2016年6月13日月曜日

隠しぼめ

隠しぼめと言う話がある。一言に褒めると言っても、良い事を良いと言うだけが能では無い。良い事を良いという時に、あえて良いと言わずに褒めるのも粋だ。例えば、一緒に仕事した人に、貴方の仕事は本当に素晴らしいと褒めるのも良いが、そう言わずに、貴方とはまた仕事がやりたいと褒めるのも良い。この後者が隠し褒めだ。褒め方も色々バリエーションをつけられると、コミュニケーションの幅が広がる。恐らく、隠しぼめのほうが粋だ。どうせなら、恰好よく褒めたいと思わないか?

なお、この話は渥美清の話からの引用なので、隠しぼめと検索すると色々でてくる。自分はそちらのブログほど上手く説明できなかった。また見たくなるブログに出会えるだろう。




---- 以下、余談 ----

例えば、敵対しているグループがあるとしよう。敵の親分に対し、あいつが居てくれて助かると言えば、敵の親分にとってはマイナスに働くかも知れない。敵が褒めている親分では不味いと考えるのが普通だからだ。あいつが居なくなったらチャンスと言えば、敵はその親分を必死で守るかも知れない。敵が嫌がる親分は、頼りがいのある親分である可能性が高いだろう。コミュニケーションも、自分の立場によって色々だと思う。

実際はこんなに単純じゃないにしても、敵の親分を助けたい時は、嫌がってあげれば良いというのは面白いじゃないか。話は変わるが、国際政治を見る時も、こう言った事に注意すると見え方が変わるかも知れない。


2016年6月12日日曜日

あとから来る者のために

「 あとから来る者のために 」  作 坂村真民

あとから来る者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ

あとから来る者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ

あとから来る者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ

ああ 後から来る者ために
みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分でできる何かをしてゆくのだ



【感想】
良い詩だと思う。心に来るものがあった。この詩の途中、しんみんよお前は詩を書いておくのだという部分があるが、見事だ。確かに、この詩から自分は受け取るものがあった。自分は生きてきて、後からくる者のためにと考えた事は無いが、先人から受け継いだものを、後に続くものにしっかり伝えるのは美しい行為のように思う。

この詩を取り上げようと思ったのも、最近趣味の歌を歌っていて思う事があった。村下孝蔵の初恋という曲をラジオで知って、いい曲だと検索にかけたら、村下孝蔵が死んでいる事を知った。その時、自分がこの歌を大事に歌ってあげると思ったのだ。この世を旅立った村下孝蔵に、貴方の歌はまだ生きているぞと言ってあげたい。



---- 以下、余談 ----

ラジオを聴いていたら、ビートたけしの言う馬鹿野郎この野郎は、師匠の深見千三郎譲りである事を知った。深見千三郎は何を言うにも、最初に馬鹿野郎この野郎と言ってから話したそうだ。その癖がビートたけしに移ったとかなんとか。この話を聞いて思ったのが、これは恩返しだなという事。深見千三郎は死んだ。でも、彼はビートたけしの口癖の中で生きている。師匠の口癖を弟子が真似をすることで受け継ぐ。師匠は死んだが、今も口癖のなかで生きている。何とも粋じゃないか。


2016年6月11日土曜日

正直が何故大切か?

正直は大切だ。理由は正直なほうが信用できるにつきるわけだが、特殊な状況を考えて見る。例えば、政治家などを考えて見よう。彼らにはたくさんの利害関係者がいるし、そこから政治資金の援助を受けたりしている。利害関係者にしても、政治家にお願いした事が一筋縄でいかない事は分かっている。だからこそ、政治家に何があっても約束を守ってほしいという気持ちが強くなる。これが、実質的な意味での正直が好まれる理由だろう。

何があっても言った事を守るという信念はとても重要だ。



---- 以下、余談 ----

穿った見方かも知れないが、思いついたので書いてみた。単純に、正直のほうが分かりやすくて親しみが持てると言うのが筋かも知れないが、ユニークさを出してみた。


2016年6月10日金曜日

自己肯定感を作る。

自己肯定感が大切な事は自明の理だが、どうやったら自己肯定感を作れるだろうか?そこが問題だ。自分は駄目だ、自分はできない等自己否定ばかりしているより、毎日自分は最高、自分はできると言ってる人のほうがゲンが良いのは間違いない。ならば、どうやったら自己肯定型の人間になれるかを考えるべきだろう。

まずは、脳みその錯覚を利用すると言うか、自己暗示というやり方がある。例えば、いつもできる、できると言っていると、脳みそが勝手に自分はできると勘違いする。脳みそは錯覚でできている不安定なものなので、その不安定さを利用して意識改革してしまうのだ。出来ると言えば出来る、出来ないと言えば出来無い。脳みそは単純だ。

次は、できるイメージが出来るまで考えると良い気がする。不思議なもので、できるイメージさえできれば心はプラスに転じる。できるか、できないかと悩んでいる時は、できるイメージができるまで考え続けよう。イメージさえできてしまえば、心は安定するだろう。イメージ上の事でさえ、脳みそでは実際の経験値として蓄積されていくので、考えるのは全く無駄にならない。重要なのは、できないイメージのまま考えるのを止めない事。


2016年6月9日木曜日

自分の姿をみて復習しているか?

何をするにも、自分の姿を例えば鏡に映して見るのは基本となる。その姿を見て反省は誰でもするように思う。鏡を使って自分を見る癖がついている者なら。ただ、褒める事をしている人はどれくらいいるだろうか?思うのだが、鏡に映った自分の動きを見たときは、反省は勿論として、褒める事を多くしたほうが良いかも知れない。

人間は褒められて伸びる。自分で自分を褒めても、脳みそでは1人称と2人称の区別がつかないため、誰かに褒められていると同じ効果が得られる。この際、鏡に映った自分を見て、褒めまくれば案外成長も早いのでは無いか?

自画自賛は正義と言っておこう。

2016年6月8日水曜日

近くで面白い事が起きる方法

身の回りで面白い事だけが起きれば幸せになれるが、現実にそうする方法があるだろうか?今回はそういう話を考えて見る。人間だれしも、身の回りで起きる事には大差無いだろう。朝起きて、ご飯を食べ、仕事して、夜寝る。この繰り返しなのだ。でも、今日は面白い事があったんだと言う人もいれば、今日はつまらないと愚痴をこぼす人もいる。この差はどこで生まれるのか?

思うに、説明能力の差では無いか?つまり、究極的には何でも面白く説明できる人がいて、その人ならば身の回りで面白い事しか起きない。物事を面白いように説明できる能力にこそ、身の回りを面白い事で固める鍵があると思う。具体的には、常に面白い事を探しているうちに身につくとなるが、身の回りがつまらない事ばかりと思うなら、自分の説明能力を疑ってみるのも良いかも知れない。

箸が転んでも面白い年頃という言葉があるが、思春期の彼女らにすれば、箸が転んでも面白い理由がある。それを彼女らは説明はできない。でも、笑うからには、その理由が必ずある。それを説明できる人ならば、何でも面白いという世界で生きられるのだ。

2016年6月7日火曜日

知らない事を大切にする。

知らないからこそ、浮かぶ発想がある。

知ると、知らない頃の発想ができない。

世の中知らない人ばかり。

知っているほうが良いと思いがちだが、

知らないほうが都合が良い事も多い。

知らない人の気持が分からなければ、

知らない人が何を欲するか分からないだろう。

自分の無知を嘆く事があったなら、

無知だからこそできる発想を大切にすると良いかも知れない。

無知は大多数の気持になれる大切な時間なのだ。