2020年1月4日土曜日

観音経 普門偈 その18

【原文】

諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散



【和訳】

諍い訟えて官処を経、怖畏なる軍陣の中であっても、彼の観音の力を念ずるならば、衆の怨は悉く退散する。



【解説】

今回は、とかく怨みを生みやすい裁判であれ、何を言っても理不尽な結果を招くであろう敵陣の中であれ、観音様の力によれば、心は怨みから解き放たれると言う話になる。人生は心一つの置きどころだ。心頭滅却と言う言葉があるように、どんな状況であれ覚悟次第で心は自由になれる。相手を怨んだとて、辛くなるのは我が身ばかり。怨んだところで何も良いことは無いと分かりつつも、怨む事を止めれないのが人間の性かも知れないが、だからこそ観音様は慈悲をくださる。ここまで本ブログで書いてきた通りである。

では、具体的に紹介しよう。まずは訴訟という事なので、例えば、争いごとを考えて見る。争いごととなると、相手を負かしてやろうとばかり思うものだが、逆に相手に負けても良いと思えれば争いごとの質が変わる。心が楽になる。相手に教わる気持ちで戦うと良い。すると心が謙虚になる。負かしてやろうと思えば、敵対心から相手を怨むこともあろう。だが、教わろうと思うなら怨みは尊敬に変わる。そういった気持を勝利の女神は好むものである。これが怨みが退散するという意味だ。この話は何も勝負事に限った話では無い。人間関係全般に言える。相手に教わろうと思って接するのと、自分の面子ばかりを気にして接するのでは自ずと接し方が変わってくるはず。どちらの接し方が良い人間関係を築けるかは自明だろう。次は恐ろしい軍中にあってという事なので、例えば、獄中で罪を償なわねばならないような状況を考えて見る。獄中にあっても、その気持ち次第で心は自由になる。罪を受け入れずに過ごすなら、獄中は厳しさばかりが身に染みる事だろう。なんでこんな目に会っているだ、と怨みを抱くのが普通かも知れない。だが、そんな獄中にあっても、罪を償うために入っていると思うなら、厳しさの中にも張り合いがでてくるものだ。心は怨みから解放されて前を向くのである。この話も、獄中を会社、学校などに置き換えても同じ事が言える。嫌だと思えば嫌になる。つまらないと思うからつまらない。結局、世界を決めているのは自分の心である。




【語句の説明】

1、諍訟は、訴訟を起こして争う事。

2、官処は、ここは裁判所の意味。

3、怖畏は、理解の及ばぬ事への恐れ。

4、衆は、諸々の意味。


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