【その3】
老先生が言われた。民を法令で縛り、違反者に刑罰を加えるだけでは、民は抜け道を探して恥が無い。民を道徳によって導き、礼節をもって接するならば、恥を知り身を正す。
【解説】
【解説】
①
因果応報と言うように、出したものが返ってくるのが道理である。真心を出せば、真心が返ってきやすい。真心を出さなければ、真心が返ってくる事は期待できない。では、政治ならばどうなるかと言うと、孔子の言葉がでてくる。人間は機械ではなく、情の生き物だ。これを忘れては国が乱れてしまう。ここが肝と思われる。
②
例えば、泥棒を考えて見る。泥棒はいけないと相場は決まっているが、盗みが悪い事と思っていない人間に幾ら諭しても埒が明ない。泥棒はいけないという道徳があればこそ、反省して盗みを悔い改める心も宿る。ならば、まずは泥棒はいけないという話が通じる人間を育てなくては、住みよい国は作れないだろう。人を見たら泥棒と思えは金言だが、本当に泥棒ばかりでは暮らしにくい。では、どうやって民に道徳を教えるかとなったときに孔子の言葉が活きてくる。
例えば、泥棒を考えて見る。泥棒はいけないと相場は決まっているが、盗みが悪い事と思っていない人間に幾ら諭しても埒が明ない。泥棒はいけないという道徳があればこそ、反省して盗みを悔い改める心も宿る。ならば、まずは泥棒はいけないという話が通じる人間を育てなくては、住みよい国は作れないだろう。人を見たら泥棒と思えは金言だが、本当に泥棒ばかりでは暮らしにくい。では、どうやって民に道徳を教えるかとなったときに孔子の言葉が活きてくる。
③
役人として地方に赴任したとしよう。そこは自分の考えている常識とは、まったく別の論理で動く人々が住む土地だったとする。こういう場合、往々にして、人は法令を笠にして従わぬ者は刑罰で取り締まれとなりやすい。それは確かに正しいし、ある程度は仕方がない部分はあるだが、それでは上手くいかないという話である。郷に入っては郷に従えと言うように、まずは相手の考えを良く把握し、お互いに良く理解しあうのが良い。そうして人間関係ができてくれば、ある程度わがままも聞いてもらえる関係にもなる。その頃には自然と上手くいくようになっていると考えても良いかも知れない。
④
現実問題として、何から何まで法令で縛るのは無理がある。法令の数が多くなり複雑化すると、一般の民には理解困難なものとなってしまう。理解できないものを守れと言っても、それは出来ない話だ。そのため、法令は民の理解できる範囲で制定せざるを得ず、後は道徳に頼らざる得えないし、それが良さそうだともなる。道徳には政策的な要請があるのだ。では、実際に道徳に頼って見るととなるが、これが理に適っている。法令は刑罰が付きまとうため、人に不快な思いをさせてしまいがちだ。道徳の場合は内面の規範であるため、あくまで自分の問題として処理される。不満が外には向きにくいのである。住みやすい国を作りたいならば、これは大変なメリットとなる。
⑤
北風と太陽という寓話を例にとれば、北風が法令だとすれば、太陽が道徳という関係にある。北風は太陽の熱が生じさせるように、道徳がまずあって、法令がそれを補う関係にある。そして、北風が吹くからこそ、太陽の有難みを感じれる事も忘れてはいけない。法令があるからこそ、道徳の有難みを感じれるという関係にある。
⑥
中国では、上に政策あれば下に対策ありと言う言葉があるくらい、政策には従わず、抜け道を探して喜ぶのが中国人一般の姿と言う話がある。こういう状況ならば、孔子が国造りにあたって頭を悩めた事は容易に察しが付く。孔子の時代も法令と刑罰によって民を導こうとしただろうが、いくら法令を作っても、いくら刑罰を厳しくしても、民は抜け道を探しヒョウヒョウとして恥じる事が無い。そこで思いついたのが、道徳の教育では無かったかと思われる。
⑦
中国の歴史を遡れば、多種多様な民族が商売をするために川沿いに集まってきたのが発端で、それが都市となっていったと言う。そこでは言葉も通じない者どうしが商品を持ち合い、あの手この手で商売をしていた。そんな状況だから、相手を騙してでもという感覚になるし、言葉も分からない役人が作った法令など守る気にもならない。強制されるなら抜け道を探せとなる。そこで共通の道徳を持つことへの要請が生まれた。こう考えると自然かも知れない。
⑧
彼らが陸地が無限に続くと思えるような大陸に住んでいるという事実も重要だ。日本などの島国では、逃げると言ってもすぐ海に阻まれるから、逃げきれるものでない。だが、中国は地平線の彼方にも陸地が永遠と広がっているため、逃げようと思えば逃げきれてしまう。そう言う状況下では、この場所にいづらくなれば他の場所に行けば良いという感覚になりやすく、悪い事しても逃げれば大丈夫となりやすい。これが中国に道徳が根付かない理由と紹介される。
逆に、何故日本では孔子が受け入れられたかと言うと、風土が大きい。日本は島国であるから、中国のように逃げ切れるほどの国土は無いし、だいたいは生まれた土地の近くで一生を過ごす。そうなると、周りはみんな顔見知りだし、顔見知りから泥棒したら喧嘩になって生きづらい。自然な形で、恥を気にしなければ生きづらい環境が出来上がるのだ。そのため、孔子の言う事が誠に正しく見えるのだと思う。道徳は逃げ道がないからこそ培われるのかも知れない。
【まとめ】
道徳という土が無い場所に、何の花も咲かない。
中国では、上に政策あれば下に対策ありと言う言葉があるくらい、政策には従わず、抜け道を探して喜ぶのが中国人一般の姿と言う話がある。こういう状況ならば、孔子が国造りにあたって頭を悩めた事は容易に察しが付く。孔子の時代も法令と刑罰によって民を導こうとしただろうが、いくら法令を作っても、いくら刑罰を厳しくしても、民は抜け道を探しヒョウヒョウとして恥じる事が無い。そこで思いついたのが、道徳の教育では無かったかと思われる。
⑦
中国の歴史を遡れば、多種多様な民族が商売をするために川沿いに集まってきたのが発端で、それが都市となっていったと言う。そこでは言葉も通じない者どうしが商品を持ち合い、あの手この手で商売をしていた。そんな状況だから、相手を騙してでもという感覚になるし、言葉も分からない役人が作った法令など守る気にもならない。強制されるなら抜け道を探せとなる。そこで共通の道徳を持つことへの要請が生まれた。こう考えると自然かも知れない。
⑧
彼らが陸地が無限に続くと思えるような大陸に住んでいるという事実も重要だ。日本などの島国では、逃げると言ってもすぐ海に阻まれるから、逃げきれるものでない。だが、中国は地平線の彼方にも陸地が永遠と広がっているため、逃げようと思えば逃げきれてしまう。そう言う状況下では、この場所にいづらくなれば他の場所に行けば良いという感覚になりやすく、悪い事しても逃げれば大丈夫となりやすい。これが中国に道徳が根付かない理由と紹介される。
逆に、何故日本では孔子が受け入れられたかと言うと、風土が大きい。日本は島国であるから、中国のように逃げ切れるほどの国土は無いし、だいたいは生まれた土地の近くで一生を過ごす。そうなると、周りはみんな顔見知りだし、顔見知りから泥棒したら喧嘩になって生きづらい。自然な形で、恥を気にしなければ生きづらい環境が出来上がるのだ。そのため、孔子の言う事が誠に正しく見えるのだと思う。道徳は逃げ道がないからこそ培われるのかも知れない。
【まとめ】
道徳という土が無い場所に、何の花も咲かない。
------ 仏教の立場からの考察 ----
法令の抜け道への興味は薄れるし、自然と自ら正すようになる気がする。