2017年11月1日水曜日

孫子の兵法 地形編

1、六種類の地形

 孫子曰く。「地形には、通なる者あり、挂なる者あり、支なる者あり、隘なる者あり、険なる者あり、遠き者あり。我以て往くべく、彼以て来たるべきを通と曰う。通ずる形には、先ず高陽に居り、糧道を利して以て戦わば、則ち利あり。以て往くべく、以て返り難きを挂と曰う。挂ぐる形には、敵に備え無ければ出でてこれに勝ち、敵もし備え有れば出でて勝たず、以て返り難くして、不利なり。我出でて不利、彼れも出でて不利なるを支と曰う。支なる形には、敵 我れを利すといえども、我出ずること無かれ。引きてこれを去り、敵をして半ば出でしめてこれを撃つは利なり。

隘なる形には、我れ先ずこれに居らば、必らずこれを盈たして以て敵を待つ。もし敵先ずこれに居り、盈つれば而ち従うことなかれ。盈たざれば而ちこれに従え。険なる形には、我先ずこれに居れば、必ず高陽に居りて以て敵を待つ。もし敵先ずこれに居らば、引きてこれを去りて従うことなかれ。遠なる形には、勢い均しければ以て戦いを挑み難く、戦わば而ち不利なり。およそこの六者は地の道なり。将の至任にして、察せざるべからざず。」



【解説】

孫子曰く。「地形にはその特徴ごとに通、挂、支、隘、険、遠の6種類がある。此方(我)から行(往)く事ができ、彼方からも来ることができる地形を通と言う。通じた地形では、先ず日のあたりの良い高地(高陽)に布陣し、補給路(糧道)を確保(利)して戦えば有利となる。此方から行く事はできるが、返る事は難しい地形を引っ掛かると言う意味で挂と言う。掛かる地形では、敵が無防備ならば攻めれば勝てるが、敵にもし万全の防御態勢があれば攻めても勝てない。返りづらい分、不利となる。

此方(我)から出ても不利、彼方から出ても不利となる地形を支と言う。支は字の示す通り枝道に分かれた地形の事だが、こういった地形では敵が不利に見えようとも(利)、此方から進攻(出)してはならない。引いて去ると見せかけて、敵が半分ほど進攻してきた所を撃つのが有利となる。入口が狭(隘)い地形を隘と言う。隘なる地形では、先着したならば、必ずその場所を占拠(盈)して敵を待つのが良い。もし、敵の先着を許し、場所が占拠(盈)されているなら攻(従)めてはならない。場所がまだ占拠(盈)されていないなら、当然(而)、攻(従)めて良い。

険しい地形では、先着したならば日当たりの良い高地(高陽)を占拠し、敵を待つ。もし、敵が先着を許したならば、戦う事は諦め(引)去るのが良く、攻(従)めてはならない。敵と遠く離れた地形では、勢力が均等なら戦いを挑みづらく(難)、戦えば当然(而)不利となる。およそこの六つが地形ごとの戦い方の道理である。そして、その選択が将たる者の任務なのだから、良く考えない事があってはならない(察)。」







孫子が6種類ある地形ごとの注意点を語っている。通と言われる往来がしやすい土地や、険と言われる切立った崖のような険しい地形では、日当たりの良い高地に陣取り、病気を防ぎ傾斜による地の利を得ると良い。そして補給路を確保するたなら、万全の態勢で敵を迎え撃てるため有利である。これは孫子が度々触れてきた通りである。

行きやすいが戻りづらい、まるで引っ掛かりがあるような桂と言われる地形では、戻れないなのだから攻め時を間違えば大損害による敗退が待っているのは言うまでもない。言わば片道キップを意識した戦いが求められるため、攻めきれないならば攻めてはいけないと孫子は言う。当然であろう。

支と言われる枝道のようになっている地形では、敵を誘い込んで撃つのが良いそうだ。恐らく枝道で兵がどうしても分散されるからであろう。敵が塊ではなく分散して攻撃してきた処を各個撃破が良い戦い方であると指摘している。少数を圧倒的多数をもって撃つが孫子の兵法の基本だが、枝道によって敵が強制的に少数に分散されるというイメージと思う。そのため、此方から攻めると兵力分散の愚を犯すのだから、避けなければならないわけだ。

隘と言われる谷間の道ような狭くなっている地形は、、狭い道では狙い撃ちされやすいというイメージを持てば理解しやすいだろう。土地にゆとりがなく、一度の大勢が入れない地形なのだから、どうしても少人数ごとに入る事になる。そこを一斉に狙い打てば勝ちやすいと言うわけだ。そのため、まずは場所を占拠し、相手がくるのを待ち伏せするのが良いと孫子は指摘している。狙い撃たれるのだから、相手が占拠した場合は行ってはならず、相手が占拠できていないなら状況は五分だから攻めても良い。これは狭い土地を利用した大軍を少人数にするテクニックだ。

敵と遠く離れた場合を遠なる地形と言うが、この場合に問題になるのが補給線の確保である。はるばる遠征すれば補給線が伸びるため、狙われやすく維持するのも大変である。長い補給路を守るために人員を割くのはコスト高なのだ。そして、遠征した場合、戦地での地の利を得るのがとても難しい。補給部隊は足が遅いが、補給部隊が無くては戦争は負けてしまう。動きの遅い補給部隊を如何に速く戦地に届けるかが、その後の戦況を大きく左右するのである。だが、遠地まではるばる補給部隊を届けるまで、敵が待っていてくれるだろうか?此方から遠地なら、敵からは近いのである。そのため、戦力が拮抗している場合、地の利は敵に奪われ不利な戦いを強いられる事になる。この辺の説明は軍争編にまとまっている。

このように地形ごとに注意すべき点が異なるのだから、将たる者は良く地形を把握し、熟考のもとで戦わなくてはいけないと孫子は言っている。地形による戦い方の基本も知らないのでは、勝てる戦も勝てない。将たる者は良く学び、良く考え、足元をすくわれないようにする事こそが任務なのである。

仕事で考えて見よう。仕事でも学ぶ事、良く考える事が大切だろう。優れたリーダーは須く読書家と言われる。どれだけ本を読むかが、リーダーを作り上げる側面があるのだ。その読み方にもよるが、おおよそ1000冊読むと様々な知識が脳内で有機的に結合し、色々な事を考えられるようになるそうだ。通常、何冊読んだかは数えていないだろうが、1000冊読むことを一つの目安にすると別世界になるかも知れない。

「愚者は経験に学び、智者は歴史に学ぶ」と言う諺があるが、孫子もはるか2500年前に同じ事を指摘していたと言えそうだ。時代は変われど、同じ人間である。大事な事は変わらないのだろう。孫子が指摘している地形ごとの戦い方は、時代に合わなくなっている。だが、孫子が何を言わんとしているのかの背景を考えれば、現代にも応用が利くだろう。

2017年10月30日月曜日

孫子の兵法 行軍編その8

8、兵は多きを益とするに非ず

孫子曰く。「兵は多きを益とするに非ざるなり。ただ武進することなく、以って力を併わせて敵を料るに足らば、人を取らんのみ。それただ慮り無くして敵を易る者は、必ず人に擒にせらる。

卒、いまだ親附せざるに而もこれを罰すれば、則ち服せず。服せざれば則ち用ひ難きなり。卒すでに親附せるに而も罰行なわれざれば、則ち用うべからざるなり。故にこれに令するに文を以てし、これを斉うるに武を以てする。これを必取と謂う。令、素より行なわれて、以てその民を教うれば、則ち民服す。令、素より行なわれずして、以て其の民を教うれば、則ち民服せず。令、素より行なわるる者は、衆と相得るなり。」



【解説】

孫子曰く。「兵は多ければ良い(益)と言うものではない(非)。ただ猛々しく(武)進のではなく、兵の力を結集(併)させて敵を推し量る(料)事が出来るなら(足)、人数を用意(取)する必要もない。それを深く考える(慮)事も無く敵を軽(易)んずる者は、必ず敵に捕縛(擒)される。

兵(卒)が今だ親しみをもって付き従う(親附)わけでも無いのに、当然のように(而し)罰するなら、心服はしない。心服しない兵を用いるのは難しいものだ。兵(卒)が親しみをもって従ってくれる(親附)からといって、当然のように(而)罰を行わないなら、兵に十分な働き(用)をさせる事は出来ないだろう。故に兵を従わせる(令)には温情のある教育(文)が、軍をまとめる(斉)には厳正な規律(武)が必要なのだ。これを必勝(取)の軍と言(謂)う。

規律(令)が平素より守(行)られた上で、民に教えるならば、民は従(服)う。規律(令)が平素より守(行)られていないのに、民に教えても、民は従(服)いはしない。規律(令)が平素より守られているからこそ、大勢(衆)が良く調べ(相)自分のものとして理解する(得)のである。」





テーマが3つある様子なので、3つに区切って説明しよう。


その1、兵は多ければ良いわけでは無い。

兵は多ければ良いわけでは無く、少人数でも兵力を集中し、相手の弱点を把握しながら攻めれば十分戦える。幾ら兵を集めても、相手を甘く見て突撃をするだけの将では、捕縛されるのが落ちだと孫子は言う。さもあらんだろう。

平原でなら大人数は脅威となるが、戦争では罠を掛けあうもの。将が考えも無しでは、罠にかかって一網打尽になろう。例えば、将が突撃し補給部隊の防衛が手薄になるよう仕組まれたとしよう。将が思慮深ければ補給部隊が襲われるミスは犯さないが、考え無しに突っ込むタイプの将は、少し挑発されれば突撃してしまう。そして、そこを待ってましたと補給部隊が強襲され、食料を奪われてしまう事もある。

食料がなくなれば、大人数の部隊を維持できなくなる。そうなると人数的には優勢であったはずが撤退を考えねばならないし、場合によっては全滅の危険すらある。将が死ぬのは嫌と降伏すれば捕縛される事になる。兵は多ければ良いわけでは無い。将が思慮深くて初めて大人数が活きるのである。

中国の実際の歴史を見ると、敵に撤退すると見せかけて相手をおびき寄せ、食らいついた処を反転攻勢から一網打尽にするのが良い策と吹き込んだ例もある。大人数は小回りが利かない。少人数なら反転攻勢も出来るが、10万の大人数は撤退し始めると反転攻勢という訳にはいかないのだが、相手がそれを知らない処を騙したわけだ。

撤退の雰囲気になった兵の士気を再度高めるのは至難の業だ。それを知らない将が撤退を開始した処、一気に攻め立てられてしまった。何せ撤退した側の兵には戦う気が無いのだ。逃げるくらいしか出来ない。反転攻勢など現実には不可能な話だったのである。まさに兵は詐によって立つである。




その2、令するに文を以てし、斉うるに武を以てする。

信頼関係の無い人間に罰を与えれば、心が離れていく。信頼関係があるからと言って罰を与えなければ、それを見ていた他の者が真似をするだけ。規律が形骸化し、命令違反から軍が機能しなくなる。兵との間に信頼関係を築く事と、罰すべきはしっかり罰する事の両方が大切だと孫子は言う。

特に「令するに文を以てし、これを斉うるに武を以てする」の解釈が難しい気がする。令するとは命令する事だが、文を以っての意味は広い。文は文武両道の文であるため、字と言う意味もあれば、絵などの芸事の意味もあり、さらに中国語では騙すと言う意味合いもあるようだ。

これらを総合して考えると、兵は言う事を聞かないのが普通なのだから、言う事を聞かすには、字を教えたり、芸事で楽しませ騙す事が必要になると言うニュアンスになろう。これを日本人的には温情を掛けると言うのだが、孫子は性悪説の文化圏の人間であるため、兵を騙さねば兵は従えられないという感覚では無いだろうか?文を以っての意味は広い。

斉は元々は整えるという意味の象形文字であるため、斉うるは軍を整えると言う意味となる。命令違反などで収拾が付かない軍ではなく、ビシっとまとまった軍をイメージすれば良いだろう。武を以っては、恐らく武力で無理やりというニュアンスと思われる。規律によって軍をまとめるのだが、規律を何故兵が守るかと言えば、武力が怖いからである。そのため、孫子は武を強調しているのだろう。彼が性悪説である事を考えれば、武によって対処せよと言うのが感覚として正しいわけだ。




その3、普段から規律が守られてるからこそ。

軍と言っても、昔は民衆から兵を集うわけだから、民と軍の差も何処まであるかは分からないが、孫子が言わんとする事はハッキリしている。普段から誰も守っていないような規律を、守れを言っても誰も守らない。だから、普段から規律を守りなさいという訳だ。普段から規律が厳しく守られていれば、民衆も守らねば生きていけない。結果、民衆も規律を良く勉強するようになると孫子は言う。

中国では「上に政策あれば、下に対策あり」と言われる。それくらい個の認識が強い国であるため、規律を守らせるには規律を守らねば生きていけないと思わせる必要があるのだろう。そこで、普段から規律を厳しく取り締まる事が必要と言っているのでは無いだろうか?規律に抜け穴があると、それを対策としてこぞって利用される。統治者側からすれば、規律を守る事が一番だと思わせる必要があるわけだ。




仕事で考えて見よう。ここで孫子が言っている事は、現代の言葉になおせば、信頼関係の構築と公正な評価基準だ。部下との信頼関係は大丈夫だろうか?会社に公正な評価基準はあるだろうか?それぞれ見直しておきたい話となる。

信頼関係の基本は、こいつを絶対一人前にしてやると言う気持ちだ。これさえ持っていれば、幾ら怒っても気持ちは伝わるもの。小手先の話術に頼るのではなく、心でぶつかると良い。昔は愛のムチと言って叩かれる事もあったが、何故問題にならなかったのか?それは、心が伝わったからである。この上司は俺を一人前にしてくれようとしていると思えば、叩かれても愛を感じたのである。

流石に今は叩く事が薦められる時代では無いが、心に愛情を以ってと言う部分は変わらない。温情をもった教育を心がけたい。そして、公正な評価基準が必要な理由は、孫子が言っている通りだ。公正さがあるからこそ、人はやる気になるのである。えこひいきを見せられたら、やってられないと思われるだけであろう。公正な評価基準が普段から守られているからこそ、頑張れば報われるとやる気になってもらえる。

2017年10月29日日曜日

孫子の兵法 行軍編その7

7、数賞するは窘しむなり

孫子曰く。「数賞するは、窘しむなり。数罰するは、困しむなり。先に暴にして後にその衆を畏るるは、不精の至りなり。来たりて委謝するは、休息を欲するなり。兵怒りて相迎え、久しくして合せず、又た相去らざるは、必ず謹みてこれを察せよ。」



【解説】

孫子曰く。「しばしば(数)賞を与えるのは、士気が低下し困(窘)っている事の裏返しである。しばしば(数)罰するなら、兵士が言う事を聞かなくて困っているのだ。兵士達を乱暴に扱った挙句、後になって兵士の仕返しを恐(畏)れるのは、配慮を面倒臭がっている(不精の至り)。使節団が来て謝るとすれば(委謝)、軍の休息時間を稼ごうとしている(欲)。敵が怒気と共に攻めてきたのに(相迎)、時間がたっても(久)合戦にならず、かと言って去ろうともしないなら、必ず慎重(謹)にこれを観察しなければならない。」






まずは、さらに意訳してみる。孫子曰く。「賞は珍しいからこそ有難みがあるのだから、乱発するようでは軍の士気が低くなっていると見てよい。懲罰も同じで乱発すれば空気が悪くなるはずが、それをやらなくてはならない理由がある。恐らく軍首脳部は頭を悩ませているだろう。怒り方一つとっても、兵士の仕返しを恐れる将が多いなら、配慮が足りない軍と言わざる得ない。一事が万事だ。その配慮の足りなさは、必ず他の面でも出てこよう。

また、戦いの最中に、敵の使節団が来て贈答品と共に謝ってくることがあれば、それは本音と思わないほうが良い。敵は単に時間を稼ごうとしているのだ。恐らく軍が休息を欲しているのだろう。好機かも知れない。もし、敵が攻めてきたのに戦おうとせず、退却もしないなら、敵を良く観察しなさい。謀略の匂いがする。」

総じて、通常とは可笑しい行為があれば大よそマイナスなのだから、注意して観察せよと孫子は言っているのだろう。戦争の場合、攻めるタイミングを模索するわけだが、相手が準備できていない時に攻めるのが一番勝ちやすい。そう考えて見れば、孫子が何故こういった行為に注意しているのか分かる。今攻められたら困りますか?と聞いても、相手は全然問題ないと言うに決まっている。だが、ちょっとした事に敵軍のほころびが出ているものなのだ。

今回は特に日本と海外の文化の大きな違いである性善説、性悪説について考えて見よう。日本では人は生まれながらにして良いものであるとし、海外では人は生まれながらに罪を背負っていると考えている。この感覚の違いが、孫子の兵法でも見て取れるのだ。例えば、孫子は敵の使節団が謝りに来たのを、謝りに来たのではなく時間稼ぎに来たと言っているが、この感覚こそ性悪説だろう。

何故この話をしたかと言うと、日本人的な感覚で海外の文化を見ると危ないからだ。日本人も使節団が謝りに来たとして、それが時間稼ぎになる事は分かるだろう。しかし、時間稼ぎに来たとバッサリ斬れるだろうか?正々堂々や、惻隠の情を旨とする日本人にとっては難しい事のように思う。だが、孫子は性悪説に則ってるため、どうせ騙しに来たのだろうとバッサリ斬れてしまうのだ。日本人は海外の人も日本人と同じ感覚で生きていると誤解しがちだが、実は全く違う。簡単にだが、感覚の差を確認しておきたい。

遠からずAIによる自動翻訳機が出来、これからは言語の壁がなくなる。今までは英語だけは話せるように勉強しなさいと言われたが、これからは英語なんて勉強しているのかと言われるようになる。自分で不慣れな英語を話すより、自動翻訳機を通したほうが確実に伝わるようになるからだ。日本人は英語が話せない人が多かったために、国際交流が遅れた側面があったが、これからは言語の壁がなくなるため国際交流も進む事だろう。より海外の人と付き合うようになれば、性善説と性悪説の違いは必ず問題となる。誤解から足元をすくわれないよう、日本人に精神武装が求められている事を知っておきたい。


2017年10月27日金曜日

孫子の兵法 行軍編その6

6、利を見て進まざる者は労るるなり

孫子曰く。「杖つきて立つは、飢うるなり。汲みて先ず飲むは、渇するなり。利を見て進まざるは、労るるなり。鳥の集まるは、虚しきなり。夜呼ぶは、恐るるなり。軍の擾るるは、将重からざるなり。旌旗動くは、乱るるなり。吏怒るは、倦みたるなり。馬を殺して肉食するは、軍に糧なきなり。軍、缻を懸くることなくしてその舎に返らざるは、窮寇なり。諄々翕々として徐に人と言うは、衆を失うなり。」



【解説】

孫子曰く。「兵が杖をつきながら立っているのは、飢えているからだ。水を汲んだ兵が先ず水を飲んだなら、その軍は渇きに苦しんでいる。有利な戦況なはずなのに進攻しないなら、疲(労)れているのである。鳥が集まっているなら、人がいない(虚)のだ。夜に呼び声がするのは、恐れているに他ならない。

軍が騒(擾)がしいのは、将軍に威厳(重)が無いからである。旌旗が揺れ動くのは、将兵に混乱が生じているのだ。役人(吏)が怒っているなら、兵が疲れて怠けている(倦)。馬を殺して肉を食しているなら、軍に食料が無い。軍が炊事道具(缻)を吊(懸)り下げず宿舎に戻(返)らないのは、決死の覚悟(窮寇)をしているからだ。上官が懇切丁寧(諄々翕々)にゆっくり(徐)と部下に話すのは、部下の気持(衆)が離れているのだ。」






孫子は色々な切り口で分析している事が伝わってくる。遠目にも敵の状況は、兵士の姿であったり、旌旗の動き、動物の動きに現れる。特に動物の動きは人間が装うのが難しいため、動物の動きは推論を決定づける根拠となるかもと思う。兵士が杖をついていたり、旌旗がやたら揺れ動くようでは、敵に良からぬ事が起きているのは言うまでも無いだろう。

そして、より近くから見た時は、上官の言動に軍の士気が現れ、牛馬を処分しているかどうかに糧の状況が現れる。夜に大声を出せば敵にも聞こえるのに大声を出すという事は、気持ちを紛らわせているのだろう。つまり、怯えている兵が多そうだし、軍が騒がしいなら上官を軽視しているの可能性が高い。言わば、学級崩壊の状態だ。孫子は様々な例を通して、何気ない事が良くチェックされていて、何気ない事を見れば相手が透けてくる事を説いているのである。


  • 何気ない事から相手が透けて見える。
  • 何気ない事が良くチェックされている。


普段の生活でも、この教えはとても大切である。例えば、子供である。子供の躾では3つ事が大切と言われる。まず大きな声でハイと返事が出来る事、次に有難うと言える事、そして履物を揃えられる事である。理由は単純である。それが出来ると大人に可愛がられるからだ。可愛がられると子供に良い事が起きる。だから昔から子供可愛さに、こういった事を躾たわけだ。

考えてもみて欲しい。大きな声でハイと返事をする子供がいたら、厳しく育てられてると思わないか?小遣いを上げた時、ありがとうと言われれば悪い気がしないだろう。履物が揃えている子供を見たら、しっかりした家だと子供の姿から家を想像するものだ。逆はすべて、しょうがない子共だの一言となる。えらい差であろう。

勉強して良い学校に入る事が教育と錯覚する人が多いが、本当にそうだろうか?今一度、見直さねばならないだろう。例えば、日本の最高学府の東京大学をイメージして欲しい。挨拶もできない、有難うも言えない、靴もそろえない東大生がいたとする。恐らく東大でてるから調子に乗っていると言われるだろう。人情とはそういうものだ。だが、礼儀正しく、靴もきちっとそろえる東大生だったらどうだ?流石に東大生は違うと言われるのだ。人は頭の良さではなく、何気ない事でこそ評価するのである。何気ない事から相手が分かり、何気ない事こそがチェックされている。これが孫子の兵法である。



孫子の兵法 行軍編その5

5、辞の卑くして備えを益す者は進むなり

孫子曰く。「辞の卑くして備えを益すは、進むなり。辞彊くして進駆するは、退くなり。軽車先ず出でて其の側に居るは、陳するなり。約なくして和を請うは、謀なり。奔走して兵車を陳ぬるは、期するなり。半進半退するは、誘うなり。」



【解説】

孫子曰く。「言葉(辞)が卑屈なのに備えを増強(益)しているなら、進撃する気である。言葉(辞)が強(彊)く進撃(進駆)するそぶりを見せるなら、退却する気である。軽戦車が先に出て軍の側面を警護して居るなら、陣容を整えている(陳)のだ。互いの取り決め(約)もなく突然に和平を請うなら、謀である。奔走しながら兵や車の陣容を整える(陳)なら、攻める目星(期)がついたのだ。進んだり後退したり(半進半退)を繰り返すなら、誘いだそうとしている。」





孫子の用心深さをうかがえる一節だと思う。敵の使いの言葉が丁寧で低姿勢であっても、備えを増強しているなら進撃を疑う。敵の使いの言葉が高圧的で騎兵なりが駆けるそぶりを見せても、退却の可能性を疑う。言われて見ないと、なかなか気づけない事では無いだろうか?それぞれ考えて見よう。



1、敵の姿勢が低姿勢で、備えを増強している。

要は言行一致の問題であろう。敵の言葉と実際の行動が一致しないなら、言葉を鵜呑みにしてならない。例えば、敵があからさまに野戦用の城を作り始めながら、戦う気は無いと言ってきた事を想像して欲しい。この狸と思わないか?つまり、そういう事を孫子は言っている。



2、敵の姿勢が高圧的で、騎兵で威嚇してきた。

恐らく「弱い犬ほど良く吠える」の格言を言ってるのだろう。故・山本五十六も「強い犬は吠えない」と言っている。敵が使いをよこしてまで高圧的に出ざる得ないのは、戦いたくない気持ちの現れである。敵の使いの気持になってみて欲しい。敵陣で高圧的にでれば殺される事もあるのに、高圧的に出ざる得ない。その心は、決死の覚悟で退却の時間を稼いでいる可能性が高いわけだ。敵は戦えないからこその賭けだと、孫子は言うのである。



孫子の経験値の高さが透けて見える教えだと思う。その他にも、軽戦車が側面に着いた時は陣容を整える可能性が高いし、敵と相対している時に前触れもなく突然に和平の申し込みがあれば、謀略を疑ったほうが良いと指摘している。また、陣容を整える動きが盛んなら敵の戦意をうかがえるし、敵軍が出たり下がったりを繰り返せば、何か罠があると見たほうが良いと。敵の行動には裏があるという事を、懇切丁寧に説いているのだろう。

最近の時事から、北朝鮮情勢について考えて見よう。孫子は敵の高圧的な交渉が退却を目指している可能性があると指摘している。アメリカと北朝鮮の関係を考えた時、興味深いでは無いか?と言うのも、今アメリカは北朝鮮に攻め入る可能性が何時になく高まっている。早ければ今年中の会戦だし、そうでなくとも来年は攻め入ると言う予想がでている。これは北朝鮮から見れば、高圧的な交渉に見えよう。

ただ、アメリカにはお金の問題がある。先月のハリケーン被害を復興させるのに10兆弱はかかると見られているし、アフガニスタンも撤退では無く増兵なのだからコストは増すばかり。本当に戦争できるのだろうか?本音を言えば、戦いたくないはずだろう。トランプ大統領は本当に難しい選択を迫られているのだ。孫子の言う通り、確かに退却の可能性が高まっていると言えるかも知れない。



---- 以下、余談 ----

こういった理由から、アメリカ対北朝鮮と言うよりは、アメリカは空爆だけして中国がメインの戦争になると言う予想もある。何方かと言えば、中国こそ本筋かも知れない。国際政治は一寸先は闇と言われるため、全く違う事になるやも知れないが。


2017年10月26日木曜日

孫子の兵法 行軍編その4

4、近くして静かなるは、その険を恃む

孫子曰く。「敵近くして静かなるは、その険を恃めばなり。遠くして戦いを挑むは、人の進むを欲するなり。その居る所の易なるは、利なればなり。衆樹の動くは、来たるなり。衆草の障多きは、疑なり。鳥の起つは、伏なり。獣駭くは、覆なり。塵高くして鋭きは、車の来たるなり。卑くして広きは、徒の来たるなり。散じて条達するは、樵採するなり。少くして往来するは、軍を営むなり。」



【解説】

孫子曰く。「敵が近くにいて静かな場合、地形の険しさに守られている(恃)。敵が遠くにいて戦いを挑んでくる場合、我が軍(人)の進軍を誘っている(欲)。敵がいる場所が平坦(易)であるなら、敵に何らかの利があるのである。多く(衆)の樹木が動くなら、敵が来たという事だ。多く(衆)の草で障害を作る者は、伏兵を疑わせたいのだ。鳥が飛び立つならば、伏兵がいる。獣が驚(駭)いて走り出すなら、敵が隠れて(覆)いる。

砂埃(塵)が高く先端が尖っている(鋭)なら、戦車が来たという事だ。砂埃が低(卑)く広がっているなら、歩兵(徒)が来ている。砂埃が散って木の枝のように分かれるなら(条達)、薪を拾っている(樵採)。砂埃が少なく行き来するなら(往来)、軍営を作ろうとしているのである。」






孫子が敵の状況の洞察を様々紹介していると思えば良い。孫子は予め敵の状況を知る手段を複数持っていたという話である。兵器が発達した今、孫子のやり方をそのまま当てはめる事は出来ないが、敵の動きをその心理面も踏まえて洞察しておくという姿勢は学ぶべき点がある。戦争はAIによりロボット化が加速していくが、何処まで行っても戦争は人間同士がするもの。人間心理への深い洞察が、勝敗を決する事に変わりないだろう。

では、解説していこう。最初に孫子は、敵が静かならば地形の険しさによって守られているからで、敵が遠いのに挑発行為などをして戦いを挑んでくるのは、此方に進軍して欲しい理由があるからだ言っている。そして、敵が平坦な地に布陣しているならば、そこに敵を利する何かがあると。

ここで大切な事は、敵の行動の裏には必ず何かあるという心構えでは無いだろうか?命のやり取りをする戦場で、敵が静かなのは解せない。必ず何か理由があると、探すという姿勢こそが孫子の兵法であろう。敵が遠くにいるのに、言い換えれば射程圏内に入っていないのに何故戦いを挑むそぶりをする?何を狙っていると考えが及べば、此方を自分のところまで引き寄せたいという狙いが透けて見えてくる。通常は戦場では高い場所に布陣するのに、何故に平坦な場所を択び布陣しているのか?逆に不審に思わないと可笑しい。こう考えて見れば、「敵の行動には必ず裏があるのだから、必ず裏を見通すべし」、現代でも立派に通用する兵法の基本となるのだ。

そして、孫子は敵の動きを知りたかったら、樹木の動き、動物の動き、砂煙の立ち方を見れば良いと説明している。軍は数万から数十万という大人数で動くのだから、樹木だって何かしらの変化が見て取れるし、戦車と人では砂埃の立ち方も変わってくる。動物は人からは逃げようとするのだから、それを見れば人の有無も透けてくるし、薪を拾うのと軍営を設営するのでも砂煙は変わるのだから、こういった現象をよく観察すれば、敵の動きも分かるという訳だ。

孫子は観察する事の大切さを説いているのである。刑事物のドラマみたいな話になるが、人が動けば必ず何かしらの足跡が残る。その足跡を見逃さないようにしろと言えば、TVの刑事ドラマなどでありそうな話だろう?孫子も刑事ドラマと同じ事を言っているだけだ。刑事ドラマの中では、孫子の兵法が駆使されて犯人を追い詰めていたのである。

日本では昔から見稽古という言葉がある。先生のする事をただジッと見ているだけで、上達するものだからだ。例えば、寺の坊主はお経を唱える事は無い。ただ、廊下を雑巾がけしたり、和尚の世話をしているだけだったりする。だが、和尚がお経を唱えているのを無意識に聞いているし、和尚の立ち居振る舞いを毎日見ている。すると、どうだ?一度もお経を教わった事もないはずのお経を唱えられるようになっているでは無いか。こうして一人前の坊主になるため、見る事が稽古になるというのである。

孫子は敵を良く観察し、相手の気持ちを洞察する事を説いているが、これは日本で言えば坊主の修行と何ら変わりない。坊主は和尚の気持を洞察しなければ叱られるし、良く観察していなければ和尚の気持も分かりようがない。孫子は敵を倒すために相手を良く観察し、坊主は和尚の機嫌を取るために良く観察する。孫子の兵法は、日本の見稽古に通じるところもあるのである。

仕事でも、下の一番の仕事は上司の機嫌を取る事と言われる事がある。上司が機嫌が良ければ、仕事を教えてもらえたり、お酒をおごってもらえるが、機嫌が悪いと八つ当たりされるだけだからだ。だが、寺の坊主のごとく見稽古するなら、知らぬ間に色々できるようになるという事が分かるだろう。人は上司の機嫌を取っているだけで、一人前になってしまうのである。そして、上司の機嫌をとれるようになると、要領は同じである。お客さんの機嫌も自然ととれるようになる。使える人間になるのだ。

2017年10月24日火曜日

孫子の兵法 行軍編その3

3、近づいてはならぬ地形

孫子曰く。「およそ地に絶澗、天井、天牢、天羅、天陥、天隙あらば、必ず亟かにこれを去りて近づくことなかれ。吾はこれに遠ざかり、敵はこれに近づかしめよ。吾はこれを迎え、敵にはこれに背にせしめよ。軍行に険阻、潢井、葭葦、山林、蘙薈あらば、必ず謹んでこれを覆索せよ。これ伏姦の処る所なり。」



【解説】

孫子曰く。「およそ地に絶澗、天井、天牢、天羅、天陥、天隙があるなら、必ず速(亟)やかに離(去)れ近づいてはならない。自軍(吾)はここから遠ざかり、敵がこれに近づくように仕向けると良い。そして、近づいた敵を向かい撃ち(迎)、敵の背後にこれらの地が来るようにする。行軍する際は、険阻、潢井、葭葦、山林、蘙薈があるならば、必ず良く調べる(覆索)。ここが敵の伏兵(伏姦)が潜む場所となる。」




結論を言うと、絶対的に不利となる地形がいくつかあって、そこに敵を誘うと勝ちやすいという話をしている。イメージとしては、絶対的に不利な地形に敵を押し込むであるとか、敵の逃げ道をそこだけにするといった話となろう。絶対的に不利となる地形と自軍で、敵を挟み撃ちにすると勝ちやすいと、孫子は言っている。

敵より有利な場所を確保する方法は2つある。一つはより有利な場所を見つけて、敵より早く占拠する事。もう一つは、敵をより不利な場所に追い込む事である。今回は後者の説明をしている。例えば、落とし穴に腰まで入った敵と戦う事や、溺れた者と戦う事を想像して欲しい。容易く勝てると思わないか?

また、行軍する際の注意点については、人が隠れられそうな場所はしっかり調べろという事だ。人が隠れられるなら、そこに伏兵は潜んでいる。そういう心掛けが大切だという事に尽きよう。戦争は騙し合いであり、戦争の勝敗を決めるのは大概はスパイである。そのスパイに情報を取らせない事はとても大切なのである。なお、織田信長は上杉謙信にスパイを幾人も送ったが、一人も帰ってこなかったという逸話がある。上杉謙信がどう判別していたのかはさておき、名将はスパイ対策もしっかりしているのだ。以下、孫子の指摘している様々な地形について説明しておく。



その1、絶澗

絶壁に囲まれた谷間の事。



その2、天井

深く落ち込んだ窪地の事。




その3、天牢

山や川で作られた天然の牢獄。



その4、天羅

草木が密集し、行動が困難な場所。



その5、天陥

湿潤の低地で、通行困難な場所。




その6、天隙

天然の隙間の事。




画像をつけたが、間違っているかも知れない。イメージの補完として、役立てて欲しい。だが、こういった場所に追い詰められれば、例えば弓などの飛び道具も撃ちやすいし、今なら手りゅう弾等の良い的だろう。相手を不利な位置に追い込む事も、地の利となる事を確認したい。有利、不利は敵との相対的な問題なのである。



その7、険阻

地勢の険しい様の事。





その8、潢井(こうせい)

池や窪地の事。



その9、葭葦(かい)

芦原の事。


その10、山林



その11、蘙薈(えいわい)

背丈の高い草木の事。




画像のような場所は、スパイが潜みやすい。だから、スパイがいる前提で良く調べなさいと、孫子は言っている。戦争の勝敗は、戦争をする前の情報戦で決まる。風林火山陰雷の言葉にある通り、まるで暗闇のように何も分からない軍が理想という話を思い出して欲しい。知り難きこと陰のごとしだ。

仕事で考えて見よう。孫子は自軍が不利になる地形からは速やかに離れるのが良いと、様々な地形を紹介しているが、これは人間関係で言える事だ。いつも愚痴ばかりの人からは速やかに離れたほうが良いし、いつも悲観的な暗い人間とは一緒にいないほうが良い。不平不満だらけの人はどうだ?悪口が好きな人はどうだ?嘘をつく人間はどうだ?こういう人間が、孫子が言う不利な地形であろう。危うきに近寄らず、触らぬ神に祟り無しである。

では、どういう人と一緒にいたら良いか?勿論、いつも笑顔の明るい人である。考え方がポジティブな人である。愚痴など言わない人である。孫子流に言えば、地の利が得られると言えよう。