2019年8月29日木曜日

里仁 第四 8

【口語訳8】

孔子先生がおっしゃった。朝に道を聞きけたなら、夕に死んでも悔いはない。



【解説】

「朝に道を聞けたなら、夕に死んでも悔いはない」、覚悟を感じる良い言葉だと思う。この言葉を教訓として読めば、読者それぞれが思う道が正解であり、死んでも悔いは無いくらいに打ち込めたら充実した日々を送れる事だろう。人間かくありたいものだが、孔子が説く道であるから、道は仁の道が本筋である気がする。そこで、孔子は仁の道を想定しているとして話を進めて見る。

この場合、朝に道を聞くとは、自分の進むべき道を知るという事で、仁の道を本気で志すという意味になるのが自然だが、仁の道に本気になるほどに困った問題が生じる。それは、仁の道を意識する分、自然と逆の不仁が思いのほか鼻につくようになるのだ。すると鼻についている事は相手にも伝わるものだから、その相手から敵だと思われやすく、結果として災いに会いやすくなる。だからと言って、不仁の輩と同じように振る舞って相手にあわせるなら、とても仁の人とは言えない。仁の人たるには、仁の道を踏みはずすくらいなら死をも厭わないといった覚悟で臨まななければという部分があるのだ。そうでなければ、不仁の者の同調圧力に屈して、朝に仁の道を志したはずの者が、夕には不仁の者に戻っていたという事になるだろう。まるで根無し草である。しっかり地面に根をはった人間になるという意味において、孔子の言葉はまさに至言である。

さて、死をも厭わない覚悟で仁の道を志すとどうなるか、順をおって考察してみよう。まず志してからしばらくの間は虐められるかも知れない。不仁の者にはあわせず、自分は仁を貫くのであるから、不仁の者との間には自然と軋轢が生じる。不仁の者は往々にして攻撃的だったりするので、最初の数か月から長ければ数年はその攻撃に耐える時期となる。この時期は自分の志の強さを試される時期となるだろう。だが、そうやって耐えたり、攻撃をかわしたりしている内に、必ず変化が訪れる。その変化が何時訪れるかは分からないのが難点だが、これだけは言える。必ず不仁の者の攻撃が止む瞬間はくる。その時が仁の者を志しているという自分の志が周りに受け入れられ始めた瞬間であり、恐らく味方が出現した瞬間でもある。そもそも不仁の者は根っから仁の者が嫌いで攻撃するわけでは無い。貴方の仁の行為に何か裏があると勘ぐって誤解していたり、周りの者も魯迅の打落水狗で、溺れた犬に追い打ちをかける事で同調して自らの身を守っているに過ぎない。基本的に仁の者を嫌うなどで出来ようもないのだから、誤解が解ければ必ず攻撃は止むし、仁の者には必ず味方も現れるのである。この攻撃が止む頃合いを以って、仁の道における初心者から中級者になったと言えるだろう。習い事で言えば初段と言った処で、君子と言う意味では、ここからが本当のスタートとも言えるも知れない。

さて、仁の人として中級者になったという事は、要は仁の人としての印象を周りの者から持たれているという事なので、この頃には貴方を攻撃する者も基本的にいなくなっている。勿論、全くいなくなるわけではないが、かなり限られてくるのは間違いない。まず味方が出来ているし、貴方自身も不仁の者からの攻撃にさらされるなかで鍛えられている。また、仁の人は要は良い奴の事だ。人間、良い奴を攻撃するのは気が引けるもの。何が憎くて攻撃しなければならないのか分からないし、攻撃すべき嫌な奴なら他にいる。仁の人として認められた時に敵がいなくなるのは、道理と言えば道理なのだ。しかし、問題が無いわけでは無い。と言うのは、単に良い奴というだけでは万全では無いからだ。どういう事と言うと、良い奴である事で敵とみなされにくく攻撃を受けにくいのは間違いないが、それでも例えばお金がらみになれば、良い奴だけど金のためには仕方がないと考える輩もいる。この時に有効な防御手段がなければ、身を守れないのだ。そこで重要となるのが力だ。この力は単に腕っぷしと理解しても良い。腕っぷしの強い奴に絡むやつはいないから。だが、孔子は君子たろうとしていた人物であるから、立派な官僚らしく権力と理解したほうがしっくりくるだろう。良い奴に権力が備わるとどうなるかと言えば、もともと憎めず気乗りしないのに力も敵わないとなって、敵対する者が全く無い状態となる。まさに文字通りの無敵であり、こういう人物こそ君子とよぶにふさわしい人物ともなろう。これが「朝に道を聞きけたなら、夕に死んでも悔いはない」という言葉の最終的に至る境地である。君子に敵対する者達は、仲間割れして離散するのが落ちなのだ。以下、余談となるが、他の解釈を示す。




1、道をこの世の真理として

道がこの世の真理を意味するならば、「朝に道を聞く」は、この世の真理を知るという事になる。この場合、孔子はこの世の真理を悟る事ができたならば、もう夕に死んだとしても本望であると言っている事になろう。孔子の言葉は、全ての謎を解き明かそうとしている学者を彷彿とさせるような言葉となり、孔子が古典を編纂していた際に話した言葉という印象になる。参考個所は、八佾編の9番と11番あたりが良いだろう。

八佾9八佾11




2、死生観に注目すると

中国の死生観は日本のそれとは全く違う。日本の死生観は根本に古代インドの影響か、輪廻転生を前提にしたものとなっているため、生まれ変わり死に変わりという話が一般的になる。だが、中国の死生観は全く独自のものらしく、彼らは死後も個性は失われず、地下の世界で生き続けると考える。そこで中国では孝という考え方が広く支持された。孝と言うと、現代では親孝行を指す言葉だが、昔は先祖に仕えるという意味だった。先祖は死後も地下の世界で生き続けていると考えているのだから、孝行が大切なのは当然である。

さて、この中国の死生観を前提に孔子の言葉を考えると、また違ったニュアンスに見えるのではないだろうか。なぜ朝に道を聞かば、夕に死んでも悔いはないのか?死後も地下の世界で生きるだけなのだから、生死よりも道を知っているかどうかのほうが重要だからである。死生観から考えると、孔子の有難い言葉もそれはそうだねってアッサリしてしまうが、スッキリしている分、意外に真理かも知れない。




2019年8月24日土曜日

里仁 第四 7

【口語訳7】

孔子先生がおっしゃった。人の過ちは、その人柄によるものだ。過ちを観察すれば、その者の人柄(仁)も自ずと分かるよ。



【解説】

過ちを見るとその者の人柄が分かるという孔子の指摘は、過ちをどう反省するのかに特に現れるのではないだろうか?例えば、過ちを人のせいにする人にその典型が見れる気がする。過ちを人のせいにしてどうなるものでも無いが、過ちを人のせいにする人は毎回人のせいにしてその場を取り繕おうとする。本人はうまくやったと誤魔化せた気でいるのだろうが、人はその姿に見苦しさを感じこそすれ、立派と感心する者はいないもの。当人には残念だが、これが立派であるべき君子が取るべき行為でない事は明らかだろう。では、どうしたら君子らしい人柄の反省になるかだが、まずは自らの非を認め、特に自分が仁に背いてしまったかどうかを反省すると良い。この際、言い訳はしない事が大切で、言い訳をしてしまうと自らの非を認めていない事になってしまう。反省する時は真摯に仁の人となるべく反省するのである。それでこそ飛躍を遂げられるというものだ。具体的に考えて見よう。




(ケース1)

朝寝坊をした時を考えて見る。上中下の3段階で評価するとして、まず下の人を考えて見ると、下の人は朝寝坊した時に例えば親のせいにする。朝7時に起こしてって頼んだのに何で起こしてくれなかったの、と。お陰で遅刻してしまうと怒るのである。子共のいる家ではありそうな光景で普通と言えば普通だが、残念ながら落第点と言う他ない。では、中の人はどうかと言うと、朝7時に起きれなかった自分が悪いと考え、決して親のせいにはしない。中の人は親のせいにせずに自分が寝坊したのが悪いと考えられるのだから、立派と言えば立派かも知れない。だが、これも普通と言えば普通である。では、上の人はどうかと言うと、起きれなかった自分を反省するだけでなく、起こせなかった親に気苦労をかけているのではないかとまで心が配られる。親の体調を心配するのである。そして、もう親に心配をかけまいと心に誓うのだ。これが上の人であり、君子らしい人柄を備えた人間となる。



(ケース2)

上司に怒られた時を考えて見る。上中下の3段階で評価するとして、まず下の人を考えて見ると、下の人は怒られればふてくされるか、又は右から左に聞き流し何ら反省する事は無い。そして、問い詰められるなら人のせいにする。これでは何の成長も見込めず、将来の伸びしろも無い。落第点である。では、中の人はどうかと言うと、上司の言う事はきちんと聞くし、怒られた点は正そうと努力する。人のせいにせずに自分の非を改める姿勢は立派だが、普通と言えば普通である。では、上の人はどうかと言うと、上の人は自らの非を改めるのは勿論として、上司の気苦労まで配慮する。そして、次からは少なくとも自分の事では上司に気苦労をかけまいと決心するのだ。この気持ちこそが仁であり、君子らしい人柄となる。こういう者とならば、よい信頼関係を築けるというものだ。




さて、次は過ちをどう反省するかとは逆に、過ち自体から人柄が垣間見える場合を紹介する。この具体例は実は八佾編にたびたび出ている。八佾編では孔子が季氏の不遜を度々嘆いていただろう。この嘆きがそのまま過ちから人柄を垣間見た状態となる。人間の行為には必ず動機があるもの。その動機をおもんばかる事で、その者の人柄が見えてくると孔子は言うのである。まさに人物観察の基本のキとなる。では、他の具体例を考えて見る。




(ケース3)

掃除を考えて見よう。掃除などで何が分かると侮ってはいけない。掃除のやり方一つで、その者の人柄がにじみ出るのだから。面白いもので、掃除の出来不出来がその者の心の有り方を如実に示す。何故なら心がまとまっている人ほど汚い場所に居心地の悪さを感じるものだし、心がまとまってない人ほど汚い場所を汚いとは考えない傾向があるからだ。掃除は心のバロメーターなのである。ただ、何も自分で掃除する必要はない。昔で言う下男下女がいるならば、彼らに掃除をさせるのでも良い。とにかく心がまとまってくると、自然と汚い場所には居られなくなるものと抑えて欲しい。このように一見なんでもない汚い部屋に住んでいるという事からも、人柄がにじみ出るものなのである。なお、靴も同様である。脱いだ靴を揃えるかどうかも、そのまま人柄を示す。靴が揃わないのではない。心が揃っていないのである。心が揃っていないから、靴を揃えずとも気にならないと評価されるのだ。

とは言え、掃除や靴を揃えるかが過ちとは思えないという人もいるだろう。だが、少なくとも君子たらんとする者にとっては、十分な過ちである。汚い部屋に住み、靴は脱ぎっぱなしの人を、誰も立派とは思わないのだから。




1、仁は人の為ならず

君子を立派な官僚として考えると、情けは人の為ならずならぬ、仁は人の為ならずと考えると実利に適う。孔子は中国人であるから、過ちを過ちと素直に認める事が面子の問題に直結し、過ちを認めるという事が則ち面子をつぶされたとなっても可笑しくは無い。だが、実利にさといと中国にあっては、自分が役に立つ人間である事を相手に印象付けたほうが理に適っている。

過ちを犯した際、大きく二つの選択肢がある。一つは素直に過ちを認め反省する事、もう一つは面子が潰れる事を重く見て過ちを認めない事だ。このどちらを良しとするかになるわけだが、孔子は恐らく前者を重く見たのであろう。中国的には面子が潰れるというデメリットは大きそうだが、素直に過ちを認める事で相手にとって自分は敵では無いという事を印象づけるという将来につながるメリットがある。と言うのも、過ちから間抜けな奴と思われても頭が切れすぎる人間となって嫌われるよりは大分良いし、もし双方で意見が食い違っているような場合でも相手の面子を立てた事になるからだ。こう考えて見ると、仁を軸に生きる事がどれだけ処世に適うかも理解できるだろう。反省する時、仁に反したかどうかを悩む事で、自分が敵にはなりえないという印象を確固たるものにするのである。



【参考】

学而編8為政編10八佾1


2019年8月13日火曜日

里仁 第四 6

【口語訳6】

孔子先生がおっしゃった。私はまだ仁を好む者、不仁をにくむ者を見た事がない。仁を好む者は申し分ない。一方、不仁をにくむ者も仁者たろうと努めるし、不仁者の影響を被るのを避ける。せめてそのように一日でも仁者たろうとして見よ。その力も無い者には会った事がない。あるいは、あるのかも知れないが、私はまだ見た事が無い。



【解説】

仁者を志す者にとって、指針とすべき言葉だろう。仁者たらんとするなら、まずは今日一日を仁者として過ごす事を心がける事から始める他ない。今日一日過ごせたら、明日も仁者として過ごす事を目指す。明日も仁者として過ごせたなら、明後日も仁者として過ごす事を心がける。千里の道も一歩から、まずは今日一日をどう過ごすかから始まるのである。この際大切なのは、見返りを求めない事である。見返りを求めると、例えば親切にしてあげたのだから、相手も自分に何かしてくれるだろうと考えてしまう。しかし、相手は一通り何で自分を良くしてくれるのか考えたあと、何も理由が見つからないと、恐らく親切な人と思われたいんだろうと下心を勝手に察して終わりだったりする。この時、相手に見返りを求めているとがっかりして嫌になってしまうだろう。だが、見返りを求めなければ、相手がどう考えようが知った事では無い。自分は自分の信条に従っただけである。そして、自分の都合で勝手に仁者たらんと生きれば良いのだ。

客家は言う。幸運は親切にした相手の背中からやってくる、と。仁者たらんとする事は、長い目でみれば決して無駄にはならないものだ。ただ、この事が分からない者が多いから、孔子は最初に仁を好む者も、不仁をにくむ者も見た事がないと言っているような気もする。中国のような永遠と陸地が続く土地柄では、悪さをして居づらくなれば逃げれば良いという考えが浸透しやすいため、どうしても騙された方が悪いとなって、騙す事が正当化される。この点が島国で逃げようと思っても海にぶつかって逃げきれない日本とは事情が異なる事をハッキリ認識すると良い。日本は逃げきれない状況にあるから、騙すほうが悪いとなる。逃げきれない以上、騙して恨みを買うと生きづらくなるからだ。さて、中国の話に戻るが、中国では騙して問題になったら逃げれば良いのだから、騙して稼いだほうが楽な商売に見えるわけだ。だが、そんな中国という土地柄であっても、幸運は親切にした相手の背中からやってくるのである。騙されるのが常だから、信用できる人を探すのも常になるという事なのだろう。



1、地獄の沙汰も金次第

君子という立派な官僚として考えた場合、恐らく孔子が望むのは不仁をにくむことだろう。仁のために好んで仁を行う者は君子というより聖人の類だ。だが、聖人レベルはともかくとして、君子たる者も見当たらないと嘆いているのが今回になる。では、その理由は何かになるが、結局のところ地獄の沙汰も金次第という事だろう。官僚として出世を考えた場合、血縁などの先天的なものを除けば、身に着けたい能力は3つある。まずは有力者を嗅ぎ分ける嗅覚、次にYESマンに徹する事が出来る事、そして賄賂を用意出来る事だ。この能力を前にしたら、仁を好むとか、不仁をにくむと言うのはあまりに2次的だ。よって、重要視されず孔子は嘆くのであろう。そう考えて見ると、仁を好む者も、不尽をにくむ者も見たことが無い、一日だけでも仁者を志して見よと言う孔子の言葉が自然につながる。



2、馬と鹿と趙高と

史記列伝より趙高のエピソードを紹介しよう。時は秦の時代、始皇帝の死後に趙高は愚鈍な2世皇帝を擁立し、秦の実権を握っていた。ある時、その2世皇帝の前に鹿を連れてきて、趙高が皇帝様これが馬でございますと言った。しかし、2世皇帝も愚鈍とは言え、流石に馬と鹿の違いは分かったらしい。2世皇帝は反論した。これは馬ではなく鹿であろう、と。すると、周りにいた者達は2世皇帝に従うべきか、趙高に従うべきか大変困った事になった。普通に考えれば鹿を馬だと言い張っている趙高が無茶苦茶なわけだが、現実はそう簡単ではない。皇帝に従って、つまり趙高に逆らって鹿だと言った者は、後になって趙高に一人残らず処断されしまったのである。何の事はない。趙高は鹿を利用して自分の敵か味方かを判別していたのだ。

このエピソードには官僚の処世術が詰まっている。まず趙高と2世皇帝の力関係を見抜く嗅覚が必要な事が分かる。次に本当かどうかは重要ではなく、とりあえず強者たる趙高が白と言えば黒いものも白と言わねばならない事が分かる。そして、趙高に気に入られるように賄賂を用意出来れば尚良い事が分かる。史記列伝は以下の本を参考にした。
















【参考】

幸運は親切にした相手の背中からやってくるとは、幸運は親切にした相手から返ってくるのでない。その相手に親切にしてあげた事を見ていた他の誰かから返ってくるのだという意味となる。例えば、その相手の親族であるとか、まわりで見ていた者とか。


2019年8月10日土曜日

里仁 第四 5

【口語訳5】

(正道は仁のこと)

孔子先生がおっしゃった。富と地位を人は欲する。だが、正道を外れているならば、例え得たとしても私はそこにはいない。貧乏と卑しい身分を人は嫌がる。だが、正道を外れているならば、例えそうであっても私はそこにいる。君子が正道を外れて、どうして君子と言えようか。君子は食事の時でさえ正道を外れはしない。いや、慌ただしい時ですら正道にある。いや、倒れる瞬間のような時ですらそうなのだ。



【解説】

富と地位を手に入れても、正道に外れて手にした場合は拘泥すべきでない理由は、孔子が為政編で語っている通り、君子は公平であり、知識人は利害で取り入るという視点で考えると分かりやすい。君子が公平なのは何も他人に対してだけでは無い。勿論、自分に対しても公平のはずである。正道に外れていながら自分だけは富と地位に拘泥すると言うのでは、明らかに公平さを欠き、君子ならばそう言う状況に気持ち悪さを感じて然るべきとなる。故に、富や地位を手に入れても、正道を外れている場合は孔子はそこにはいない。

貧乏と卑しい身分にあっても、正道に外れてまで逃れるべきではない理由は、逆に考えて、例えば盗みや詐欺を働いてまで貧乏や卑しい身分を脱した者を君子と呼べるだろうかと考えてはどうか。その者が君子と言えるどうかは、自分ではなく他人が決める部分がある。周りから見て恥ずかしくない振る舞いをしなければ、とても君子にはなりえない。では、どうしたら恥ずかしくない振る舞いと言えるかとなるが、孔子は貧しい時分には人間としての生き方を探すのが良いと学而編で語っている。この人間としての生き方を探す道こそ正道であり、仁の道である。

君子が短い食事の間や、慌ただしい時、倒れる瞬間に至るまで正道にある理由は、習熟度の問題であろう。最初に君子を目指したころは、意識しなければ君子らしく仁の人としての振る舞いができない。しかし、時が経ち仁が自分の血と肉になったころ、意識せずとも仁の人として恥ずかしくない立ち居振る舞いができるようになる。その頃になれば、何時いかなる時も正道を外れはしないと言っている。また、無意識にでも仁の人になってなければ君子とは言えないとも言える。

なお、君子は仁の人である事を軸に説明するとよりスッキリするかも知れない。仁の人が仁に背いてまで富や地位に拘泥するはずが無いし、拘泥するならばその人は仁の人では無い。また、例え貧しくても、卑しい身分にあっても仁を施す事はできるから、無理に貧乏や卑しい身分から逃れる理由もない。仁を貫くなら、自然と細部にこだわるようになるから、食事中から倒れるようなとっさの時ですら仁の人となるべく努力し、習熟度があがるにつれ自然と如何なる時も仁の人となろう。



1、安全面

君子を立派な官僚として考える。官僚の世界は政争の中にある世界であるから、富と地位を得た理由がやましい場合、何とも心許ない。いつ後ろから刺されるか分からないからだ。まだこれから官僚を目指すという貧しい時分にあって、盗みや詐欺などに勤しんでいたら官僚になるなど及びもつくまい。立派な官僚としての素養を身に着くるべく過ごさずに誰が声をかけてくれようか。

官僚として出世し、また足を引っ張られないようにするには、常に悪い噂が立たないようにするのが理想である。そういう視点で考えれば、食事中にも気をつかうのが良く分かる。あいつの食べ方は汚くお粗末だとなっては、それをネタに足を引っ張られるからだ。なればこそ立派な官僚らしい食事をしなければならないし、慌ただしい時も同様でピンチに弱いと言われぬように振る舞わねばならないし、倒れる瞬間のようなとっさの時ですら機転が利くとなるように心がけねばならない。



【参考】

為政編14学而編15