない理由はこれだけで十分である。現代風に言えば、仕事が忙しく政治家をする余裕がないと言ったわけだから。しかし、孔子は孝行に励み、兄弟仲良く、それを政治に施せと言った後に、家庭も一つの政治であると続けている。何故そう繋がるのか?この感覚が興味深い。

察するに、中国の個人主義の裏返しなのだろう。中国では親兄弟も政治の一部と考えるのが一般的ならばスッキリする。中国人を評して、親が亡くなっても泣かないが、お金がなくなれば大騒ぎする中国人と言った人がいたが、政治の一部ならば納得だ。優先順位の高い政治が親であり、優先順位が劣る政治が他人という感覚なのだろう。確かにそういう言い方も出来る。



【まとめ】

親を説得できない人間に、他人は説得できない。

2018年11月18日日曜日

為政 第二 20

【その20】

季康殿が尋ねられた。「民が私を敬愛し、進んで善行に励むようになる。そのような方法はないだろうか」と。老先生が答えられた。「堂々としている事です。そうすれば敬われます。親が子を慈しみ、子は孝に励む。そういう家庭の民は忠実なものです。自ら範を示されるのも良いでしょう。加えて、善人を登用し能力の乏しい者を教育させるのです。善行をするようになります」と。





【解説】

真心で生きていれば、自然と背筋が伸びる。この様を壮と言う。真心は親子の情愛のなかで確認しやすい。ゆえに孝慈が則忠となる。何事もまずは知ることから。教育なしでは始まらない。善を挙げて不能を教える所以である。



おおよそ人から敬愛され続けるには、力と人柄の両方が必要である。力だけでは反感を呼ぶ事はあっても敬われるのは難しい。人柄が良ければ敬われるかも知れないが、力に対し脆弱であり、敬われた状態の維持に難点がある。壮だけでもいけない、忠だけでも足らない。不能を教育するのは、共通の価値観を持つためである。何が善で、何が悪かを合わせなければ、何をもって敬愛したら良いかすら分からない。



敵ながら天晴と思う国を作れば、民も天晴と思うに違いない。



ビクビクしてたら舐められる。家庭が荒んでいたら人も荒む。荒んだ人に善行は期待できない。だから、その逆が良い。



葬儀屋として考えると、儀式が荘厳なれば民も敬いやすい。そこに孝慈があれば、その人柄を感じ民は忠実になる。自分もそうありたいと思うなら、人の心が芽生え善行をするようになる。



減点方式も分かりやすい。おどおどして何かやましい事があるのかと思われてはいけない。先祖供養ができなくても、親子関係がうまくいかなくても噂がたつ。善人を登用しなければ、自分まで不能と思われる。



孝慈には二つの意味がある。一つは季康子自身が先祖供養をし民を慈しむという意味、もう一つは民の家庭が円満と言う意味である。口語訳は民自身の利を重くみて後者を採用しているが、両面捉えたほうが妙味がある。






----- 以下、別解説   


魯国の大貴族である季康子が、孔子に政治の妙について質問した際のエピソードとなるが、見た目や風評を意識したアドバイスと捉えるとスッキリする。要は季康子が尊敬や忠義に値する立派な人だという風評を起こす事に成功すれば、自ずとそうなると言っている。ある種の情報戦と捉えても良いかも知れない。



1、威厳によって敬いが生まれる理由

利で考えると、民が敬うと言うより、敬わせるというニュアンスが適当だろう。民が敬わねばならない雰囲気があるから、民は敬う。人は見た目が9割という言葉があるが、人は見た目に影響されるから、実際に偉いかどうかより偉そうに見えるかで判断しやすい。だから、敬われたければ、偉そうに振る舞えとなる。例えば、いくら貴族とは言え、みすぼらしい恰好をして従者も従えなかったら、人は乞食と思い軽視する。本当は乞食でも、立派な服をまとい従者をしたがえた馬車に乗るなら、人はどこぞの貴族様が来たと思って平伏する。威厳によって敬いが生まれたのだ。民と大貴族では普段接点はなく、当時は今みたいに写真でどうこうという時代では無い。貴族の顔すら知らない民のほうが多いわけだから、民が敬うかどうかは初対面での印象か、立派だと言う風評による所が大きかったと考えてどうか。



2、親孝行はコミュニケーション

中国は50を超える多民族が入り混じる地域であり、言葉の統一が難しい。すると言語によるコミュケーションは期待できないから、言語外の手段で自分が敬愛するにふさわしいことを伝える必要がでてくる。そこでどうしたら良いかとなるが、孝行を示すのが良さそうというのが今回の趣旨である。中国では孝行が何よりも大切にされているため、孝行を実践して見せる事は民の感心を呼ぶと期待できる。言葉は分からなくても、孝行は感心となるから、まずは孝行を見せて反応を見るのが良い。立派な服装をして、従者を従えた馬車に乗り、堂々とすれば民は頭を下げる。だが、それだけでは冷酷な人間に違いないと思われるかも知れない。そこで親孝行なのだ。もし共感を得られるならば、逆らう気にならないのが人情である。



3、慈しみは実利

威厳によって逆らえない雰囲気ができ、孝行で共感が得られたとしても、実利に乏しければ盤石とは言えない。民自身の家庭生活が円満であればこそ、忠実であることに強い利が働く。そこで慈しみとなる。では、民を慈しむとは具体的に何かとなるが、鼓腹撃壌の故事の通り、結局は民の生活に干渉しない政治に尽きるのだろう。例えば、仕事があれば農閑期を選んで頼むとか、無下に戦争に駆り出さないとか、税は約束の額以上は取らないと言った配慮が喜ばれる。当然と言えば当然だが、中国では戦乱は普通の事であり平和は70年も続けば長いと言われる土地柄なため、干渉されない事がとても有難いのだ。そして、そういう統治であれば民は暮らしやすいと感じるから、この主の下で生きようとなり、忠実になるのが自然である。



4、利で釣る

善人を登用して、能力に乏しい者を教育させる理由は、利で釣ると考えるとスッキリする。要はどのような人間が良い思いするのかを登用によって示し、能力の乏しい者をそちらの方向に誘うのである。善行に励む者が増えるのは道理である。





【参考】

1、季康子は魯の大貴族であった季孫氏の当主で、康はおくり名。孔子が60歳の頃、父の季桓子の後を継いだようだ。


2、不能の者の訳には2通りあり、能力に乏しい者と訳す場合と、不善の者と訳す場合がある。




【まとめ】

風評は情報戦だ。






------  仏教の立場からの考察  ----

すべての原因は欲である。






2018年11月11日日曜日

為政 第二 19

【その19】

哀公がお尋ねになられた。「どうしたら民は心腹してくれるだろうか」と。老先生が答えられた。「真っ直ぐな人物を曲った者達の上に据えるのです。そうすれば民は心腹します。しかし、その逆では心腹いたしません」と。




【解説】

心腹を求めるなら、真心で生きている者を上に据えるのです。そうすればその者が民の不満をよく調整してくれます。民は反抗するより従ったほうが利に適うと考えるようになるでしょう。逆に、真心のない者を上に据えては上手くいきません。下心を見透かされるからです。民は従ったふりをするようになるでしょう。



諸君、人は行為を見るのではない。行為を通して其の者の心を見るのだ。邪な思いは見抜かれるから気をつけなさい。



人は上の者の真似をするもの。しかも、悪い行いほど良く真似る。例えば、上の者が仕事もせずに昼間から女遊びばかりしているなら、下の者は一所懸命に働く事が馬鹿らしくなるだろう。そして、自分も同じ立場になれば女遊びをするのが当然と考えるし、それを咎めるならば何で俺だけと反感を抱かれる。そういう役人の姿を見た民は俺らは俺らでやらせてもらうとなり、心腹からは遠ざかる。



葬儀屋という視点で考えると、亡くなった親族を曲った者の手に任せようと思う者はいまい。当然、真っ直ぐな者のもとで送り出してもらいたいとなる。真っ直ぐな者を挙げねば、民は心腹するはずがない。



役人と言う視点で考えると、民は何かしらの事務処理であったり、陳情があるときに役人を必要とする。となるとその応対が前向きな人が好ましいし、裏表なく接してくれなくては困るし、言動に嘘偽りがあってはもっての外と想像できる。話を素直に聞いてほしいし、もし誤りがあれば謝ってくれたほうが好感が持てる。これらの条件を一言で表すと、真っ直ぐとなる。民の心腹を望むなら、民の要望に適った人物を上に据えるのが望ましい。



木の中にも真っ直ぐな木と曲った木とがある。曲った木も曲がったなりの味わいがあるものだが、使いやすいのは真っ直ぐな木である。人物も同じであろう。計算が立ちやすいほうが気苦労がない。



例えば、上の者が真っ直ぐな人物だったとする。すると、下の者はこういう人間になれば出世できるのかと考えるし、同じ立場にたてば自分も同じように振る舞うようになる。そういう空気感が民の不満を抑える。




さて、真っすぐな人を上に置くべきなのは良いとして、何をもって真っすぐと言うかという問題がある。その答えは勿論、仁義礼智信を備える人間の事となるのだろう。思いやり深く、義務は守り、礼儀を重んじ、道理に通じ、約束をたがえる事が無いような人間ならば真っすぐと言えそうだ。




曲がった人とは何かを考えるに、撃壌歌が参考になるのかも知れない。堯を尊敬していた孔子は撃壌歌にある通り、王の力を農民が感じない事こそ最高の政治と考えていただろう。曲がったという言葉からは、民に積極的に絡み、徴税や高額な賄賂で民を虐めるという意味も感じ取れる。中国には官禍という言葉もある。




真っすぐな者を上にするとしても、現実には上に据えて見なければ、その者が本当に真っすぐか分からないという難点がある。下の者には誘惑が少ないが、上になれば誘惑される事も多くなる。そこで曲がらずに真っすぐいられるかは、実際にその場になって見なければ何とも言えない。権力を持った途端に人が変わると言うのはある話だ。



哀公の哀は若くして亡くなったと言う意味で、孔子が58歳の時に即位した君主。枉は道理を無理に曲げると言う意味。錯は交えると言う意味だが、単に置くと理解する。なお、曲った木の上に、真っすぐな木を重しとしてのせ、矯正するとの説もある。





【まとめ】

役目はお預かりするもの






------  仏教の立場からの考察  ------

人間まずは腰骨を立てなくてはいけないという座禅の基本を思い出す。



直 = 無心

枉 = 思考


2018年11月9日金曜日

為政 第二 18

【その18】

子張が禄の求め方を学ぼうとした。老先生が言う。多くを聞きなさい。すると時には疑わしい話を聞く事もある。そういう話は控えなさい。そして、慎んでその他の確かな事について発言すれば非難される事は少ない。また、多くを見なさい。すると時には危うい行いも目にする。そういう行いは控えなさい。そして、慎んでその他の確かな行いをすれば悔いは少ない。発言への非難が少なく、行いに悔いが少なければ、禄は自然と得られる。




【解説】

真偽の疑わしい話をすれば相手に迷惑がかかるかも知れない。危うい行為をしては相手に心配をかけるかも知れない。だから、そういう事はしない。真心から離れずに読むのが良さそうである。



確かな事を慎重にと孔子は言っているが、この慎重にという部分が大切だ。確かと思えば即採用するのではなく、慎重に採用する。間違いがあってはいけないからである。

慎 = 真心の在処




今回は若い子張が孔子に就職相談をした時の話である、士官するための良い方法は無いかと尋ねる子張に対し、孔子は実践的な回答をした。まず見聞を広め、その中から確かと思われるものだけを慎重に真似していれば自然と職は定まるよ、と。その心は、人柄が大切と考えると良いするかも知れない。どんな仕事でも日々の仕事の9割は瑣事である。瑣事をこなすのに特別な能力はいらない。特別な能力は必要ないのだから、求められる資質も責任感であったり、忠実な人柄だったりする。当たり前の事を当たり前にできる人こそ望まれるのである。



自分が誰かに頼み事をする場面を想像してほしい。相手の人柄を見て頼むのではないだろうか。就職も一種の頼み事である。



疑わしい話をしては揚げ足を取られる。危うい行為は人を不安にさせる。就職活動中にあっては選んでもらうために、就職後は後ろから刺されないように必要となる心掛けである。



子張は孔子より48歳若く、孔子から見れば孫かひ孫のような歳であったが、孔子の死後に儒家の一派をなしたほどの人物である。なお、有名な「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の過ぎたるを担当するのが子張でもある。孔子が単に確かな言動をしなさいと言わずに、慎んでしなさいと言葉を足したのには、こういう経緯も見て取れる。



孔子は尚古主義だったとされるが、結局は時の審判をえた言動が一番確かだったのだろう。時間とは残酷なもので、後世には確かな物しか残さない。確実なものにこだわれば、自然と古典にいきつくのだ。現代でも、新しいもので確かなものは少ない。新しいものは数年たつと否定され、悪いものに様変わりする事が多い。孔子の時代も同じだったに違いない。

確かなもの = 古典



葬儀屋という視点で考えると、求められているのは伝統に則った確かな事である。疑わしい言葉、危うい行為は先方を困惑させるだけという側面がある。役人も同じであろう。



地道が近道と思ってみれば、地道は昔道理という意味で使われていたようだ。なるほど、地道が近道は道理であった。



暗い人は暗い人も嫌いだという話がある。自分も暗いくせに、他人が暗いのをみると辛気臭いからあっちに行けとなるものだ。行いに悔いが少なければ、自信を持って明るく生きれるのではないだろうか。就職はつまるところ好き嫌いに決着するため、こういう側面も見ておきたい。





【まとめ】

奇をてらうと禄なことはない。





------  仏教の立場からの考察  ------

余 = 確 = 無心

疑 ⋃ 殆 = 思考




2018年11月7日水曜日

為政 第二 17

【その17】

老先生が言われた。由(子路)よ、君に知るを教えよう。知っている事は知っているとし、知らない事は知らないとする。これを知ると言う。





【解説】

由君、まずは知る事だ。だが、知識を得たからと言って、分かった気になってはいけないぞ。知ったならばよく実践する。すると時機に知らない事にも目がいくようになるだろう。知っていることだけではなく、知らない事にも目が届くようになればより知識がはっきりしてくる。その様をよく味わいなさい。これを知ると言うのだ。



まずは真心を掴む事だ(知之)。だが、実践にあっては意識しないことを目指しなさい(不知)。もし自然にできるようなら真心を知っていると言ってよい。



知之を真心を知ると解釈した場合、真心には知識としての側面と、体感としての側面があると考えても良い。知識としての真心をとらえれば知っている事は知っているとなるが、体感としての真心は何とも表現しようがなく、知らない事は知らないとする他ない。以って真心を知ると言う。



本を読む等、勉学に励めば物知りになると思われがちだが、得られる知識の中には不知も含まれる。それは例えば、白を黒が引き立たせるようなもので、白だけで構成するより、黒い部分があったほうがより白が際立つと言うような話と捉えても良いかも知れない。同じ知識でもその鮮明度には違いがある。





物を知るからこそ、知らない事が多いと意識するようになり、本を読む前より不知を実感する。知っている事は知っているとし、知らない事は知らないとするのは、勉学に励んだ者の持つ実感となる。知るとは、物を知ると同時に、知らぬを知る行為なのだ。物知りな人ほど知らない事は知らないとハッキリ言うし、自信が無い人ほど面子を気にして素直になれないものかも知れない。



聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という諺があるが、勉学に励むほど不知を実感するのなら、自分が不知であるのは当然と軽く考えたほうが実践的かも知れない。



学んだ事が定着するに従い、あやふやな部分がなくなっていく。あやふやな部分がなくなると、分かっている事と分かっていない事にしっかり線が引かれるようになる。自然と知っている事は知っている、知らない事は知らないとなる。




由は、孔子十哲の子路の事。子路は名を由と言う。率直な人柄で親しまれたが、孔子が死ぬと予言した通り、衛で内乱に巻き込まれ命を落とした。享年63歳であった。





【まとめ】

意外だが、本を読むと知らぬを知る。





------  仏教の立場からの考察  ------

誰かに聞いた言葉ではなく、自分の体からでた言葉を大切にしよう。

体感 ≧ 知識





2018年11月5日月曜日

為政 第二 16

【その16】

老先生の教え。異端をおさめるのは害あるのみ。



【解説】

諸君、私心を育てるなよ。害ばかりとなる。



異端 = 私心

聖人の道 = 真心



時と共に変わるものと、変わらないものがある。変わるものを無視はできないが、変わるものは修めても変わる。変わらないものは軽視されやすいが、修めると生き方に軸ができる。



まずは10年一処に腰を据えよう。どんな分野でも一人前になれる。雑学はその後で良い。

異端 = 雑学



葬儀屋としても、役人としても、正統と認められたもの以外は使えない。異端を専攻しては学んだ事が無駄になるばかりか、往々にして周囲の拒否反応を呼ぶ。



この手の話は先生が弟子に浮気をさせないためにする場合が見受けられる。そして、見込んだ弟子に一層の精進を期待するのだ。孔子が30歳の頃から私塾を開いていた事情に鑑みると、こういう側面を捉えても良いかも知れない。



一事が万事、万事が一事、如何なるか是一事。



新しい事には注意しなさい。古い事を尊びなさい。





------  仏教の立場からの考察  ------

異端 = 思考



2018年11月4日日曜日

為政 第二 15

【その15】

老先生の教え。学んでも思索しなければくらい。思索しても学ばなければ危うい。




【解説】

諸君、真心を忘れてもらっては困るぞ。注意しないと私利私欲だけになるから気をつけなさい。



知識は使い方次第で善にも悪にもなるが、学ぶ者はこれを忘れやすく、学ばぬ者はこれに気づかない。

真心 ∩ 知識 = ∅

罔 ∩ 危 = 私利私欲 



学んだことを思索すると理解が深まり応用が効くようになる。思索するだけで学ばないと独りよがりになりやすい。



学即是思、思即是学。これがコツである。



葬儀屋としては、学んだことの意味合いを腑に落とさねば儀式に心が入らないし、自己流の葬儀など誰も求めていないとも言える。



思索は新たな疑問を呼び、自らの至らなさを明らかにする。学びは新たな発想を呼び、考える幅を広げる。学ぶ者は思索しなさい、思索する者は学びなさい。



実務で使うために学ぶのであるから、誰かに教えるためにという前提を置くと理解しやすい。実務上の事を全て自分で考えていては、時間がいくらあっても足らない。前例に則るのが現実的である。



学んでも思索しなければ型は破れない。思索しても学ばなければ形なしだ。




簡単な例を示すと、料理を考えて見よう。料理を学ぶとしたら、本なり、師なりについて教わるだろう。自分で一から考えていたら、とてもとてもとなるはず。美味しい料理が食べたければ、まずは基本のレシピを学び、その上でもっと美味しくするための工夫をするのが良いのである。






【まとめ】

初心忘るべからず。





------  仏教の立場からの考察  ------

道不属知、不属不知、知是妄覚、不知是無記。




2018年11月3日土曜日

為政 第二 14

【その14】

1、老先生の教え。君子は周を好み、小人は比を好む。

周 = あまねく、公平、平等
比 = ならべる、仲間内、閥



2、老先生が言われた。君子の付き合いは満遍ないものだ。かえって小人は利害損得で仲間を作る。





【解説】

その発想の根本にあるものを見つめよう。それは真心か、それとも利害損得か、是非諸君には真心のある人間になって欲しい。



「君子は周して比せず」と言うと、なにか周と比という選択肢があって何方かを選ぶように見えてしまうが、その発想は比そのものである事に注意がいる。比と周はコインの裏表の関係にあり、周は裏からみると不比であり、不比だからこそ周である。孔子が不と強く否定した理由はここにあると思われる。「小人は比して周せず」もこれと同じである。比という発想を脱却しなければ、周とはならない。比ゆえに不周と理解したほうが良い。

周 = 不比  ⇔  周 ∩ 比 = ∅  ⇔  比 = 不周



歴史的に国が民を守らなかった中華では、民は自分の利を守るために閥を作った。閥は利によって結びつき、もし出世などで立場が変わり利の勘定が合わなくなれば、今所属している閥を抜け新しい閥に所属する。これを繰り返して生きているのが中華の民となる。こういう背景を「小人は比して周せず」と考えると自然かも知れない。閥に所属して自分の利を守っているのだから、利の対立する他の閥とは仲良くしづらい。競り合って当然となる。

 

葬儀屋が選り好みしては、商売に差しさわりがでる。満遍なく付き合い、なるべく敵を作らないようにしなさい。




例え苦手な相手であっても尊敬の念を持って交わりなさい。苦手な人に助けられ、仲良かったはずの人に裏切られる。そういう事もあるのだから。




多くの人と交われば、自然と色々な情報が集まる。




人脈は自慢の種である。





【まとめ】

無為自然




------  仏教の立場からの考察  ------

1、真心には周と言う性質があり、そこには比の及ばない唯一絶対がある。


2、君子は真心に付けられた尊称である。真心は無心であり、無心は自己が無い状態を自己とするという事だ。これはすべてが自己であることを意味し、ゆえに君子は周となる。このとき比を離れる。

君子 = 真心 = 無心 = 周 = 不比