【その5】
孟懿子 「孝とは何でしょうか?」
孔子 「違わないようにすることです。」
孔子が御者であった樊遲(はんち)に告げた。
孟懿子 「孝とは何でしょうか?」
孔子 「違わないようにすることです。」
孔子が御者であった樊遲(はんち)に告げた。
孔子 「孟孫殿が孝を尋ねられたから、違わないようにと答えた。」
樊遲 「どういう意味でしょうか?」
孔子 「生にあっては礼をもって仕え、死にあっては礼をもって弔い、
孔子 「生にあっては礼をもって仕え、死にあっては礼をもって弔い、
これを祭るに礼をもってする。」
【解説】
①
孔子 「真心に違わないようにすることです。」
このように言葉を補って理解すると良い。
②
礼 = 道理 and 道理 = 真心
∴ 礼 = 真心
③
孔子は孟懿子(もういし)の家庭教師、樊遲(はんち)は孔子の弟子と言う間柄だ。そこでなされた会話の記録として考えると自然だ。
④
例えば、こんな昔話がある。ある村に国一番の親孝行な者がいるという評判があったそうな。すると、国一番の親孝行とはどのようなものかと気になるのが人情だ。みんなその者見たさに訪ねて来て、彼の周りは大変な賑わいとなったとか。しかし、人の噂は当てにならないものである。実際に彼の日常を覗いてみると、そこには驚いた光景があった。何とその息子は畑仕事から帰るや否や、母親に足を洗わせて、座敷にあがるなり母親に按摩をさせているではないか。これが国一番の孝行息子とはどういう了見だろう。みんな不審に思っていると、ある者が尋ねた。あんたは大層な孝行者だそうだが、親不孝者の間違いじゃないのかい、と。すると、その者は笑って言うのである。ワシは母親がやりたい事を、やりたいようにさせている。これ以上の親孝行があるのかい、と。みんな感服したそうだ。これが親孝行の本質である。
⑤
心が最も大切とは言え、人は見た目で判断する傾向が強い。実際に親孝行に見えなけば、周りの理解は得られないという視点も欠かしてはならない。そこで、礼式や作法で見た目を整える必要がある。個人レベルでは気にしなくても良い話でも、国レベルになると気にしなければ体裁が保てない。役人ならば抑えておきたい基本となる。
【参考】
孔子の生きた時代は、三桓氏などが幅を利かせていたために、王の権威が下がっていた。孔子はその事に憤りを感じ、王の権威を取戻すために悪戦苦闘したわけだが、もし念願がかなっていたらどうなっていただろう。勿論、孔子は大功労者となり、大貴族以上の力をもつに至ったのではないか。
【まとめ】
心がなくてもいけないが、心だけでも難しい。
------ 仏教の立場からの考察 ----
無いものは 無いものとして 無いままに
有ると思うな 煩いのもと
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