2018年8月29日水曜日

学而 第一 11

【その11】

老先生が言われた。父の存命中は志を観なさい。父が没するなら行いを観なさい。3年父の道を改めないならば、孝子と言えよう。




【解説】

真心をもって父に仕える。そういう人柄にあっては、自然とその志を観るようになる。父が没するならば、その行いを思い出し、自分でもやってみるだろう。そうすると、周りから見ているだけでは分からなかった父の大変さが身に染みるし、自分の至らなさにも気づく。そうこうしている内に3年くらいは経つものだという話である。真心さえ忘れなければ、後はついてくると確認したい。




今回は孝がテーマと言う事で、中国人の死生観を踏まえると良いのかもしれない。中国人の場合、日本人とは異なり、死んでも個性は失われず、死後も地下の世界で生きていると考えるようだ。だから、父の没後の扱いが極めて大切になるし、自然と孝が尊ばれる環境が整うのだろう。




父の存命中に志を観る理由は、何をしているかより、何故しているかを観ると考えればスッキリしている。大本となる理由を察することができるなら、先回りして準備しておく事も可能となるし、何をして欲しいのか、何をしてはダメなのかもハッキリしてくる。諫言も真を得たものになり、理解を得られやすくなる。



父の没後に行動を観る理由は、没後は何故そういう行動をとったかを冷静に観ることができるようになると言う部分もある。生前は親子ゆえ素直になれないと言う事もあるから、父の思いを勘違いをして受け取ってしまい親子喧嘩に発展するケースもある。しかし、没後ならば、冷静に観ることができるもの。子を持って知る親の恩、亡くして分かる有難みと言う言葉があるが、要はそういう部分がある。



3年は父の道を改めない理由は、勿論志を継いでこそという部分があると思うが、死生観的には、そうしないと地下で生きている父に怒られて不吉な事が起きると考えるのも自然だろう。要は、「お父さん、言う事を聞くから、どうか祟らないでね」と言うわけだ。こういった話に科学的な根拠はないが、不思議とそう見えるものだから妙に説得力があるものだ。



何故3年かと言うと、当時の慣習だったようだ。孔子の生きた時代には、単にそういう慣習があったから3年と言っている。孔子は葬儀屋であったから、葬儀に関する風習や、父の死後はどうしたら良いか等、こういった質問をされる事が多かったのだろう。余談だが、最初は祟られるのが怖くて初めた3年喪に服すという風習も、みんなの間で当り前となると話は変わってくる。最初は本当に父を忍んで喪に服していたはずが、みんなが3年喪に服すようになると、3年というルールを守らない者は親不孝者というレッテルを張られるようになる。このレッテルは反社会的人間を意味するから大変だ。最初は自然なかたちで出来上がったであろう3年喪に服すという風習も、一度ルールとして認知されてしまうと人々を束縛するもので、その頃には3年というルールが別の意味合いを持つようになる。3年喪に服すなら、確かに親孝行に見える。だが、本来孝に時間は関係ないはずだ。にも関わらず、親孝行に見えると言う部分が大切となり、3年を境にして孝子を決定してしまうのが面白い。





【参考】

1、この部位は他にも「父は子の志を良く見ているものだ。例え亡くなっても、子の行いを草葉の陰からしっかり見ている。少なくとも3年は喪に服し、父の歩んだ道に沿って歩きなさい。それが孝行というものだ。」と訳せる。こう訳すと中国人の死生観が良く出る。


2、3年喪に服すと言っても、実際は満2年だったようだ。中国では死を遠ざけると言う意味で、死んだ日の前日を死亡日とする。そうすると3年目の開始日が調度、本当の死亡日となるため、2年後の死亡日をもって3年喪に服したと言っているようだ。


3、孔子は父の道を改めるなかれと言っているが、家の風習を継承すると言った軽い意味という説がある。極端な例だが、儒教の家だったはずが、死んだ途端に息子がキリスト教に改宗し、キリスト教ではない父親は地獄送りとなったでは、流石に父親が浮かばれない。少なくとも3年はよく考えろと言えば分かりやすいか。





【まとめ】

親孝行に理由をつけてるな。






------  仏教の立場からの考察  ------

やはり仏になる事が一番の孝行だろうか。


2018年8月21日火曜日

学而 第一 10

【その10】

子禽が、子貢に尋ねた。師が訪れた国々では、必ず君主から政治上の相談を受けましたが、これは先生が求められたからでしょうか?それとも、先方からの求めでしょうか?

子貢が答える。先生は温厚、善良、恭敬、倹約、謙譲という徳をお持ちなので、自然と相談を受けるのだ。例え師から求められた場合でも、凡人の物欲しげな求め方ではないよ。



【解説】


五徳を具える事が大切と理解するより、真心の持つ5つの顔を五徳と言っていると理解したい。真心を大切にして生きていれば、人によっては温厚な人だとなるし、また別の人は善良な人と言うだろう。表現の差こそあれ、何方も真心を表現したに過ぎない。こう考えると様々に応用が利く。例えば、真心を軸に生きていれば、当然相手を慮る。慮れば礼儀を重んじるようになるだろう。真心によって我が抑制されるなら贅沢にも関心が薄くなっていくだろうし、謙譲も自然な成り行きだ。孔子から求めた場合であっても、あくまで真心から求めるのであり善意そのものの現れである。五徳は真心の副産物、こう理解したい。



何故孔子は行く先々で相談を持ち掛けられたのだろう。この答えは第一人者だったからであろう。道に達すれば自然とお迎えがくるもので、道半ばでは相手にしてもらえない。何事もそういうものだから、一所懸命に励みなさい、と考えるのが筋だと思われる。



孔子は君主が好むツボを良く抑えていて、そのツボが5つ紹介されていると考えても良い。孔子は温厚で話しかけやすく、相談すれば親身になってくれる。善良な人だから相手を騙すような真似はしないし、魯国の高官の経験もあるから君主に対する礼儀も知っている。浪費から国が亡ぶ事を知る君主から見れば、倹約家は信頼がおけ、へりくだり君主の顔を立てる事を忘れない姿には、相談していて安心感がある。そんな孔子だからこそ、君主は会いたくなる。また、孔子は理想の政治を実現するために士官先を求めていたのだから、時には孔子から働きかける事もあった。ただ、そんな場合であっても、孔子には凡人のような自己PRは必要ない。立ち居振る舞いは洗練され、会話の節々に見識の高さが伺えるので、立派な人だと相手に伝わってしまうのだ。人格を磨き、修養を続けると、ある時それが体からにじみ出るようになる。そうなるとしめたもので、普通にしているだけで物事は上手くいくようになる。巧みな言葉を身に着けようとしている内はまだまだで、いくら上手い事を言っても、そこに心が無ければ相手に見透かされる。「本立ちて道生ず」と言う有若の言葉があるが、その事を確認できるエピソードと捉えてどうか。




逆に、五徳を備えてないとどうなるかを考えて見る。温厚でなければ、冷たいとなって怖がられる。善良でなければ、信用がおけないとなる。恭敬でなければ、不遜で生意気となる。倹約でなければ、どこでそんな金を手に入れたとなって、ある事ない事噂される。謙遜でなければ、気を許せないとなる。官僚として王に仕える身にあって、これが立場を悪くする事は否めない。




偉い人に頭をさげられれば恐縮し、偉い人であっても踏ん反りかえれば陰口をたたかれる。どちらのほうが上手くいくかは結局は運なれど、どちらが可能性が高いかと考えれば前者だろう。五徳にはそういう側面がある。




【まとめ】

一即多、多即一




------  仏教の立場からの考察  ------

仏には三十二相あるとかなんとか。

2018年8月18日土曜日

学而 第一 9

【その9】

曾先生が言われた。父母の葬儀においても、遠き祖先の祭祀においても、心を尽くすのであれば、民の道徳心は厚くなっていくものだ。



【解説】

葬儀に心を尽くすと良い、祖霊祭祀に心を尽くすと良い、と場当たり的に考えると本質から外れてしまう。大切なことは発想の根本にある真心だ。極端に言えば、是だけ抑えれば事足りる。例えば、葬儀を執り行うとしよう。真心を尽くすならば、自然と間違いがないように慎重になるだろう。だから、そう書いてある。葬儀に心を尽くせば道徳心が厚くなるという順番ではなく、真心を以って生きていれば自然と葬儀に心を尽くすようになると理解したい。そして、その姿を道徳心が厚いと言う。何気ないようだが、この順番の違いが肝だ。




政治技術的に解釈してみる。孔子の生きた時代は、葬儀に心を尽くす事が、社会秩序の維持につながると考えていたようだ。ただ、ここで想定している終わりとは、一般人の死では無く、貴族の死らしい。そのため、口語訳では現代の状況にあわせ、父母の葬儀と一般化して書いたが、本来は為政者が働いてくれた貴族の死に対し、祖先への祭祀を含め報いると良いという話となる。葬式や年次法要が、為政者が信賞必罰をアピールする儀式として利用されていたのであろう。俺についてくれば、死者となってすら報いるぞ、と。中国では永遠の命を前提にした文化があるため、実利的に説得力があるパフォーマンスとなる。





俺についてくれば報いるという一例を示す。例えば、日本の職人の世界などでは昔は親方半どりという風習があり、報酬の半分は親方がもらい、残った半分を残りのみんなで分けた。一見すると親方の報酬の高さばかりが目につく風習だが、それがそうでもなかった所に妙味がある。と言うのも、親方は報酬の半分を取る代わりに、職人の娘が結婚すると言われれば結婚費用を出したし、親が死んだと言えば葬式費用を出してやったからだ。こうする事で、親方は血こそつながっていないが、親子同然となったらしい。余談だが、結婚相手を選ぶ時は、その相手の家がきちんと先祖供養している家かどうか見ると良いらしい。先祖供養している家の子ならば大丈夫と言う話がある。





(語句の説明)

1、終わりは老衰死という意味(貴族の死)。

2、慎みは葬儀を正式な形式に則って行うと言う意味。

3、遠きは祖先と言う意味。





【まとめ】

先祖供養をしないと、ろくなことは無い。






------  仏教の立場からの考察  ------

永遠の命に気付くのが仏教の命題かも知れない。個人的には、無心を中心に世界をとらえ直してからと言えば良いか、そういう視点でも世界を見れるようになってからと言えば良いか、その両方の側面を持つようになって死生観にも変化が訪れた。生と死を分けて考えなくなったのだ。死は何処かあの世に行ってしまうというような特別な事ではなく、単に無心から意識が戻らない状態、言い換えれば無心そのものを表す言葉な気がする。無心なら通いなれた道だろうという不思議な感覚がある。



学而 第一 8

【その8】

老先生が言われた。君子に重みがなくては威厳がなく、学問をしても堅固とはならない。忠信を主に生きることだ。友人は自分と同じ生き方をする者を選び、過ちを改める事をためらってはならない。



【解説】

人間を一つの木に例えるなら、知識は言わば枝葉である。立派な木にはそれに相応しい枝葉がついているように、君子になるには学問が求められる。だが、枝葉だけの木は風がふいたり地震がくれば倒れてしまう。やはり地面にしっかりと根をはっているからこそ、幹が安定するのである。人間も同じである。優れた人間性に根差した生き方をするからこそ人間としての軸が安定するし、その上に学問するからこそ立派な大木に成長するというイメージだ。大木は重みがあり、威厳があり、堅固である。君子もこうでなくてはと言う話となる。









では、優れた人間性を得るためにはどうした良いかとなるが、ここで孔子は4つほど指摘している。真心を大事にする、言ったことは守る、友達を選ぶ、過ちはすぐ改める、だ。どれも当然であるが、真心が最も根幹であることには留意したい。真心を大事にするゆえに言ったことを守るのであり、悪い影響をうける可能性の高い人間は遠ざけたほうが良いとなる。反省をためらってはいけないのも、人間は弱いもので志を立てても真心に反した行いを度々してしまうものだからだ。だから、その都度反省して、真心に自分を戻す必要がでてくる。






実利的な面を考えて見る。例えば、言ったことは守らない役人を考えてみよう。その状態で学問にはげむとどうなるかと言うと、人を騙すための勉強をしていると陰口をたたかれるのが関の山で、何を言ってもみんな本気にしてくれなくなる。威厳はなくなり、不信感がつのり、信頼関係が壊れる。その頃には役人生活に黄色信号がともっている。まさに堅固ではない。例えば、不誠実な者と友人になったとする。すると、朱に交われば赤くなると言うわけで、自分もだんだん不誠実になっていくし、ならなければ不誠実な者と友達ではいられない。現実にはある程度は社会勉強だが、誠実に生きると決めた以上はやはり近くにいてはいけないだろう。特に功が成ってないうちなら猶更である。







(参考)

1、「学びても則ち固ならず」の部分は、学ぶ事で頑固にならないと訳す説もある。その理由を考えるに、色々な考え方を知るからという部分もありそうだが、やはり真心に目覚めるからと考えたほうが一貫性がある。


2、「己に如かざる者」の部分は、己に及ばない者と訳す説もある。これを素直に考えるなら、人間の波長は伝染する事を嫌った対応と言う事になる。できる人と一緒にいると不思議と結果もついてくるようになるし、できない人と一緒にいるといつの間にかツキに見放される。そういうものだから、己に及ばない者と一緒にいてはいけないと考えれば一般的かと思う。ただ、真心を軸においた発想をするなら少々事情は変わってくるだろう。真心の前ではみな公平であり、できる人、できない人の区別などないからだ。したがって、「己に如かざる者」は真心の足りない者というニュアンスでとらえたほうが君子らしいのではないか。


3、余談だが、自分は「重からざれば」の訳を、単純に体重の事かとも考えた。満足に食事がとれないようでは、威厳も何もあったもので無いのか?、と。中国には皇帝の料理人が数千人いたという話があるくらい食事を大事にする歴史があるため、小人のうらやむ目線も大事にしたい。




【まとめ】

世の中で軽薄な人間ほど、信用の置けない人間はない。

by 安岡 正篤






-------  仏教の立場からの考察  ------

真心を慈悲と言い換えれば、慈悲心が自然とおきないようでは本物ではないという話になろう。ただ、友人の部分だけは違うのかも知れないと思う節もある。悪人を改心させるのも仏教の目指すべき方向であろうからだ。とは言え、衆生済度の対象でこそあれ、友人ではないか。






2018年8月15日水曜日

学而 第一 7

【その7】

子夏先生がおっしゃられた。夫婦関係においては互いの良いところを見出していくことが第一であって、見た目云々は二の次だ。父母に仕えてはその力を尽くし、主君に仕えては真心をそえ、友人との交わりにも嘘が無い。そういう人間であるならば、例え「自分はまだまだです」と言おうとも、私は教養人とみなすだろう。




【解説】

教養とは人間愛の事である。その実践をできている者は教養人である。こう考えて見ると分かりやすい。例えば、夫婦関係において人間愛を実践するとする。見た目云々を問題にするだろうか?それよりも相手の良いところを尊ぶのが自然だろう。例えば、父母に仕えて人間愛を実践するとする。父母のことを適当に扱うだろうか?それよりも父母に力を尽くすのが自然だろう。人間愛をテーマに生きている者ならば、主君に二心もって仕えるはずもなく、友人を騙してという発想もするはずがないと気づけば、だからそう書いてあると分かる。人間愛に終わりはない。どこまで行っても反省の繰り返しである。当然「自分はまだまだです」となる。

夫婦関係はどうあるべきか、主君や友人との関係ではどうだと考えるのではなく、まず人間愛という根本を抑え、そこから夫婦、主君、友人との関係のあるべき姿を考えてみるのが良い。自然と子夏先生の言葉に行き着くだろう。



教養 = 人間愛 = 仁






今回の箇所は「賢を賢として色を易んじ」の解釈をどうするかで諸説あるようだ。ただ、どの解釈をとろうと人間愛を根本にそえた判断をすれば正解と思われる。賢賢易色は一に人間愛、二に人間愛、三四がなくて、五に人間愛というニュアンスとして受け取れば良い。例えば、「色を易んじ」は女性を追っかけたりしないと訳されるのが一般的だそうだが、この場合も人間愛を軸にして発想するなら女性を尊重しこそすれ、性欲まかせに追っかけたりはしないだろう。また、当時賢者を美女のごとく敬えという格言があったそうで、その事を言っているとの説もあるようだが、人間愛を軸に発想すれば賢者を敬うのは当然である。



【まとめ】

分かってしまえば 全ては同じ
分からなければ  バラバラだ

分からなくても  全ては同じ
分かってしまえば それぞれよ






------  仏教の立場からの考察  ------

上記の詩を思い出す。








2018年8月14日火曜日

学而 第一 6

【その6】

孔子先生がおっしゃいました。若者は家にあっては孝、社会にあっては目上の人に従うと良い。身は謹み、言行一致を心がけ、広く周りの人を大切にしなさい。そうすれば思いやり深い人間に近づけるだろう。余力があるならば、古典を学ぶと良い。



【解説】

大切なことは言葉にできない。結局のところ、これに尽きる。例えば、人間愛が大切だと一言にいっても、人間愛とは一体いかなる感情だろうか。想像するだけでその本当のところは掴めない。実際に人と接するなか、そういう感情になってこそ分かるものだから。自分の中にある人間愛、その感情が掴めてから古典を学んでも遅くはないし、そのほうが理解が進む。人間愛を感じたことのない者が、人間愛をかざしてもハリボテで用をなさないのだ。そこで、まずは実感することに重きを置くのである。



古典は叡智であり、優れた書物である。だからと言って暗記しているだけでは片手落ちであり、実際の現場で活かせるとは言い難い。人間愛に近づいてから、余力があれば古典と言う順番にもきちんと意味がある。古典は君子にとって共感すべきものであり、共感こそ目指すべき方向性だろう。



実利的には、喜ばせる者が喜ばされるを体感せよと考えても実戦的だ。親を喜ばせれば、親が小遣いをくれる。目上の者を喜ばせれば、飯をおごってもらえる。喜ばせると、良い事があるものだ。これが処世術の基本となる。若者はまずは近いところからと言う訳で親から始める。そして、目上の者、周りの者と段々に広げていく。広く周りの者を喜ばせるようになる頃には、良い評判が立ち、まわりに人が集まってくるようになる。すると、それほど魅力的な者ならば一目会いたいと思うのが人情だから、士官先から声がかかる。わらしべ長者である。実際はこんなに上手くいかないが、喜ばせたほうが良いことがある事を実感するだけで十分だ。後は相手の身になって考えると良い。大言壮語して相手が喜ぶか、嘘をついて相手が喜ぶか、適当にあしらわれて喜ぶ者がいるか、と。勿論NOである。そこで、身は謹み、言行一致を心がけ、広く周りの人を大切にしなさいと言う。




【まとめ】

本質を掴もう。





------  仏教の立場からの考察  ------

無心を意識して生活するようになって一年くらい経ってからだろうか。目の前の景色がすごく綺麗に見えるようになった。そして、この上ない宝が目の前にあったと認識した。認識するまでは、看却下と言われても何の実感もなかった。認識した後は、そのまま言ってるだけと分かる。何事も言葉だけで分かろうとしても無理がある。





2018年8月13日月曜日

学而 第一 5

【その5】

孔子先生がおっしゃられた。大国の政治では、物事に対する敬いが大切であり、言った事は必ず守るようにすると良い。公費は節約に努め、民の負担は軽減してやる。民を土木工事などで使役する時も、農閑期にする等、時を選ばねばいけないね。



【解説】

普段、仁愛に基づく生活を送っているならば、そのまま政治を行えば良いと言う話と思われる。人は心だ。国を動かすのは人だ。ならば国の政治も心だ。こう考えて見ると、君子としての肝は普段から仁愛に基づいた生活をしているかどうかとなるから、君子は仁愛を重んじる。単純ゆえに真理か?


人 = 心 and 政治 = 人   

∴ 政治 = 心




大国の政治と言うと、なにか特別なことをしなければいけないと考えがちだが、当たり前のことを当たり前にすれば良いという話でもある。家庭内で反感を受けることは、国の政治でも当然のように反感を抱かれるという事で、結局家庭内をうまくまとめるように国の政治も行うのが良いと考えると分かりやすい。例えば、掃除をするとする。適当に掃除してしまうと、こんなんで掃除したと言えるのとなって、喧嘩の種がまかれる。だから物事は丁寧に行うのが良いとなるわけだ。例えば、日曜に娘と買い物の約束をしていたとして、当日にドタキャンしたとする。親としては仕事があって仕方がないとなるが、娘は約束を破られたとなる。一度くらいなら埋め合わせができても、何回も繰り返すなら娘は自分より仕事が大事なんだとなって親子の信頼関係にひびが入る。約束を守っておくのが一番だし、守れるか分からない約束ならしないほうが良いわけだ。例えば、自分が稼いだお金だと言って娯楽にばかりお金を使って、家庭にお金をいれなかったとする。すると奥さんと喧嘩になるだろう。そういう事が続けば互いに面白くないから、別に男を作った、女を作ったが始まる。そうなれば家庭は冷え切り離婚ともなる。家庭崩壊である。お金は節約につとめ、奥さんの負担を軽減してあげるのが良いのである。例えば、息子が一週間後に試験があると言って、勉強に励んでいたとする。その時に御使いを頼めば、息子は後にしてくれと言うだろう。その状況で怒られたりするものならば、息子は面白くないに違いない。ならば時をみて、試験が終わってから頼むのが良いのである。この話を家庭規模ではなく、大国規模で話していると考えれば良い。しかし、要点は同じというのが肝だ。




君子なれば民が暮らしやすい国を作るのが筋である。政治は節度をもって行われ、ルールがしっかりあり、それが守られている。役人が横暴に税を巻き上げる事もないし、無理難題を言って農作業の邪魔もしてこない。何て暮らしやすい国だろう。暮らしやすい国には当然人が集まる。人が集まれば町は活気がつき税収が増えるし、兵の徴兵にも事欠かないようになる。そして、人が集まるという事は、周りの国から人を奪っているという事にもなるから、他国との国力差は広がっていく。自動的に戦争のリスクも減り、戦わずして勝つ兵法の理想が実現される。民が暮らしに満足するならば、鬱憤から謀反に賛同する事もなく、その警戒へのコストも少なくてすむ。すると君主の機嫌も良くなるとなれば、良い事づくめである。




(語句の説明)

1、敬は慎み欺かない心という意味で、信は言行一致という意味であるから、「事を敬して信」は、物事において慎みをもち、民を欺かない。そして、言行一致を心がけるという意味になる。





【まとめ】

当たり前を大切に。





------  仏教の立場からの考察  ------

故・山本玄峰老子は掃除をしたさいにでるゴミまで丁寧に扱いなさいと言っていたそうだ。ゴミも仏様なのだから、と。こう機会あるたびに思い出すわけだが、実際やるとなると難しい。総じて言うなら、戒律を守れば後はついてくると言う事か。







2018年8月11日土曜日

学而 第一 4

【その4】

曾参先生がおっしゃられた。私は日に三度、自分の行いを反省する。

他人の相談に、親身になれていただろうか?

友人に対し、嘘偽りをしなかっただろうか?

良く知りもしないのに、知ったかぶりをしなかったか?、と。





【解説】

心はコロコロ変わるため、実際に仁を実践するには、日に三省するくらいは必要と考えると良い。日に一度反省するだけでも素晴らしいと思われるが、そこを三度と言うのだから、実際は事あるたびに時間をおかずに反省していたのだろう。人間かくありたいものだ。


例えば、仕事帰りで疲れているとする。早く休もうというときに、妻に何か相談を持ち掛けられたとする。すると、今日は疲れているから休ませてくれとなるのが人情ではないだろうか。妻ならまだ理解が得られようが、これが他人だった場合どうだろう。話を親身に聞けるか、嘘を言ってごまかそうとしないか、知ったかぶりをして適当に話を合わせないか。もし仮にそういう事をしてしまったとしても、すぐ反省して次はしないように志を新たにする。その繰り返しが仁の徳を醸成していくのだという話をしている。このケースの場合、疲れがひどすぎてとても相談にのれそうもないなら、その事情を説明して、後日の約束をするくらいのことはするだろう。そしてお詫びにお酒でももって行けば良いのではないか。



孔子一向は士官先を探していたわけだから、口コミという視点でも考えて見よう。口コミで良い評判が広がれば、それを聞いた王から是非会ってみたいと言ってもらえる。逆に悪い評判がたてば、王どころか紹介すらままならない。口コミとはそういうものだろう。では、どうしたら良い口コミが広まるかとなるが、そのために彼は日に3度反省し、自分を律したのであろう。全く見事な人物である。現代人も彼に学ぶべき点は多い。後は、逆に考えれば良い。

他人の相談は親身に聞くと言うが、逆にそっけなくしてしまうと、例え士官先に心当たりがあっても紹介してはくれまい。友人に対し嘘偽りはいけないと言うが、友人の立場に立ってみれば、少なくとも言行一致の人間でなければ士官先を紹介できない。口では士官先を探していると言いながら、それらしい行動も無いのではその本気度が疑われる。知ったかぶりはいけないと言うが、もしそれが間違っていた場合相手を騙す結果となろう。士官先を紹介してもらえるはずもない。





【まとめ】

仁あるのみ





------  仏教の立場からの考察  ------

伝え聞く山本玄峰老子晩年の姿を見る思いがする。師は寝る前そう反省していたらしい。私心がなくなれば自然とそうなるはずであるが、これがなかなか難しい。

心は自由になるようで、まったく自由にならない。何を考えるかは、考えが浮かんでから分かる。そんなコロコロかわる心を律するにはどうしたら良いかという命題に思われる。結局、繰り返し繰り返し反省していくほか無いのだろう。脳には意思なるものはなく、単に反射しているだけという話がある。ならば繰り返しているうちに、反射が強化され、無意識にも自然とそうなるようにすることは可能なはず。心は自由にならないとはいえ、ある程度補正することはできる。ここに人生の妙味があるのかもしれない。


2018年8月9日木曜日

学而 第一 3

【口語訳】

孔子先生がおっしゃられた。言葉巧みにおべっかを使い、愛想よくへつらう者に、思いやりの心(仁)は少ない。



【解説】

何故おべっかをつかうのか、その心を良く見てみると、確かに相手を喜ばそうという気持ちがないわけでは無いが、その本心は自分の立場を良くするためである。こう考えたほうが自然だし、おべっかにのせられて失態を演じないためにも実戦的だろう。これを逆に考えると、おべっかは見透かされてるぞ、との警告にもなる。こいつ何の下心があってと思われては不振を買いかねない。言う側、言われる側の両面で押さえたい。

また、念願の士官先のことを考えて見ると、おべっかが原因で他の役人に嫌われるかもしれない。士官先で上手くやるには、当然のように他の役人に嫌われてはならない。嫌われてしまえば、様々な嫌がらせを受け、動けなくなってしまう。とは言うものの、おべっか一つ使えないようでは、使えないと言われるのも世の中か?




【まとめ】

偉くなろうとするな。

立派になろうとするな。

人のお役に立つ人間であれば良い。

by 西田天香



これを偉いと言い、立派と言う。





-------  仏教の立場からの考察  ------

相手を褒めていても、下心は無いかも知れない。その理由を問われれば、慈悲あるのみと言えれば格好が良いのだろう。が、自分はまだその境地にはなく、単に癖としか言いようがない。



2018年8月8日水曜日

学而 第一 2

【その2】

有若先生がおっしゃられた。親や兄に孝行し、年長者を敬う人柄の者で、目上の者に逆らう者は少ないものだよ。目上に逆らう事を好まないのに、反逆する者を未だに見たことが無い。

君子は人間としての根本の修養をおろそかにしない。根本がしっかりするからこそ、自ずと歩むべき道が定まってくるのだから。親や兄に孝行し、年長者を敬いなさい。そうすれば、仁の徳が備わるだろう。




【解説】


単純にそういうものなのだろう。その人に仁の徳が備わっているかどうかは、見た目や上っ面の言葉だけでは判断しかねる。実際にその者がどういう行動をしているかによって判断したほうが間違いが少ない。付き合う相手に反逆の気があっては寝首を掻かれる事にもなりかねないのだから、その人となりを見るときのチェックポイントを複数もっておくのは実戦的である。親孝行かどうか、年長者を敬っているかどうかを見れば、その人となりが透けて見えると言うわけだ。これを逆に考えると、自分もそういう視点でチェックされていると言う事だから、親孝行や年長者の扱い方が結局は信用を作り上げることも忘れてはならない。誰も自分に反逆すると分かっている者をひいきしないのだから。



有若は孔子の弟子である。勿論立派な官僚となるために弟子になったであろうから、そういう視点でも解説しよう。これは士官先となる王の立場になって見ると分かりやすい。王と言う立場は色々と警戒が必要なもので、暗殺されるかもしれないし、戦に負けても殺される。常にスパイが寝首を掻こうとその機会をうかがっていると言うわけで、自然と警戒心が高くなるし、猜疑心も強くなる。この一般人とは全く異なる王の立場を理解するならば、王が自分の配下に求める資質も決まってくる。当然、反逆しない人間が好ましいとなるわけだ。ただ、実際にその人間が反逆するかどうかは、使ってみなければ分からないところはある。しかし、親にさえ反抗する者が自分に心から従うだろうか。目上の者を敬えない者が、自分に限っては敬うと言う事がありうるだろうか。普通はNOだろう。では、そういう者が士官できるだろうか。勿論NOだろう。



士官がかなった場合の処世術としての側面も抑えると良い。例えば、念願が叶い、どこぞの王に士官できたとしよう。すると、晴れて官僚としての人生が始まるわけだが、王は恐ろしい存在であることを忘れてはならない。王の機嫌をどう取るかは官僚として最も大事な仕事と言ってもよく、王の機嫌を損ねて殺されるという例は歴史的に珍しくない。諫言を疎まれ殺された者もいれば、教養の高さがあだとなって殺された者もいる。諫言はさておき、教養の高さを買われて官僚に採用されたにも関わらず、官僚になるならばこういった理不尽は避けては通れないのだから、しっかり対策を練っておくのが実戦的だ。では、どう対策を練るかとなるが、要は王の機嫌を取れれば良い。特に王に疑われない資質が重要で、それが最も根本的な資質だと考えれば有若の言につながっていくだろう。反逆の2文字は、雇われる側の立場からみると軽視しがちだが、雇う側に立ってみるとその重さが良くわかる。


諫言 = 反逆した

教養が高い = 反逆された場合に打つ手がなく怖い




人は結局心だ。心を見るし、心が見られる。これが君子が根本の修養をおろそかにしない理由と思われる。ではどんな心が一番心に訴えるかと言えば、筋が良いのは思いやりである。この思いやりの心を仁と言う。故に仁を身に着けるために親孝行に励み、目上を敬いなさいと言う。自然と敵がいなくなっていくだろう。






【まとめ】

遠くに行きたければ、敵を作るな。






-------  仏教の立場からの考察  ------


自分のためにという感覚が薄れてくると、自然と相手のために良かれと思う事を第一に考えるようになる。これが仁だろうか。この感覚は世界を無心を中心にとらえ直した場合に生じてくることを思えば、根本とは無心に他ならない気がする。自分のことに関心がなくなれば、孝行や目上を敬うことも何ら差しさわりない。孝行や目上を敬うことを通じて仁を身に着けると言うより、無心に軸を置くことで自然とそういう素養が見につくと言う順番が筋とすら思う。大事なことは無心、故に君子は根本の修養をおろそかにしないのだろうか。

ただ、自分は無心にきづくまえから、実際にできているかはさておき、孝行や目上を敬うことに何ら抵抗がない人間だったため、無心に軸をおけば孝行や目上を敬えるようになるかは正直分からない。無心がもたらす効果として分かるのは、自分のためにという欲がかなり抑制されると言う事だけだ。欲はなくなるわけでは無いが、やる事は変わらないという気持ちも同時にあるため、まさに不思議だ。



学而 第一

【その1】

孔子先生がおっしゃられた。学んだ事を時には復習し、身に着いている事を確認する事は喜ばしい事だよ。そういう風に過ごしていれば、遠方から同じ志をもった仲間が訪ねてきたりして、楽しい時間を過ごす事もある。人に知られないからと言って、怒ってはいけないよ。それが君子というものだ。




【解説】


孔子が活躍できたのは数年で、基本的には浪人しながら士官先を探した人生であった事を前提に訳す事が大切なのだろう。孔子の言葉の裏には、いつでも士官が適う状態でいよ、と言う前提をおくと分かりやすそうだ。士官先を探す孔子であるから、何時でも士官できる状態にしておくとは当然だ。そのためには、身に着けたものを忘れないように、度々復習して、自己研鑽に努めねばならなかったはず。不遇のなかにあっても、必要な事が身に付いている自分を確認できれば、まだまだ私もやれると発憤出来たのでは無いだろうか?現代でも、老人がまだまだワシも若いと言っている姿をみかけるが、要はそれと思えば想像しやすい。喜(悦)ばしいの雰囲気が伝わるではないか。


孔子の時代から今にいたるまで、中国における知識人の仕事は役人しかないと言う話がある。士官先を探して浪人している者は孔子だけでは無かったろう。そう言った者が遠方から訪ねて来るならば、時には士官先を紹介してくれることもあったろうし、時にはあそこの王は民の評判が良いなどと欲しかった情報を得られたに違いない。教え子が訪ねて来たならば、昔を思い出し疲れも忘れたのではないか。波長の合う人と語り合うのは楽しいものだ。



人は努力するほど他人に受け入れてもらえるのが当然と考えやすい。こんなに勉強したのだから、こんなに頑張ったのだから、と。だから、孔子は自己研鑽を怠るなと言った後で、この点も戒めていると考えてみてはどうか。人に知られないからと言って怒ってはいけないよ、と。実際、士官先はどういうキッカケで見つかるか分からないし、怒っていたら紹介してもらえるものも紹介してもらえなくなる。場合によっては相手をわざと怒らしてその者の器を量るような話すらあるのだから、ゆめゆめ怒ってはいけない。人から話しかけやすいように、常に晴れやかな気持ちでいるという事自体が就職活動なのである。こう考えると実戦的かと思われる。


君子とはつまるところ何だろう。どうもこれには二つの説があって、一つは徳の備わった魅力的な人間と捉える説、もう一つは理想的な官僚像と解釈する説だ。孔子は士官するために浪人生活が長かったことを考えれば、理想的な官僚像と考えるのが筋だと思うが、立派な道徳人と捉えるのも実戦的だ。不遇のなかでも自己研鑽を忘れず、認められないからと言って不平不満を言う事がない。人間、かくありたいものだ。




【まとめ】

くさるなよ。くさったら終わりだからな。





------  仏教の立場からの考察  ------

自己流とは言え禅を少し学んだので、その立場から孔子の言葉を解釈してみたい。学んだ事を時には復習すると言うと、何か特別に時間をもうけて復習したほうが良いといった印象を持ちやすいが、無心に極意があると思うようになると特に努力が必要な話ではないと分かる。自然とそうなるという印象で、喜ばしいという表現も分かる気がする。遠方より友人が訪ねてきて楽しいと言うが、自分にはその経験がないため良くわからない。確かに同じ感覚を持っている人と語れたなら楽しそうではある。人に知られないから怒っていけないとのことだが、これも自然とそうなる。知られることに関心がなくなるから。



論語 はじめに

自分は論語を学んだことが無かったが、昔の本を読んでいると、「〇〇先生は晩年、論語を座右の書とするようになった」と言う感じで目にする。そんなに良い本であるならば、日本人の教養の一つとして知っておきたい。そこで誰の本を読んだら良いかと情報を集めてみるが、加地先生の本が薦められていたので、この本とネットで情報を補完しながらブログを書いていく。


















---- 参考にした人物 ----

加瀬英明、日下公人、石平、福島香織、宮崎正弘、宮脇淳子、山本七平他