英雄は色を好み、色は英雄を好む。
だからこそ、英雄の弱点も色に垣間見える。
暗君の呼び声高い殷の紂王は、元々は暗君ではなかった。
武芸の腕はたつし、頭脳も明晰であったと言う。
それが何故、歴史の名を残すほどの暗君となったのか?
妲己がいたからだ。
妲己は周公旦の手によって、
幼き頃から紂王が気に入るよう仕込まれた女だった。
生まれてまもなく周公旦に引き取られ、
成長してから親元に戻される。
そして、紂王に献上されるのである。
それを知らない紂王は、
妲己の美貌もさることながら、
自分の事を本当に分かってくれる女と思ったと言う。
自分が好きなものは妲己も好きだし、
自分が嫌いなものは妲己も嫌う。
自分が宮廷の音楽に不満を抱けば、
言葉にせずとも妲己は音楽を変えようと言ってくる。
紂王は本当の理解者を得たと錯覚したのだろう。
しかし、妲己は工作員として送り込まれた女である。
紂王の心をつかんだ後は、生来の悪質を発揮する。
天下の主にしては財が少ないと言い、
領民から財を巻き上げる。
酒池肉林の宴をもよおし、
炮烙の刑で焼かれ死ぬ人間の姿を楽しむ。
紂王も妲己に会う前だったならば、
そんな事をすれば人民の離反を招く事は分かっただろう。
だが、紂王は妲己可愛さに、人心には考えが及ばない。
結果、人心はすっかり紂王から離れ、
最終的に自決を余儀なくされるのである。
勿論、妲己を送り込んだ周公旦の手によって。
英雄は色によって身を滅ぼしやすい。
地位があがるにつれ、お金を持つにつれ、
貴方にも色が近寄ってくるだろう。
色とりどりの接待を受けるだろう。
昔の人は言った。
接待は受けても良い。
だけど、女はいけない。
意味が伝わるだろうか?
色という字の部首は刀である。
色の本来の使われ方が字に書いてある。
---- 以下、余談 ----
十八史略の逸話を参考にした。周公旦は、孔子ですら非の付け所が無いと絶賛する君子であるが、妲己を刀として使い、殷の紂王を討った策士でもある。妲己の妲という字は、周公旦の旦に女をつけた字である。周公旦はまず美女を探し、その美女に子を産ませて、養女として引き取った。その女が成長して、名前を妲己と変えるのである。
周公旦は妲己に任務については何も言わなかったそうだ。知らぬほうが良いからだ。だが、紂王が自決し、妲己も周公旦の前に連れ出された時、妲己は言う。私は良く任務を果たしたでしょと。周公旦は妲己の首を斬って捨てるが、その叫び声はしばらく耳から離れなかったそうだ。妲己は周公旦の狙いまでも察していたのである。
傾国の美女である妲己を良く言う者はいないかも知れないが、古来中国では孝が最も大事とされる。妲己は育ての親である周公旦に対し、紂王を篭絡する事で孝をしたつもりだったのかも知れない。三国志の貂蝉が育ての親である王允に報いて、董卓と呂布の仲をさいたように。とは言え、周公旦が紂王を討ったのだから、その状況を逆に考えれば、自分が何に利用されたのかも分かりそうではあるが。
周公旦が紂王と対した時、周公旦は2万5千に対し、紂王は70万だった。にもかかわらず紂王は敗走し、自決することになる。どれだけ人心が離れていたか、恐ろしい限りである。兵法では絶対勝つはずの兵力差でありながら、勝てないのだから、紂王が負けるように味方が誘ったのは容易に想像できる。
だからこそ、英雄の弱点も色に垣間見える。
暗君の呼び声高い殷の紂王は、元々は暗君ではなかった。
武芸の腕はたつし、頭脳も明晰であったと言う。
それが何故、歴史の名を残すほどの暗君となったのか?
妲己がいたからだ。
妲己は周公旦の手によって、
幼き頃から紂王が気に入るよう仕込まれた女だった。
生まれてまもなく周公旦に引き取られ、
成長してから親元に戻される。
そして、紂王に献上されるのである。
それを知らない紂王は、
妲己の美貌もさることながら、
自分の事を本当に分かってくれる女と思ったと言う。
自分が好きなものは妲己も好きだし、
自分が嫌いなものは妲己も嫌う。
自分が宮廷の音楽に不満を抱けば、
言葉にせずとも妲己は音楽を変えようと言ってくる。
紂王は本当の理解者を得たと錯覚したのだろう。
しかし、妲己は工作員として送り込まれた女である。
紂王の心をつかんだ後は、生来の悪質を発揮する。
天下の主にしては財が少ないと言い、
領民から財を巻き上げる。
酒池肉林の宴をもよおし、
炮烙の刑で焼かれ死ぬ人間の姿を楽しむ。
紂王も妲己に会う前だったならば、
そんな事をすれば人民の離反を招く事は分かっただろう。
だが、紂王は妲己可愛さに、人心には考えが及ばない。
結果、人心はすっかり紂王から離れ、
最終的に自決を余儀なくされるのである。
勿論、妲己を送り込んだ周公旦の手によって。
英雄は色によって身を滅ぼしやすい。
地位があがるにつれ、お金を持つにつれ、
貴方にも色が近寄ってくるだろう。
色とりどりの接待を受けるだろう。
昔の人は言った。
接待は受けても良い。
だけど、女はいけない。
意味が伝わるだろうか?
色という字の部首は刀である。
色の本来の使われ方が字に書いてある。
---- 以下、余談 ----
十八史略の逸話を参考にした。周公旦は、孔子ですら非の付け所が無いと絶賛する君子であるが、妲己を刀として使い、殷の紂王を討った策士でもある。妲己の妲という字は、周公旦の旦に女をつけた字である。周公旦はまず美女を探し、その美女に子を産ませて、養女として引き取った。その女が成長して、名前を妲己と変えるのである。
周公旦は妲己に任務については何も言わなかったそうだ。知らぬほうが良いからだ。だが、紂王が自決し、妲己も周公旦の前に連れ出された時、妲己は言う。私は良く任務を果たしたでしょと。周公旦は妲己の首を斬って捨てるが、その叫び声はしばらく耳から離れなかったそうだ。妲己は周公旦の狙いまでも察していたのである。
傾国の美女である妲己を良く言う者はいないかも知れないが、古来中国では孝が最も大事とされる。妲己は育ての親である周公旦に対し、紂王を篭絡する事で孝をしたつもりだったのかも知れない。三国志の貂蝉が育ての親である王允に報いて、董卓と呂布の仲をさいたように。とは言え、周公旦が紂王を討ったのだから、その状況を逆に考えれば、自分が何に利用されたのかも分かりそうではあるが。
周公旦が紂王と対した時、周公旦は2万5千に対し、紂王は70万だった。にもかかわらず紂王は敗走し、自決することになる。どれだけ人心が離れていたか、恐ろしい限りである。兵法では絶対勝つはずの兵力差でありながら、勝てないのだから、紂王が負けるように味方が誘ったのは容易に想像できる。
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