2016年12月19日月曜日

植物は会話する

植物が人間のように会話すると言う話を見かけた。その話によると、植物が根を通して水を分け合ったり、病気になった木には栄養を送ってあげたり、自分の子と他を分けて縄張り争いして、自分の子となる木を助けてあげたり色々コミュニケーションをとっているのだとか。その上、天災の際にはその情報を共有したりもするらしい。(菌を使う)

日本では昔から、自然と共に生きると言ってきたわけだが、こう言った事が科学的に分かるようになったというのは興味深いではないか。日本では八百万の神と言い、自然にも神が宿っていると考えてきた。西洋文化の影響で、今は本当かどうか疑わしい話の類になっているが、自然に人間のように心というものがあるようだと分かった以上、この考え方は先人の知恵として見返すべき考え方だと思う。もしかしたら、何かチャンスがあるかも知れない。

今、日本は戦後の自虐史観から解放され、文化を学びなおすのが最先端だ。西洋では人間と植物は全く違うものとして考える傾向があり、植物は物として認識してきた。日本もその影響を受けながらやってきたわけだが、もう一度植物にも神様が宿っているという考え方を見直すべきだろう。

何せ植物同士はお互いに意思疎通を助け合いながら生きている。これは植物に意地悪すると、何かしらの反発を受ける事を意味しよう。植物に気持ちよく生きてもらう。そういう気持ちを持って接していくことが、これからの日本の繁栄にとって大切ではないだろうか。人は自然に生かされている。古来からの日本の考え方を大切にしたい。

また、この話の裏を返すと、植物に心があるという考え方は西洋文明が手をつけていないフロンティアという事。ここに何かしらの突破口を見出せないだろうか?実際にどうやったら良いかは分からないが、手を付けていない以上、何かあるはずだ。

例えば、植物が天災の情報を共有しているなら、人工知能と組み合わせてそれを読み取れないだろうか?人間より生存本能が高そうなので、より精密な情報を得られるかも知れない。他には、植物のコミュケーションを人工知能を通して言語化し、植物と人間の会話の実現はどうだろうか?会話できたら、良い友達になれるかもだし、新たなアイデアを植物から得られる事もあろう。




---- 以下、余談 ----

自然が人間の選別をするとしたらどうだろう?この人間は自分にとって好ましい、この人間は自分の生存にとって危ない存在。自然は菌と虫と根っこでコミュニケーションをとるらしいが、例えば菌をあやつって人を病気にしてしまう事も考えれないだろうか?自然に心があると分かった以上、自然を喜ばせる者が喜ばされる。世界は鏡という法則が、自然との関係にも当てはまるはずだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿