2020年1月8日水曜日

観音経 普門偈 その19

【原文】

妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念



【和訳】

妙音、観世音、梵音、海潮音は、彼の世間音に勝る。是の故に須らく常に念じよ。



【解説】

観世音と言うのは、何と妙なる音だろう。林に吹く風の音であり、海の潮の音であり、彼の世間の音に勝った趣がある。だから、常に念じなさいという話となる。イメージとしては、ストレスが溜まった時に、町から離れて森林浴や海に散歩へ行くと言った状況を想像すると良い。林に吹く風や、海の潮の音を聞いていると、世間の事を忘れてリフレッシュできるもの。この事を言い表して、林に吹く風や海の潮の音が世間の音に勝ると言っている。また、風の中に吹く風や、海の潮の音の中に観音様の存在を感じられるかどうかは、一重に自分の意識一つである。だから、当然のように常に念じなさいと言う。そうすれば、観音様は常に共にあり、しかも慈悲をもって助けてくださると言うのだから、その働きは妙としか言いようがない。故に、観世音を妙音と称する。これが全体像である。

では、理釈して見るに、林に吹く風や、海の潮の音は何の例えであろうか。個人的には、風は囚われのない自由な心を表し、海は清濁を飲み込む大いなる心を象徴しているように思う。風も海も観音様の説法である。風を観て欲しい。風は何か囚われるという事がない。偏って吹くという事もなければ、こだわりを持つ風など聞いた事が無い。風はただ吹くだけである。林があれば林にあわせて、海の上にあれば海にあわせて、自由に吹くだけである。それに比べて人間はどうだ。何かに囚われて、偏って、こだわってばかりいる。あげくはそれで悩み苦しむと言うのだから、何と愚かな事だろう。海を観て欲しい。海は人の嫌がる糞尿を全て受け入れて、それでいて何ら気にする事が無い。動物達の死骸を全てその身に含み、それでいて平然としている。これを大いなると言うのである。風も海もまさに観音様そのものである。比べて世間で聞こえてくる音は、欲にまみれ執着ばかりが先立つ。清らかさからは程遠い事が多い。

なお、松原泰道氏によると、今回の妙音、観世音、梵音、海潮音、世間音は、その15ですでに説明した真観、清浄観、広大智慧観、悲観、慈観とそれぞれ対応しているそうだ。そこで、一緒に覚えると良いと言う。対応は以下の通りである。



妙音=真観

観世音=広大智慧観

梵音=清浄観

海潮音=悲音

世間音=慈観




【語句の説明】

1、梵は、林に吹く風と言う意味で、宇宙の根本と言う意味もある。

2、参考図書。


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