2018年10月31日水曜日

為政 第二 13

【その13】

子貢が君子を問うと、老先生が言われた。先ず行い、然る後に言葉が従う、と。




【解説】

真心に言葉は野暮である。この一言に尽きるが、現実的には巧言令色と言うように、言葉が相手のいらぬ詮索を呼ぶ面も抑えておきたい。本当は自分のためと言うのが本音だろう、と。こう思われては、せっかくの真心が疑念の種になってしまう。行動も同じように疑われるが、どうせ疑われるなら余計な事はしないほうが良い。聞かれたら答えるくらいで良い塩梅と考える。



人間にはポジティブな時もあれば、ネガティブな時もある。そこでポジティブな思考を+1とし、ネガティブな思考を-1とする。すると心は+1から-1の間を動くように表現できる。これを日々の感情の起伏を表す不等式とする。


ー1 ≦ 心 ≦ 1


では次に、心がどの状態のときに最も好ましいかを考えて見る。これは古来答えは決まっていると言ってよく、所謂平常心が一番宜しい。これは例えば、自分が浮かれていたために、相手の微妙な変化には気づけなかった場合を考えて見ると良い。もしくは、心が沈んでいたために、相手どころではなかったような場合を想定すれば良い。後になって後悔した経験がある人も多いだろう。こういう状況は取返しがつかない事があるため出来れば避けたいが、そのためには冷静に相手の事だけに集中できるのが好ましい。平常心が望まれるのである。平常心は不等式上は数字の0で示される。


max 心 = 0 (= 真心)



平常心が良いと分かったならば、常に平常心でいれば一番良いとなるが、実際はそう簡単にはいかない。心はコロコロ変わるから心と名付けられたように、心はコロコロ変わる。そこで実際は、コロコロ変わる心をその都度平常心に戻すような心内作業が必要になる。この作業を「先に行い」の解釈とするのも面白いと思う。そう考えて見れば、「然る後に言葉が従う」のは自然な流れだ。


先 = 平常心(真心)

行 = 行蘊

言 = 説明(言葉と行動)



葬儀屋の側面を考えるに、実際にやりながら覚えたほうが早いし理解も進むだろう。頭だけで儀式の内容と意味を覚えようにも、煩雑で覚えきれるものでは無いだろうし、覚えられても表面だけの浅い理解で物にならない。そんな背景からの言葉かも知れない。まずはやってみる事だ、と。



子貢は魯や斉で宰相を歴任した人物で、その弁舌には定評があり、経済的にも財神と崇められるほど豊かであった。その彼が何か行動する時に誰かに伺いをたてる必要があったかと言うと、無かったと考えるのが自然であるから、いちいち行動の説明をしたとは考えにくい。的を得た質問があれば答えるくらいのバランスになりそうである。



論より証拠である。例えば、中国語を勉強するとしよう。橘子という字が気になったので、これは何の事かと聞いたとする。そうすると、大きさは握りこぶしくらいで、色はだいだい色で、食べると甘酸っぱい味がすると言われた。この説明でも橘子が何か察しはつくかも知れないが、言葉だけでは断定はできないはずだ。だが、橘子はこれですと現物を見せられれば、橘子が何か疑う余地は無い。橘子と書くと中国では蜜柑を意味すると分かる。






例えば、乞食のような恰好をして、自分は一国の宰相をつとめてると言っても誰も信用しないだろう。だが、宰相らしい立派な格好で従者を従えていれば、何も言わずとも只者では無いと伝わる。その上で相手から質問された時に、どこそこの国の宰相と言えば納得してもらえる。服装や従者が言葉に説得力を持たせたのだ。



人は話した言葉に縛られる。例えば、飲み屋で今日は驕るからジャンジャンやってくれと言った場面である。みんなはご馳走になりますと言って、ジャンジャン注文するだろう。タダ酒は美味い。そうして宴もたけなわとなり、そろそろ会計でもとなるわけだが、思いのほか会計が高くなってしまった何てことがある。値段を見た貴方は高いと驚くわけだが、驕ると言った建前、やっぱりお金を出して欲しいとは言いづらい。そして反省するのだ。驕るのは会計の金額を見てから決めても遅くなかったんだよな、と。



揚げ足を取られるような形は避ける。



人が何かしていると興味をそそられ、心を開くのが人情だ。説明はその後で良いと捉えるのも実戦的かも知れない。





【まとめ】

平凡は妙手にまさる。

by 大山康晴





------  仏教の立場からの考察  ------

鈴虫や ああ鈴虫や 鈴虫や



2018年10月23日火曜日

為政 第二 12

【その12】

老先生の教え。君子は器では無い。

老先生が言われた。君子は一技一芸の者では無い。

先師が言う。君たちは機械になるなよ。



【解説】

君子は真心につけられた尊称である。器物のように特定の姿形があるわけでは無い。なお、姿形が無いゆえにその変化に限りなく、その変化はどれも真心の顕れという性質を持つ。ここが掴めると、「器では無い」を一技一芸の者では無い、もしくは機械になってもらっては困ると訳す理由がしっくりくる。



大器晩成を考える。この場合の器は心の度量の大きさを例えたものにつき、器は必ずあると仮定しよう。すると器が無い状態が一番大きい器となる。と言うのも、器に姿形があれば、必ずその外側が存在することになる。その器がどんなに大きくとも、外側が存在すれば、当然もっと大きな器が作れる。では、どうしたら外側がなくなるかと言えば、器に姿形が無ければ良い。姿形が無ければ、その外側も存在しないから。しかし、姿形が無ければどこまでが器として良いか分からなくなるが、器は必ずあると仮定したのだから、外側がない状態が器と言うのがその答えとなる。つまり、すべてが器なのだ。

0 = ∞ and 真心 = 0

∴ 真心 = ∞



儒者は今で言う葬儀屋にあたるが、儒の語源が興味深い。まず儒の旁である需という字には、雨が止むのを待つと言う意味がある。これが人間化すると儒となり、儒は雨が上がるのを待つ人たちを意味する。当時、儒者が葬儀のために雨が上がるのを待っている姿が印象的だったのだろう。儒は儀式のために雨が上がるのを待つ葬儀屋という意味になる。また、雨が上がるのを待つのは何も葬儀屋だけではない。勿論、親族も待っている。その親族からすると、葬儀屋が儀式を始めないで天気ばかり窺っている姿は大変もどかしかったようだ。だから儒はグズグズするなと悪口を言われている葬儀屋という意味を持つに至った。しかし、これではまるで道具扱いであろう。この辺の事情が、孔子が「君子は器では無い」と言った背景かも知れない。普通の葬儀屋はまるで道具扱いだが、君子はそんなぞんざいな扱いは受けない、と。



器は道具である。道具に使われる人間はいない。同じように、器を使うのが君子であって、器ではない。



古来中国では役人を官吏と言うが、官と吏は違う。官は言わば公務員であり王に雇われるが、吏は言わば私兵であり官に雇われる。官吏は確かに一まとめだが、その雇用形態は全く異なるのだ。例えば、官が地方に派遣された場合、その出身地は外すのが慣わしなので、行った先では言葉すら分からない。すると何もできないため、現地で通訳を雇う。この通訳が吏にあたる。通例、器を一技一芸の者と解釈するが、この吏を一技一芸の者と考えると分かりやすい。

君子 = 不器




人体で例えれば、君子は頭、手足では無い。



例えば、官になると、仲良くして欲しいと言って商人が賄賂を持ってくる。綺麗な服を仕立ててくれるし、任地にいくまでの馬車から何まで至れり尽くせりである。では、何故そこまでしてくれるのかとなるが、官は徴税権を持つからである。徴税権がある以上、とりっぱぐれる事はないため色々融通してくれる。この話を商人の視点で見るとどうなるかと言うと、官は金もうけの種だ。金を生む器のようなものとも言える。流石に高級なだけに取扱が慎重になるのである。こういう背景を察するに、器のように使われるなよと諭した場面を想像しても面白いかも知れない。



情を失っては道を誤る。



お金を使っているのか、お金に使われているのか、それが問題だ。





【まとめ】

結局、心なのよな。





------  仏教の立場からの考察  ------

道具と言う字は、道を具えると書くのか・・・。






2018年10月21日日曜日

為政 第二 11

【その11】

老先生が言われた。ふる きを温めて新しきを知る。そういう人こそ師たる資格がある。



【解説】

「故き」を真心とし、「温めて」を真心から離れないの意味とする。そのように生きていると、急に古人の言葉が頭に浮かび、新たな発見をする事が度々ある。そのため、温故知新は真心に気付いた者の実感に思える。「故きを温めて」を、潜在意識に真心が設置された状態としても良いかも知れない。



故 = 古典 

と解釈されるのが通例だが、その言葉の裏に目を向けるなら、

古典 = 真心の発露

と仮定したい。そこで、

故 = 真心 

と考える。


また、

真心 = 無心 ⇔ 無心 = 己を殺す事

であるから、

故 = 己を殺す事

これが古ではなく、故と言う理由と考えたい。



通例、「故きを温めて」を古典に習熟すると言ったほどの意味で解釈し、「新しきを知る」を古典を現代に応用する、又は新しい事柄にも精通すると言う解釈が施されている。


師 = 古典に習熟し、現代に応用できる者

但し、熟は真心を明らかにするの意味とする。




人間は何千年たっても変わらないようで、現在の悩みに意外にも古典が答えをくれたりする。今、自分が悩んでいる事は、往々にして昔誰かが悩んだ事である。そのため、識者が古典に通じるのは、単に酔狂という訳では無い。古典は言わば前例集であるから、ケーススタディとして学んでいるのである。自分が置かれた状況なら、昔の人はどう対応したのかを古典から探しだしヒントを得る。そこで、古きを温めて新しきを知ると言う。そして、そういった過去の前例に通じた人は、困難な状況を切り抜ける糸口を見つけられるから、周りの人の尊敬を受け、以って師となれる。



例えば、恋愛で困っているとする。不安になるときもあろう。こういう時は、友達に相談してみるのも一つの手である。友達ならどうするか聞いたり、友達の経験談を聞くと参考になるものだ。この感覚が「故きを温めて」である。そうして気持ちが落ち着けば、自分がどうすべきかも固まってくる。決心がつくかも知れない。「新しきを知る」のである。ただ、相談相手を友達に限る事はないだろう。書物も参考になる。それも今だけでなく、昔の書物でも良い。恋愛に今も昔も無く、同じことを同じように悩んでいるのが人間なのだから。



孔子の人生は、失われた過去の偉大な王の礼を復興させようとした人生だった事を考えるに、孔子の言う温故知新は、過去の偉大な王の礼は見直すほどに新しい素晴らしさがあると言う意味だったとも思う。儒家の師になるならば、同じ感覚を持ってほしいと考えるのは自然である。





【参考】

1、以て師為る可しを、自分が師となるのではなく、本を師とすると訳す人もいる。座右の書というイメージだろう。


2、温は、温めると訳す場合と、訪ねると訳す場合の両方ある。自分は字のまま温めると訳した。そのほうが、真心のもつ暖かいイメージも含まれると思うから。


3、日本では時代はどんどん良くなると言う方向で考えるが、中国ではその逆に昔は本当に良かったと考えるのが一般的と言う。そういう発想から温故知新を考えて見ると、また違った味わいがある。昔は本当に素晴らしい時代だったから、むしろ訪ねたいのだ。この感覚は日本人には少ないだろうから、その発想の違いが面白い。




【まとめ】

古典 = 前例集




------  仏教の立場からの考察  ------

温故知新の各文字を関数として扱うと、温故知新はその積となる。

温 × 故 × 知 × 新 = 0

∴ 温故知新 = 日々新又日新





2018年10月19日金曜日

為政 第二 10

【その10】

孔子先生がおっしゃった。何をしているのかを視て、何故しているのかを観る。どこで心が安らぐのかまで察するなら、どうして隠し事ができようか。いや、できまい。


老先生が言われた。現在は注意深く、過去は広く、未来は細かく、このように心がけるならば、どうしてその人となりを隠せようか。いや、隠せまい。




【解説】

一言で言えば、人を見るときのコツとなるが、この精度をあげるのが真心である。人は欲目があると、自分にとって都合の良い状況を、客観的な状況と混同させやすい。こうであったらと思いたいがために、そう思える根拠として都合の良い情報ばかりが目につき、自分にとって不都合な情報は軽視しやすいのだ。こういった事は恋人関係で考えると分かりやすい。例えば、あばたもえくぼと言う言葉があるが、恋愛真っ盛りのとき、恋人は何をしても可愛らしく見えるものである。だが、客観的に、あばたはあばた、えくぼはえくぼであろう。恋愛ならば甘酸っぱい経験として微笑ましい部分もあるが、人を見るときにこれでは判断を誤ってしまう。



仮に自分が相手を把握した部分を、

自分 ∩ 相手 

と表すとする。これをXとするならば、

X ⊆ 相手 

よって、

X = 相手 

の時、Xは最大値となる。この時、

自分 = 0 ⇔ 真心




例えば、泣いている子で考えて見よう。子供が泣いていると一言にいっても、泣いている理由は様々で、玩具を買ってもらえずに泣く子もいれば、転んで泣いている子もいる。だから、泣き止まそうにも、まずは泣いている経緯を知らなければとなる。経緯さえ分かれば、どうしたら心が安まるのか察する事ができるから。玩具が欲しければ買ってあげれば良いかも知れないし、転んで擦り傷があるなら治療してあげれば良い。これで子共の考えている事は大よそ検討がついたわけだ。



中国では騙されたほうが悪いと言う話がある。日本では騙す方が悪く、騙されれば被害者と言うのが一般的だが、中国ではその常識が逆だと言う。中国では騙すのは当然で、騙されたほうが間抜けなのだ。そんな調子だから、中国で生きるには、日本以上に相手の嘘を見抜かなくてはならない。基本的に相手はだますのだから、相手がどのように嘘をついているのか見抜く知恵が必須となる。




人は利によって動くと言うが、嘘を見抜く場合も利が決め手となる。例えば、ブランド物が定価の半額だと思って喜んで買ったら、実はまがい物だった何てことがある。残念なかぎりであるが、本来なら何故半額で売れるのかと疑ってかからねばならなかったはずだ。それは、店側に利が無いからで、店は素人ではないのだから、そんなミスをするはずが無い。利で考えれば、半額で売れる事はとても疑わしい状況だが、多くの人は値段の誘惑に負けて、まがい物を掴まされるのである。

では、どんな時も半額で買ってはいけないかと言うと、そうでは無い。店側に半値で売りたい理由、つまり、利があれば良い。例えば、貴方が役人だったとしよう。店側も商売の邪魔をされたくない。役人との揉めごとだけは避けたいとなれば、特別に貴方との取引は半値でお受けしたいとなる場合もある。この場合、店側は少々の事は見逃して欲しいと言っているわけだが、確かに半値で売っても利があるのである。役人である貴方にまがい物を掴ませては目的を達成できないから、本物での取引になりやすい事も大きい。




利が分かれば取引ができる。例えば、玩具を買って欲しくて泣いている子ならば、玩具を買ってあげる代わりにテストで100点を取ったらと条件を付けて見る。そうすると、子は玩具で釣られて勉強を頑張るかも知れない。例えば、ブランド物を半額で譲る代わりに、何かお願いをする。ブランド物が欲しい人ならば、引き受けるだろう。人生は人にお願いしなければならない時もある。騙されないためにと言うだけでなく、相手にお願いするためにと言う方向でも理解しておきたい。




今回、口語訳を2つ示したが、慎重をきすならば過去、現在、未来としっかり抑えたほうが間違いが少ない。点で捉えるのではなく、線で捉えるイメージだ。




【参考】

視は注目、観は広く、察は細かく見ると言う意味。





【まとめ】

相手と一つになると良くわかる。





------  仏教の立場からの考察  ------

欲がなくなってくると、我に邪魔される事が少なくなり、その分相手の欲している事をそのまま受け取れる気がする。

2018年10月16日火曜日

為政 第二 9

【その9】

老先生が言われた。顔回と話していると、終日頷いてばかりで、愚のようだ。しかし、別れた後に省みて、その生活を観察してみると、新たな発見がある。顔回は愚ではない。




【解説】

感覚は言葉には出来ない。例えば、真心が大事と一言に言っても、人によって想像する内容は微妙に異なってくる。真心と言う言葉を使うだけでは、自分の想定している真心が、相手と共有されているかは分からないのである。では、真心の感覚を直に伝える方法は無いのかとなるが、結局のところ生活態度で示すしかない。知識は人を分かった気にさせるが、それは錯覚を含むという示唆を受け取りたい。



真心とは無心、無心とはなりきる事、その時自己は無くなる。よって、これを数字の0で表す。もし、その時、顔回が純なる真心であったと仮定するならば、顔回は孔子と一つである。これを頷くばかりの心と考えて見たい。

真心 = 0 and 顔回 = 真心 

∴ 孔子 + 顔回 = 孔子 



徳行第一と言われた顔回(顔淵)と孔子のやり取りである。顔回は孔子が後継者と目したほどの人物であり、その聡明さには敵わぬとしたほどの男だった。彼は孔子の言った事をきちんと咀嚼し、自分の血や肉としているばかりか、自らの工夫も加えていた。その姿を見て、孔子すら教えられる事しばしばと言う話である。顔回は享年41歳と早世であった。死因は貧しい生活がたたっての栄養失調とされる。




賢者は自分より知恵者の前では口を開かないと言う。恐れを知るからである。




処世術の側面を考えて見る。例えば、後輩なり、部下なり、目下の者が反論してきた場面を想像して欲しい。時と場所を選ばずに反論されるなら、上の者としての面子もある。可愛くない奴と思われても仕方がない。何時の世もイエスマンほど気に入られるものだ。顔回はイエスマンだったから気に入られたわけでは無いだろうが、省みればきちんと基本を守っている点には注目したい。これを君子は事に敏にして、言に慎むと言う。




行動してみると、頭だけで考えていた時には見えなかった事が見えてきて、新たな発見があるものである。理解が進むし、自分なりに工夫もできるようになる。その姿を孔子は端から見ていて、まず教えを守っている事に感心し、次に顔回が加えた工夫を見て啓発された。ここに学ぶべき者の見本を見る。



賢者はどんな者からも学べると言うが、弟子から学ぶ孔子の姿勢も学びたいもの。





【参考】

1、現在では、西洋文化の影響なのだろう。話を聞いているかどうかは、的確な質問によって証明されるとするのが一般的かも知れない。きちんと合槌を打ち、話の合間には質問をする。先生に限らず目上の者は、話した内容を分かってくれたかを心配するもの。その気持ちを察する事ができてこそ良い学生と考えて見たいが、中国の古典の世界では行動にこそ重きが置かれるように思う。この違いに東西の文化の差を感じて興味深い。


2、回は、顔回の事。名を子淵と言うため、顔淵とも言う。


3、発するは、発明と言う意味だが、啓発とも訳す。なお、発するをイメージで捉えると、発明や啓発と訳す雰囲気が味わえる。





【まとめ】

行動は口より雄弁




------  仏教の立場からの考察  ----

言葉の外にでるのが、修行の目的ではなかろうか。頷くばかりの解釈だが、仏教的には、顔回が孔子になりきったと考えても面白い。







2018年10月13日土曜日

為政 第二 8

【その8】

子夏が孝を尋ねると、老先生は言われた。「態度が難しい。仕事があれば弟子はその労に服す。食事があれば先生に差し上げる。同じように接したとして、それで孝と言えるだろうか」と。




【解説】

楽しめるなら上、戒めなら良い調子、真心に気づいて初心としたい。




真心 ⇒ 形式  真

形式 ⇒ 真心  偽

真心 ⊂ 形式



同じ事をしているはずなのに、かたや立派と評され、かたや全然と評される。同じ行動をしても、人によってその印象は変わるものだ。では、それは何故かとなるが、つまるところ、日々の心がけを観られている。何をするかより、どのようにするかが肝なのだ。



弟子に求められるものと、子に求められるものは違う。



君子としての親孝行を考えて見る。例えば、親の仕事の手伝いをし、食事の世話をする子共がいたとしよう。普通は親孝行で感心な子となるはずだ。だが、これが子共では無く、君子だったらどうなるかと言えば、仕事の手つだいや身の回りの世話は召使や女中にやらせるべき仕事となる。だが、身の回りの世話を他人に任せているだけだと、ほったらかしにされていると親は不満を持つかも知れない。かと言って、官僚である自分に身の回りの世話をする時間もない。そこで、態度が難しいともなる。官僚としての親孝行を考えるに、恐らく出世が第一となるのだろう。たまに故郷に錦を飾る瞬間が最高の親孝行だ。そう考えて見ると、弟子が先生の世話をするように親に仕えるようでは、親孝行と言わないのも当然となる。




態度が悪ければ意味が無いという視点で考えて見る。例えば、つまらなそうに仕事の手伝いをしたり、面倒くさそうに食事の支度をしても、親から見れば感じが悪いと言うほかない。だから、親への態度をしっかりしなければ、何をしても親孝行にならないとなる。親の仕事を手伝い、食事の世話をするのは結構な事なれど、嫌な顔せずにとか、さりげなくと言う言葉を忘れては元も子もない。




して欲しい事をしないと意味が無いという視点で考えて見る。例えば、お受験ママだ。彼女にとっては、子を良い学校に入れる事こそ本願である。となれば、子に仕事の手伝いを求めるかという問題がでてくる。親の手伝いをしていたら志望校に合格できないとなれば、彼女はそんな事しなくて良いから勉強して欲しいと言うだろう。すると、親の手伝いをする傍目には感心な子が、彼女からは不良息子に見えてしまう。




余談だが、弟子が先生に対してするように奉仕できれば、孝行と言って良かろうと訳す人もいる。世の中は不思議なの物で、他人だと簡単なのに、親子だと難しいという事がある。先生だと簡単にできても、親となるとそうはいかない。意地を張ってしまったり、恥ずかしかったり、中々素直になれないもの。だから、素直に孝行出来た時、大人と言うのかも知れない。親子は縁が深いだけに色々あるものだ。





【参考】

1、「色難し」の色は見た目の事として、顔つきより広く意味をとって態度と訳した。理由は、体全体のしぐさも意味に含めたかったから。ただ、顔つきとする訳文も多い。また、個人的には、印象を整えるのが難しいと訳したい気持ちもある。


2、「色難し」は主語がないため、誰にとって色難しなのか分からない。そのため、主語が君子の場合、子の場合、親の場合と分けて解釈を示した。





【まとめ】

錯覚いけない、よく見るよろし

by 升田幸三






------  仏教の立場からの考察  ----

本物になると、鐘をつく音で和尚に呼ばれるという話を思い出した。





2018年10月12日金曜日

龍神祝詞

【祝詞】

高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し給う龍王は    

大宇宙根元の御祖の神(御使い)にして 一切を産み一切を育て

萬物を御支配あらせ給う王神なれば 一二三四五六七八九十の 

十種の御宝を己がすがたと変じ給いて 自在自由に天界地界人界を治め給う

龍王神なるを尊み敬いて 真の六根一筋に御仕え申す 

ことの由を受引き給いて 愚かなる心の数々を戒め給いて

一切衆生の罪穢の衣を脱ぎ去らしめ給いて 萬物の病災をも立所に祓い清め給い

萬世界も御祖のもとに治めせしめ給えと 祈願奉ることの由をきこしめして 

六根の内に念じ申す 大願を成就なさしめ給えと 恐み恐み白す



【解説】

まず龍とは何かと言う話をすると、龍とは河の事である。中国の話になるが、中国は行商人が集まってできた国と言われる。色々な民族が、黄河を船で下り、ある地域に集まるようになった。そこでは言葉も分からぬ同士が、身振り手振りをしながら売買をして生活していたが、人が集まるようになれば、そこは自然と都市として発達する事になる。そうして商いが盛んになると、商いのルールがあったほうが面倒が無くて良いから、そのルールを取り仕切る者が出てきて、その者が都市で幅をきかすようになる。これが中華皇帝の走りとなる。皇帝は都市を商いの場所として開放する代わりに、場所代を取るようになるのだ。そして、商いが発達するほどに皇帝は栄えたのである。

この話を皇帝の視点で見ると、皇帝が河を龍として崇めた理由が良く分かる。皇帝からすれば、河こそが自分に金銀財宝を運んでくれるのだ。何て有難いものだろう。だから、河を神格化するようになり、河は龍になっていく。そして、黄河は度々反乱し、昔から中国人を困らせてきた。一度氾濫すれば手に負えないから、それが龍の逆鱗に触れたとなるし、氾濫が治まれば一切が流された土地に、再び都市が作られていく。そして、また河が皇帝に財宝を運んでくれるのである。この世界観と、日本神話の世界観を合わせたものが龍神祝詞ではないかと思っている。

そう考えて見ると、日本には川が大小数万あり、川は確かに昔から人々の暮らしを助けてきた。川から水を引いて田畑をつくったり、飲み水にしたり、川魚をたべたり、そうして川は人を繁栄させてきたが、時には氾濫して人を苦しめてもきた。しかし、氾濫が治まれば、人は川の恩恵に預かるのである。そして、日本の川は流れが速いため、汚物を浮かべても、すぐに何処ぞへ流れてしまう。だから、水に流すという言葉も生まれ、これが祓い清めのイメージとなる。

こうした川を龍に見立て、崇め、自らの愚かなる心をも水に流してもらう事を願う。一切衆生の罪汚れを水に流してもらおう。生きとし生けるものの病災いを水に流してもらおう。その見返りとして全身全霊をもって仕えると、言わば自分の身を犠牲にさしだして願うのが龍神祝詞の姿だと思う。自分は川を龍に見立て、川を崇めるようなイメージをもって奏上している。






【参考】

1、解説は人から見た川の恩恵で書いているが、祝詞はもっと広く、人以外の生きとし生けるもの全ての安寧を願っている。古神道は自然信仰であるため、人も自然の一部だとわきまえているのだろう。


2、十種の御宝(とくさのみたから)が何かは分らないが、その字の通り受け取れば、川が繁栄を運んでくるというイメージで良いだろう。中国なら行商人が舟に財宝を乗せて、黄河を下ってきたのだから、川は実際に多種多様な財宝を運んできたと言える。


3、高天原は富士山と言う説もあるようだが、ざっくり日本版天国でも、現在の日本でも良いだろう。自分は現在の日本を想定して奏上している。理由はイメージしやすからだ。


4、天と地に御働きの解釈を考えるに、地はイメージしやすい。竜が河川を象徴するなら、河川の回りは緑が生い茂るし、さまざなな生き物が生息し、人もその恩恵を受けている。ただ、天への身働きが何かと言われると、水が蒸発して雨になる事だろうか?ここは壮大に、龍神が雨のなかを移動している姿をイメージしても良いかも知れない。通り雨を龍神様が移動していると言ったりするので、あながち外れてないだろう。


5、真の六根一筋には全身全霊をもってという意味。六根は具体的には眼耳鼻舌身意と言い、その字通りに人間の活動全般を指す。人間は眼で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌を動かして話し、身を動かし、意思をもって生活する生き物だと昔の人は考えたと言う話だ。


6、大宇宙根元の御祖の神(みおやのみつかい)は、天照大神として太陽をイメージして良いと思う。天照大神から委任され日本を統治してきた代々の天皇陛下を、川が龍神としてサポートしてきたと言われれば、古事記の伝承にふさわしい壮大さとなる。

2018年10月10日水曜日

為政 第二 7

【その7】

子游が孝を尋ねると、老先生が言われた。今どきの孝は、養えば良いと言う。しかし、犬や馬でも皆よく養っている。敬わずして、何をもって別けるのか、と。




【解説】

真心が無ければ、形だけ真似しても駄目という話である。真心から養うのと、養えば孝になるという気持ちで養うのでは、同じ養うでも似て非なるものとなる。その違いは特に細部に見て取れる。例えば、食事の支度を考えて見よう。真心から養うのであれば、食事の内容や食器の置き方にまで気が行き届く。だが、養えば良いとだけ思っていると、食事の内容も適当になっていくし、食器の置き方も雑で良いとなる。これではとても孝とは言えないため、犬や馬と同様ではないかとなる。そこに真心があるからこそ、孝は孝たりえ、その姿に親を敬う姿が見て取れる。養や敬という言葉に囚われず、真心を据えて読むのが良い。



真心 = 孝 ∩ 敬



食うにも困るような貧しい時分には、親を養うのも大変だから、親も養ってくれるだけで心が満たされるかも知れない。お前には苦労をかけるね、と。だが、生活力が備わるにつれ、この状況も変わってくる。裕福になり親の面倒くらいは見れて当然となると、親も養われるだけでは物足りなくなる。生活出来るのは当たり前なのだから、生活させてもらうだけでは満たされず、もっと他の何かを欲っするようになるだろう。こういう話を即物的に捉える視点も大切だが、親が欲しているのは真心と気づきなさいと言うのが、孔子の言わんとする処だ。



例えば、生活の面倒だけ見て、会いにも来ない子をもった親は幸せだろうか。貧しい者ならば、子が自分を食わせるために頑張ってると考える。それが裕福な者になると、子は顔も見せないで何をしていると不満をもらす。親を養う事が親を満足させるとは、一概に言えないのである。




敬われずに怒る親がいれど、敬われて怒る親はいないから、親を敬う事は良いだろう。では、具体的にどうしたら良いかになるが、助言をもらったり、褒めたり、感謝を伝えるという事になるのだろうか。ただ、そこに真心が無ければ本物にはなりえないという視点が、今回学ぶべき点となる。なお、これは余談だが、中国の賄賂国家という性質上、彼らにとっての敬いはお金の額と解釈され、結局は孔子が嘆く養うだけの所謂親孝行が盛んになる気もする。そう考えて見ると、親に助言をいただきながら、感謝を伝え、多額の金品を持参するのが君子の親孝行なのかも知れない。これならば喜ばない者も少ないだろうし、養うだけでは足りないという孔子の言にも適う。まさに孝の極みである。





【参考】

お金があれば幸せになれると人は考えがちだが、実際はそうとも言えない節もある。と言うのも、人は収入が増えるほどお金に執着する傾向があるからだ。それは例えば、家族の不仲に現れたりする。お金が無い時は、無いお金を考えても仕方ないから、自然とお金抜きの家族関係になる。そうすると、一緒に頑張ろうとなるもので、旦那が博打ばかりで働かない等の例外を除けば、基本的に家族仲が良かったりする。だが、収入が増えるにつれ、この家族関係にも変化が生じる。つまり、お金があるならば、欲しい物があるから私によこせとなって、家族内がお金をめぐってギスギスし始めるのだ。日本だとだいたい年収800万が境で、800万を超えると家族が喧嘩を始め、逆に800万未満なら家族内はそれなりに円満という話がある。

何故そうなるのかは分からない。収入が増えるほど家にいる時間が減るから、自然と家族内の会話もなくなり、朝に顔を合わせるだけの関係になる。家族というより同居している他人となり、顔を見たらお金と言うだけの関係にもなる。すると安らぎを外に求める他ないから、旦那は浮気に走る。走れば妻は私もとなり、家庭は冷め始める。こうして理由を考えて見るのも面白いが、それはさておこう。





【まとめ】

人間は心だよ。





------  仏教の立場からの考察  ----

犬や馬にも慈悲をもって接する。そこに両親との区別は無い気がする。あるとすれば、命の危険が迫っているなど例外的な場面だけだろう。

2018年10月5日金曜日

為政 第二 6

【その6】

孟武伯が孝を尋ねると、老先生は言われた。父母の病気をただ心配する、と。




【解説】

父母の病気をただ心配する

このただ(唯)という部分をしっかり抑えよう。心配するのではなく、ただ(唯)心配すると言うところに妙味がある。親子関係とは言え、人間生きていれば色々な事があるだろう。だが、例えば、お金などの下心をもって心配するなら、真心から離れてしまう。それでは孝とは言えまいという裏の意味も感じ取りたい。




唯心配 = 真心 ≠ 心配




孟武伯は、前回の孟懿子の息子となる。伯は長男を示している。



例えば、葬儀の場面を想像して欲しい。相続は争続と言うように、葬儀中に自分の取り分ばかり考えていては、親族との駆け引きばかりが気になり、肝心の葬儀に集中できないだろう。その姿に我欲はあっても、真心は感じれない。ただ(唯)が持つ意味はここにある。



親孝行の本質は関心にあると捉えても良いかも知れない。愛の反対は無関心であると言う言葉があるが、その逆に親への関心を片時も忘れない事が孝の基礎とも言える。だから、例えば、父母が病気にならないよう心配する事が大切だという流れになる。





【参考】

1、他の解釈を示せば、「親は子共の心配を常にしているものだ」と解釈するものも多い。この場合、孟武伯に自分の体をいたわる事が親孝行だと言っている事になる。ただ、日本人的な感覚では無いかと思う。二十四孝に紹介されている中国人の親孝行は、自己犠牲の上でどれだけ親に尽くしたかという視点で書かれているから、自分の体をいたわる事が親孝行とはならないかも知れない。自分の体をいたわらずに親に尽くすから親孝行なのである。また、この説によると、孟武伯に孔子は体をいたわれと言っているのだから、孟武伯は体が弱かったのだろうとなるが、孟武伯のような立派な人間が体が弱かったとは思えないと言う反論もある。



2、「親に病気以外で心配をかけてはいけない」とする解釈もある。この場合、そういう心遣いに真心が宿っていると考えて見たい。





【まとめ】

唯なのだから、簡単なはずなのだ





------  仏教の立場からの考察  ----

唯の実践は子供なら簡単にできるが、大人になるにつれ難しくなるかも知れない。それは何故かと考えるに、大人になる過程で余計なものを身に着けたと考える。ならば、余計なものを取り除けば、子供のように純粋に唯を実践できるはず。さぁ、取り除け、取り除けとなり、最終的にはえい児を目指す。その時、心に生じたものが真心であり、それを父母に向ければ孝となる。孝とは何かと考えるのも良いが、真心さえ明らかになれば自然と孝が分かると考えたい。





2018年10月3日水曜日

為政 第ニ 5

【その5】

孟懿子 「孝とは何でしょうか?」
孔子  「違わないようにすることです。」

孔子が御者であった樊遲(はんち)に告げた。

孔子  「孟孫殿が孝を尋ねられたから、違わないようにと答えた。」
樊遲  「どういう意味でしょうか?」
孔子  「生にあっては礼をもって仕え、死にあっては礼をもって弔い、
     これを祭るに礼をもってする。」




【解説】

孔子  「真心に違わないようにすることです。」

このように言葉を補って理解すると良い。



礼 = 道理 and 道理 = 真心

∴ 礼 = 真心



孔子は孟懿子(もういし)の家庭教師、樊遲(はんち)は孔子の弟子と言う間柄だ。そこでなされた会話の記録として考えると自然だ。



例えば、こんな昔話がある。ある村に国一番の親孝行な者がいるという評判があったそうな。すると、国一番の親孝行とはどのようなものかと気になるのが人情だ。みんなその者見たさに訪ねて来て、彼の周りは大変な賑わいとなったとか。しかし、人の噂は当てにならないものである。実際に彼の日常を覗いてみると、そこには驚いた光景があった。何とその息子は畑仕事から帰るや否や、母親に足を洗わせて、座敷にあがるなり母親に按摩をさせているではないか。これが国一番の孝行息子とはどういう了見だろう。みんな不審に思っていると、ある者が尋ねた。あんたは大層な孝行者だそうだが、親不孝者の間違いじゃないのかい、と。すると、その者は笑って言うのである。ワシは母親がやりたい事を、やりたいようにさせている。これ以上の親孝行があるのかい、と。みんな感服したそうだ。これが親孝行の本質である。



心が最も大切とは言え、人は見た目で判断する傾向が強い。実際に親孝行に見えなけば、周りの理解は得られないという視点も欠かしてはならない。そこで、礼式や作法で見た目を整える必要がある。個人レベルでは気にしなくても良い話でも、国レベルになると気にしなければ体裁が保てない。役人ならば抑えておきたい基本となる。





【参考】

孔子の生きた時代は、三桓氏などが幅を利かせていたために、王の権威が下がっていた。孔子はその事に憤りを感じ、王の権威を取戻すために悪戦苦闘したわけだが、もし念願がかなっていたらどうなっていただろう。勿論、孔子は大功労者となり、大貴族以上の力をもつに至ったのではないか。




【まとめ】

心がなくてもいけないが、心だけでも難しい。





------  仏教の立場からの考察  ----

無いものは 無いものとして 無いままに

有ると思うな 煩いのもと


2018年10月1日月曜日

為政 第二 4

【その4】

老先生が言われた。私は15で学の志し、30で立った。40で惑わなくなり、50で天命を知った。60で耳に順えるようになり、70で心の欲するまま道理に反しなくなった。



【解説】

真心を軸に読んでみる。私は15で真心を明らかにしようと志し、30でそれが掴めた気がした。40でさらに心境が深まると生き方に惑わなくなり、50で私は天命によって動かされているだけと知った。60で全てを天命に委ねられるようになると、以前なら耳に逆らうような言葉も素直に聞き入れられ、70で思いのまま振舞っても真心のみとなった。若いころの心境に誤りがあったとは思わないが、年を経ると違った味わいがあるものだ。



孔子の生涯をつづった一節である。孔子は3歳の時に父親を無くしており、それからは母子家庭で育つ。母親が巫女だったせいか、字の素養がある母親だったので読み書きは母親から教わった。そして、15歳になると本格的に古典(詩経・書経・礼記)を学び始めた。今の感覚では15歳にして自らの行く末を決める勉強を始めたと言えばしっかりした子だが、孔子は貴人の子であるから、他の同クラスの家の子は幼い頃から家庭教師を雇って勉強している。そのため、15歳で学問を志したのは、孔子が父親を亡くし貧しかったから学問が遅れたという事情がある。しかも、孔子は家庭教師はつけられないから、独学だった。その後、母親と死別や結婚を経験し、貧しかったせいで色々な職を転々とする20代を送る事になる。そして、古典の学習をようやく30歳で終えるのだ。この頃には魯国にアルバイトのような形ではあったが士官し評価を得ていたし、私塾を始め弟子を取り始めた。これを評して、30にして立つのだろう。なお、この頃の孔子は聖人とは程遠く、俺が俺がとガツガツする普通の30男であったとも言われる。

孔子の30代は魯で昭公によるクーデター騒ぎがあり、昭公がクーデターに失敗して隣国の斉に亡命する事件があった。孔子は特にクーデターに加わったわけでも、昭公のお気に入りであったわけでも無いのだが、何故か昭公の後を追い斉に行く。若いとも見れるエピソードだが、どうも昭公の相手方の三桓氏という貴族が嫌いだったようだ。三桓氏は、周の天子にのみ許された舞踊を自分のために躍らせたりしていたので、周公の礼を重んじていた孔子には大変な問題で、こんな事が許されるなら何でも許されると憤慨していた経緯がある。しかし、理由はなんであれ、孔子は行った先の斉で大変なショックを受ける事になる。それまでは魯こそ優れた文化を誇る国と思っていた孔子であったが、斉で聞いた演奏によって、自分が井の中の蛙であったことを思い知らされてしまうのだ。肉が3か月も食べれないほど感動したと言うのだから、晴天の霹靂だったに違いない。この時、孔子36歳である。この経験が孔子にとって一つの転機となる。少なくとも文化の面では魯は後進国であり、斉は先進国である事を認めざるを得ず、魯をもっと素晴らしい国に作り変えねばと思いを新たにしたのだ。

40代の孔子は魯に戻っている。魯を作り変えるための力を溜めるためか、新に易を学び始めるなど学問に励む様子がある。この頃はすでに名声があった事もあり、弟子がますます増えたようだ。そして、孔子が48歳の頃、ようやく転機が訪れる。宿敵となる三桓氏にお家騒動が持ち上がるのだ。事の発端は三桓氏の実力者である季孫氏の執事であった陽貨で、糧が季氏を上回る勢いとなり、実質的に魯を支配してしまうのである。こうなると、三桓氏としては面白くない。自分ではなく雇われ人の執事風情が威張っているのであるから。当然、三桓氏と陽貨の間で争いが始まる。このとき、もし孔子が陽貨に加担したならば、三桓氏討伐のまたとない機会であったかも知れない。孔子には30代の頃、三桓氏を嫌がって斉に行った経緯がある。以前から苦々しく思っていたのなら、陽貨と手を組んでも良さそうなところであった。だが、孔子が陽貨の誘いにのることは無かった。この頃の孔子は、50にして天命を知ると評する時期にあたる。陽貨の台頭で、盤石に思えた三桓氏の力が弱まったのは間違いなく、この機会を活かせば、魯の実権を君主に戻せるかも知れない。そうすれば、念願の周公の礼も復興できる。これから三桓氏が巻き返しを計るにしても、いかんせん内輪揉めだ。勝敗がどう転んでも、さらに弱ってくれるだろう。ようやく三桓氏の足元が揺らいだのである。

さて、陽貨がその後どうなったかと言うと、孔子が52歳の時、あえなく三桓氏に敗れてしまう。実はこの時も、陽貨と一緒に三桓氏に背いた公山弗擾(こうざんふつじょう)から、三桓氏と戦おうと誘われていた。だが、またもや孔子は加担しなかった。ただ、このときは相当に心が揺れたらしい。自分を用いる者が誰であれ、用いてくれさえすれば東周を再興してみせるとまで言っている。天命を自覚していたと思わせるセリフである。ここで、公山弗擾を助けないかわりにと、三桓氏と取引があったのか分からないが、普通はあったのだろう。公山弗擾が孔子を口説いたように、三桓氏も孔子を口説くと考えるのが自然だ。何せ戦っているのだ。味方にならないまでも、敵にならないで欲しいという交渉くらいはしておきたい。ともあれ、孔子はこの騒動の後、すぐ魯への士官が適い、出世に次ぐ出世となる。まずは魯の定公から中都の町長に任じられる。やはり立派な人物であったのだろう。翌年には今で言う建設大臣になり、さらに最高裁判長となる。そして、56歳では宰相代行まで勤めた。実力的にも三桓氏に対抗できるようになり、彼のキャリアで一番輝いていた時期だ。孔子はずっと周公の礼の復興を願い、数十年の下積みをしてきたとも言える。その事を思えば、徐々に好転していく状況に、周公の礼の復興は天意と考えても不思議はない。

この頃には、孔子の最大の障害であった三桓氏は、陽貨や公山弗擾との争いで弱り、新興勢力の台頭で頭を悩めている。状況的には、何かうまい手があれば孔子の念願が叶いそうな局面と言える。考えられる選択肢には大きく二つあっただろう。一つは新興勢力と手を組み三桓氏を討伐するという方向、もう一つは懐柔策によって平和裏に事を進める方向だ。もし孔子が若ければ、前者を選択したかも知れない。歴史的にも前者を選択できないようでは、その優しさが徒となる事が多いように思う。しかし、この時の孔子はすでに好い年齢であるし、性格でもあったのだろう。彼は討伐するという選択肢は選ばなかった。そして、魯の定公の元に三桓氏が集うという形にこだわった。彼の憤慨の理由は形の乱れにこそあった事を思えば、当然の決断であったかも知れないが、皮肉にもこれが失策になった。孔子は三桓氏を追い出すより、力をそいで魯の定公の下につけるべきとする。そのために、まず武装解除として居城の破壊を要求するのだが、普通に考えて三桓氏が素直に従うはずがない。居城を破壊してしまっては、まな板の鯉も同然となる。ならばと窮鼠とかし歯向かってくるのが普通である。ここまでは順当な流れにつき、それが読めなかったとは考えにくい。孔子も用心深く事を進めたに違いなく、その甲斐あってか、実際に三桓氏のうち二者、叔氏と季氏には居城を壊させる事に成功した。もはや後一歩である。しかし、ここから失敗するというのだから、好事魔多しである。これを三桓氏の側から考えて見ると、どこまで計算だったか分からないが、中国には相手をだますために降伏を装うという兵法もある。あまりに上手くいっていたがために、孔子が騙されたとしても可笑しくはない気がする。ともあれ、あと一歩と言いう所まで追い込みはした孔子であったが、最後は孟氏の手痛い反撃にあい、逆に魯を追い出されるはめになった。三桓氏の権力への執着が、孔子に勝ったのである。この時、孔子56歳であった。

こうして流浪の生活を強いられた孔子であるが、この時期を表した言葉が耳順となる。孔子は理想の国を作るために流浪したとされるが、道中は決して楽なものではなかった。陽貨と間違って拘束された挙句に殺されそうになったり、度重なる暗殺未遂にも遭遇した。戦争が起こり目的地にいけなかったり、弟子と離れ離れになってしまう事もあった。まさに波乱万丈であり、耳順のニュアンスが伝わってくるようである。目の前の者が味方か敵かをしっかり見極め、味方の助言に耳順わなければ、孔子は生きていけなかったのだ。ゆえに、60にして分別が身に付くと評すると考えて見たい。また、この時代の60代は高齢である。足腰が弱くなり、老いを実感していただろう。こう考えて見ても、耳順の雰囲気が伝わってくる。そうする他なかったという事情も透けて見えるのだ。

この流浪生活は56歳から69歳まで続いたが、流石に体の衰えもあったのだろう。孔子は理想の国を作る事を諦めたらしく、69歳にして魯に帰る事を決意する。魯に帰ると士官の話もあったのだが、それを断った孔子は古典の編纂と弟子の教育にその力を費やした。この頃を評した言葉が、70にして心のまま振る舞って道理に反する事が無いだ。この頃の孔子に政治的野心はない。上から下まで全てを経験し、苦難の道も歩んできた。少欲知足の域に達していたのだろう。心のまま振る舞って道理に反しないのも当然と理解する。





【参考】

1、順を理に適ってると解釈し、耳順は耳が理に適ってるかどうか聞き分けるとした。よって、②では分別ができると訳している。

2、矩(のり)は大工の使うL字型の定規の事。転じて基準や道理を意味する。

3、②では、主に山本七平の「論語の読み方」の解釈を下地にしている。













4、50にして天命を知るの解釈を他に示すと、自分の生きている間には自分の理想国家を作れないと悟ったと言う説もある。ただ、50の頃の孔子は最も脂ののった時期であり、56歳で宰相代行まで出世している。にもかかわらず、理想国家の建国を諦めると言うのも可笑しいようには思う。彼が流浪したのは50代後半からだし、実際に諦めたのは魯に戻った69歳ではなかったか。50にしてと表現するのは無理がある気がする。とは言え、中国において儒教が重んじられてきた事を考えると、50の時に孔子に天命があったと考えても良いかも知れない。









------  仏教の立場からの考察  ----

ある老子は本を何故書かれないのかという質問をされて、若いころの心境が間違っていたとは思わんが、年を経るにつれて心境が変わっていくから、不完全なままで残したくないと言ったとか何とか。自分も生きていれば新たな発見はあるものだと思う。なお、耳順のコツは、相手になりきる事ではないかと思う。仏教を学んでいると、天命も自己を忘れると言う意味に思えるから不思議だ。