2018年8月14日火曜日

学而 第一 6

【その6】

孔子先生がおっしゃいました。若者は家にあっては孝、社会にあっては目上の人に従うと良い。身は謹み、言行一致を心がけ、広く周りの人を大切にしなさい。そうすれば思いやり深い人間に近づけるだろう。余力があるならば、古典を学ぶと良い。



【解説】

大切なことは言葉にできない。結局のところ、これに尽きる。例えば、人間愛が大切だと一言にいっても、人間愛とは一体いかなる感情だろうか。想像するだけでその本当のところは掴めない。実際に人と接するなか、そういう感情になってこそ分かるものだから。自分の中にある人間愛、その感情が掴めてから古典を学んでも遅くはないし、そのほうが理解が進む。人間愛を感じたことのない者が、人間愛をかざしてもハリボテで用をなさないのだ。そこで、まずは実感することに重きを置くのである。



古典は叡智であり、優れた書物である。だからと言って暗記しているだけでは片手落ちであり、実際の現場で活かせるとは言い難い。人間愛に近づいてから、余力があれば古典と言う順番にもきちんと意味がある。古典は君子にとって共感すべきものであり、共感こそ目指すべき方向性だろう。



実利的には、喜ばせる者が喜ばされるを体感せよと考えても実戦的だ。親を喜ばせれば、親が小遣いをくれる。目上の者を喜ばせれば、飯をおごってもらえる。喜ばせると、良い事があるものだ。これが処世術の基本となる。若者はまずは近いところからと言う訳で親から始める。そして、目上の者、周りの者と段々に広げていく。広く周りの者を喜ばせるようになる頃には、良い評判が立ち、まわりに人が集まってくるようになる。すると、それほど魅力的な者ならば一目会いたいと思うのが人情だから、士官先から声がかかる。わらしべ長者である。実際はこんなに上手くいかないが、喜ばせたほうが良いことがある事を実感するだけで十分だ。後は相手の身になって考えると良い。大言壮語して相手が喜ぶか、嘘をついて相手が喜ぶか、適当にあしらわれて喜ぶ者がいるか、と。勿論NOである。そこで、身は謹み、言行一致を心がけ、広く周りの人を大切にしなさいと言う。




【まとめ】

本質を掴もう。





------  仏教の立場からの考察  ------

無心を意識して生活するようになって一年くらい経ってからだろうか。目の前の景色がすごく綺麗に見えるようになった。そして、この上ない宝が目の前にあったと認識した。認識するまでは、看却下と言われても何の実感もなかった。認識した後は、そのまま言ってるだけと分かる。何事も言葉だけで分かろうとしても無理がある。





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