2020年1月11日土曜日

観音経 普門偈 その20

【原文】

念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作



【和訳】

念じて、念じて、疑いを生じさせる勿れ。観世音は浄聖であり、苦悩死厄に於いて、能く依怙を作り為す。



【解説】

観音様を疑ってはいけない。さすれば、浄らかで知徳を具える観音様は、苦悩死厄の際、必ず拠り所となってくれると言う。どんな説法も疑ってかかっては効果はない。聞く耳を持たねば、どんな素晴らしい説法であれ薬とならない。まずは信じる事だ。信じるほどに、心に安らぎが訪れる。不思議な話だが、こればかりは、そうだからそうとしか言いようがない。体感の世界である。

結局、観音様を疑わないとは、自分を疑わないという事だ。観音様を拝むとは、自分を拝む事に他ならない。地獄が自分の心の中にあるものであるように、餓鬼や畜生が自分の心に住まうものであるように、観音様も他でもない自分の心の一面である。観音様とは実は自分の事だったと気づくなら、念念勿生疑は自分が観音様という事を疑ってはならないと言う意味と分かる。例え苦悩、死の恐怖、厄災が身に降りかかっても、観音様のように我を張らず、欲に囚われず、慈悲を以って世間を観る。そういう自分と向き合う時間を日々作っていく。初心に立ち返るでは無いが、それが諸々の不安から解放される秘訣では無いかと思う。




【語句の説明】

1、勿は、なかれ。

2、聖は、知徳に優れるという事。

3、依怙は、頼みにするという意味。依怙贔屓(えいこひいき)。


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