2018年9月28日金曜日

為政 第二 2

【その2】

老先生が言われた。詩経300の詩を一言でおおえば、思いに邪念が無い。



【解説】

老先生が言われた。詩経300の詩を一言でおおえば、思いに邪念が無い。真心を養うための格好の書となる。


このように言葉を付け足して読むのが筋と思われる。詩経は孔子が編纂したと言われるが、その詩は男女の恋愛から国を憂うものまで様々ある。しかし、そのどれをとっても相手を騙そうという邪な思いは無く、真っすぐ本音を詩にしている。自分は、孔子はそのまま言っているという印象をもった。



詩経国風を読む




詩経を学ぶ事には大きく3つのメリットがある。まずは、詩を楽しむ心を養うという事である。詩を自分で作ったり、誰かが作った詩を楽しめるようになると、詩が憂さ晴らしとしての役目を果たすようになる。長い人生、思うようにいかない事も多い。息抜きをしなければ体がもたない。だから、詩でもやって息抜きしなさいとなる。そして、詩経を楽しめるようになると、詩経が本音を詩にしているという部分が活きてくる。つまり、本音ゆえに民の実態を把握できるのだ。民は普段本音を言わないだろう。だが、詩経を見れば等身大の民がいる。詩経は民の心理を理解する参考書なのだ。また、詩経が身に付いてくると詩経を引用できるようになるだろう。すると、王を説得する時などに詩経の一句を引用できる。自分の意見では棘が立ちやすいが、詩経に書いてあるならば聞く耳を持ちやすい。





------  仏教の立場からの考察  ----

まぁ、自由ってことかな。

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