2017年12月5日火曜日

神棚拝詞 

祝詞奏上と一言に言っても、正式には3つの祝詞ワンセットで奏上するそうだ。まず天津祝詞と大祓祝詞をまず奏上し、場を祓い清める。そして我が願い事として神棚拝詞を奏上する。家の神棚の前や、神社などで奏上しやすい短い祝詞なので、個人的にはお薦めの祝詞だ。

天津祝詞 ⇒ 大祓祝詞 ⇒ 神棚拝詞



【神棚拝詞】

此れの神床に坐す 掛けまくも畏き天照大神 

産土大神等 諸々の大神等の大前に 

恐み恐みも白さく


大神達の広き厚き御恵みを辱み奉り 

高き尊き神教のまにまに

直き正しき真心持ちて 誠の道に違ふことなく


負ひ持つ業に励ましめ給ひ 家門高く 身健に 

世の為人の為に尽くさしめ給へと

恐み恐みも白す




【解説】

先ずは訳文から。

「神棚におられる口の端にのせる事すら恐れ多い天照大神よ、土地の守り神よ、恐れ多くも申したい事があります。大神達の広く厚い御恵を有難く賜り、崇高な神教えの通り、素直で正しく偽りの無い心で、誠実に生きる所存です。つきましては恐れ多い事ながら、世のため人のために尽くせるよう、我が仕事、家門、健康を御守りください。」

この祝詞の発想は自分で思いつこうと思っても、なかなか思いつかない。神様にお願い事をするとして、普通は受験、出世、安産、恋愛、家内安全等、自分の事をお願いするだろう。勿論悪い事ではないが、この祝詞は世の為人の為に尽くさして欲しいと願うのだ。頭が下がる思いである。

理解で困りそうな部分を補足しておくと、産土大神は太陽の光によって生まれた自然(神々)の事である。天照大神の光によって土地に産まれた偉大な神という意味だ。全ては太陽の光のエネルギーを本にして生まれるのだから自然な話となろう。(当ブログの六根清浄の大祓の説明を参照)

また、神の恵の最も典型となるのは稲である。由庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅と言い、高天原で稲作をしていた天照大神は、孫にあたる邇邇芸命(ににぎのみこと)へ、日本に降りたらこれを食べなさいと稲を渡した。これが日本の始まりである。邇邇芸命(ににぎのみこと)は代々の天皇陛下を指し、故に日本文化の象徴は米となる。天皇陛下の存在を戦後は誤解されている様子だが、陛下は日本文化そのものであり、日本を高天原にすることを願う祭祀である。教養としても覚えておきたい。






---- 以下、余談 ----

ちなみに、日本文化は祓いと言霊と言われるが、祓いと言霊の意味を知っているだろうか?軽く説明しておく。


その1、祓い

祓いは、自分を真っ白なキャンパスにするというイメージだ。良きも悪きも須く自分から追い祓う。こう言うと、良きも追い祓うのかと疑問をもつものだが、悪きだけでなく、良きも追い祓う事がポイントとなる。要は自分を澄んだ水のように清らかにするのである。心清らかならば、心の映し鏡である世界が汚れる事は無い。(伊勢神道)


その2、言霊

祓いが真っ白なキャンパスならば、言霊は言わば絵具である。良い言葉を口にする事で、言葉に宿る守護霊のご加護を得るのだ。明るい絵を描くか、暗い絵を描くかは貴方の話す言葉によって決まる。日本文化の基本が、祓いと言霊という意味が伝わるだろうか?

人間は明るい言葉だけでなく、時には愚痴などを吐いてしまう。愚痴や不平不満で彩りをそえた絵は暗い絵となろう。だからこそ、その一切を祓って、もう一度新しい絵を書くのである。今度は明るい絵になるように。絵師が何度も絵を書きなおしながら成長するように、人間も祓いと言霊の繰り返しによって成長していくのだ。

なお、言霊は人間は話した言葉通りの人生になるという考え方であり、言葉通りの人生になる事を守護霊のお陰と考える信仰である。人生で一つだけ注意するものがあるとしたら、それは口癖と言われるが、試しに愚痴を吐いている人を見て欲しい。愚痴が愚痴を呼ぶように、愚痴ばかり言っていないか?逆に前向きな言葉を話す人は、常に前向きな言葉を話さないだろうか?これをまず実際に確認してほしい。言われてみれば、そういう節があるくらいには思ってもらえるはずだ。

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