夢に破れても、
愛する人と別れても、
親友に裏切られても、
病気になっても、
家族に不幸があっても、
ああ、そうですか。
今日はそういう感情を学ぶ日でしたか。
人は幸せになろうとするから苦しくなる。
四苦八苦を嫌がるから苦しくなる。
ならば、発想を転換してしまおう。
自分は四苦八苦ために生きている。
幸せはおまけ。
何があっても、
今日はそういう感情を学ぶ日でしたか。
こういうのはどうだろう?
---- 以下、余談 ----
観音様と小林正観を参考に書いた。観音様は言う。この世には肉体を借りて、四苦八苦を味わいに来た。四苦八苦を味わいたくないと否定するから、人は苦しむ。四苦八苦自体を味わうために生きてると思えば、ただ淡々と四苦八苦を処理する事ができるはずだ。
観音様は、幸せになりたいと思うから苦しくなるのが人間なら、苦しさこそが本来の生きる目的としてしまえば楽になると、発想を転換したのでは無いだろうか?幸せはおまけ程度に考えて置けば、日々の四苦八苦の中、幸せがより幸せに感じれるというものだ。こんな解釈をしてみた。
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