2018年10月12日金曜日

龍神祝詞

【祝詞】

高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し給う龍王は    

大宇宙根元の御祖の神(御使い)にして 一切を産み一切を育て

萬物を御支配あらせ給う王神なれば 一二三四五六七八九十の 

十種の御宝を己がすがたと変じ給いて 自在自由に天界地界人界を治め給う

龍王神なるを尊み敬いて 真の六根一筋に御仕え申す 

ことの由を受引き給いて 愚かなる心の数々を戒め給いて

一切衆生の罪穢の衣を脱ぎ去らしめ給いて 萬物の病災をも立所に祓い清め給い

萬世界も御祖のもとに治めせしめ給えと 祈願奉ることの由をきこしめして 

六根の内に念じ申す 大願を成就なさしめ給えと 恐み恐み白す



【解説】

まず龍とは何かと言う話をすると、龍とは河の事である。中国の話になるが、中国は行商人が集まってできた国と言われる。色々な民族が、黄河を船で下り、ある地域に集まるようになった。そこでは言葉も分からぬ同士が、身振り手振りをしながら売買をして生活していたが、人が集まるようになれば、そこは自然と都市として発達する事になる。そうして商いが盛んになると、商いのルールがあったほうが面倒が無くて良いから、そのルールを取り仕切る者が出てきて、その者が都市で幅をきかすようになる。これが中華皇帝の走りとなる。皇帝は都市を商いの場所として開放する代わりに、場所代を取るようになるのだ。そして、商いが発達するほどに皇帝は栄えたのである。

この話を皇帝の視点で見ると、皇帝が河を龍として崇めた理由が良く分かる。皇帝からすれば、河こそが自分に金銀財宝を運んでくれるのだ。何て有難いものだろう。だから、河を神格化するようになり、河は龍になっていく。そして、黄河は度々反乱し、昔から中国人を困らせてきた。一度氾濫すれば手に負えないから、それが龍の逆鱗に触れたとなるし、氾濫が治まれば一切が流された土地に、再び都市が作られていく。そして、また河が皇帝に財宝を運んでくれるのである。この世界観と、日本神話の世界観を合わせたものが龍神祝詞ではないかと思っている。

そう考えて見ると、日本には川が大小数万あり、川は確かに昔から人々の暮らしを助けてきた。川から水を引いて田畑をつくったり、飲み水にしたり、川魚をたべたり、そうして川は人を繁栄させてきたが、時には氾濫して人を苦しめてもきた。しかし、氾濫が治まれば、人は川の恩恵に預かるのである。そして、日本の川は流れが速いため、汚物を浮かべても、すぐに何処ぞへ流れてしまう。だから、水に流すという言葉も生まれ、これが祓い清めのイメージとなる。

こうした川を龍に見立て、崇め、自らの愚かなる心をも水に流してもらう事を願う。一切衆生の罪汚れを水に流してもらおう。生きとし生けるものの病災いを水に流してもらおう。その見返りとして全身全霊をもって仕えると、言わば自分の身を犠牲にさしだして願うのが龍神祝詞の姿だと思う。自分は川を龍に見立て、川を崇めるようなイメージをもって奏上している。






【参考】

1、解説は人から見た川の恩恵で書いているが、祝詞はもっと広く、人以外の生きとし生けるもの全ての安寧を願っている。古神道は自然信仰であるため、人も自然の一部だとわきまえているのだろう。


2、十種の御宝(とくさのみたから)が何かは分らないが、その字の通り受け取れば、川が繁栄を運んでくるというイメージで良いだろう。中国なら行商人が舟に財宝を乗せて、黄河を下ってきたのだから、川は実際に多種多様な財宝を運んできたと言える。


3、高天原は富士山と言う説もあるようだが、ざっくり日本版天国でも、現在の日本でも良いだろう。自分は現在の日本を想定して奏上している。理由はイメージしやすからだ。


4、天と地に御働きの解釈を考えるに、地はイメージしやすい。竜が河川を象徴するなら、河川の回りは緑が生い茂るし、さまざなな生き物が生息し、人もその恩恵を受けている。ただ、天への身働きが何かと言われると、水が蒸発して雨になる事だろうか?ここは壮大に、龍神が雨のなかを移動している姿をイメージしても良いかも知れない。通り雨を龍神様が移動していると言ったりするので、あながち外れてないだろう。


5、真の六根一筋には全身全霊をもってという意味。六根は具体的には眼耳鼻舌身意と言い、その字通りに人間の活動全般を指す。人間は眼で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌を動かして話し、身を動かし、意思をもって生活する生き物だと昔の人は考えたと言う話だ。


6、大宇宙根元の御祖の神(みおやのみつかい)は、天照大神として太陽をイメージして良いと思う。天照大神から委任され日本を統治してきた代々の天皇陛下を、川が龍神としてサポートしてきたと言われれば、古事記の伝承にふさわしい壮大さとなる。

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