2017年12月15日金曜日

女は怖いという話

英雄は色を好み、色は英雄を好む。

だからこそ、英雄の弱点も色に垣間見える。


暗君の呼び声高い殷の紂王は、元々は暗君ではなかった。

武芸の腕はたつし、頭脳も明晰であったと言う。

それが何故、歴史の名を残すほどの暗君となったのか?

妲己がいたからだ。


妲己は周公旦の手によって、

幼き頃から紂王が気に入るよう仕込まれた女だった。


生まれてまもなく周公旦に引き取られ、

成長してから親元に戻される。

そして、紂王に献上されるのである。


それを知らない紂王は、

妲己の美貌もさることながら、

自分の事を本当に分かってくれる女と思ったと言う。


自分が好きなものは妲己も好きだし、

自分が嫌いなものは妲己も嫌う。

自分が宮廷の音楽に不満を抱けば、

言葉にせずとも妲己は音楽を変えようと言ってくる。


紂王は本当の理解者を得たと錯覚したのだろう。

しかし、妲己は工作員として送り込まれた女である。


紂王の心をつかんだ後は、生来の悪質を発揮する。

天下の主にしては財が少ないと言い、

領民から財を巻き上げる。

酒池肉林の宴をもよおし、

炮烙の刑で焼かれ死ぬ人間の姿を楽しむ。


紂王も妲己に会う前だったならば、

そんな事をすれば人民の離反を招く事は分かっただろう。

だが、紂王は妲己可愛さに、人心には考えが及ばない。


結果、人心はすっかり紂王から離れ、

最終的に自決を余儀なくされるのである。

勿論、妲己を送り込んだ周公旦の手によって。


英雄は色によって身を滅ぼしやすい。

地位があがるにつれ、お金を持つにつれ、

貴方にも色が近寄ってくるだろう。

色とりどりの接待を受けるだろう。


昔の人は言った。

接待は受けても良い。

だけど、女はいけない。

意味が伝わるだろうか?


色という字の部首は刀である。

色の本来の使われ方が字に書いてある。








---- 以下、余談 ----

十八史略の逸話を参考にした。周公旦は、孔子ですら非の付け所が無いと絶賛する君子であるが、妲己を刀として使い、殷の紂王を討った策士でもある。妲己の妲という字は、周公旦の旦に女をつけた字である。周公旦はまず美女を探し、その美女に子を産ませて、養女として引き取った。その女が成長して、名前を妲己と変えるのである。

周公旦は妲己に任務については何も言わなかったそうだ。知らぬほうが良いからだ。だが、紂王が自決し、妲己も周公旦の前に連れ出された時、妲己は言う。私は良く任務を果たしたでしょと。周公旦は妲己の首を斬って捨てるが、その叫び声はしばらく耳から離れなかったそうだ。妲己は周公旦の狙いまでも察していたのである。

傾国の美女である妲己を良く言う者はいないかも知れないが、古来中国では孝が最も大事とされる。妲己は育ての親である周公旦に対し、紂王を篭絡する事で孝をしたつもりだったのかも知れない。三国志の貂蝉が育ての親である王允に報いて、董卓と呂布の仲をさいたように。とは言え、周公旦が紂王を討ったのだから、その状況を逆に考えれば、自分が何に利用されたのかも分かりそうではあるが。

周公旦が紂王と対した時、周公旦は2万5千に対し、紂王は70万だった。にもかかわらず紂王は敗走し、自決することになる。どれだけ人心が離れていたか、恐ろしい限りである。兵法では絶対勝つはずの兵力差でありながら、勝てないのだから、紂王が負けるように味方が誘ったのは容易に想像できる。

0 件のコメント:

コメントを投稿