2016年6月6日月曜日

傲慢という毒

銅像を足から頭まで作ると、必ず滅びると言う話がある。どこの指導者かは伏せるが、歴史的に見ると、銅像を足から全身つくった指導者は全員滅びているのだとか。もし、貴方が銅像を建てようと思うなら、胸から上だけにしとけとあった。

人間、傲慢になるのが一番良くないのだが、どうも銅像を全身で作る行為は、人間が傲慢の極みに達した時にするようだ。そのため、銅像を作った後、周りを横柄に扱ったり搾取を重ねて反感を抱かれる。そして、傲慢がたちが悪いのは、際限がないという事だ。一度傲慢になると、次はもっと傲慢になり、それを繰り返すうちに滅びるまで行く。

この話が自分を見直すキッカケになれば嬉しい。反対に謙虚は最高だそうだ。謙虚な心で過ごせれば、必ず運も向いてくるだろう。

2016年6月5日日曜日

最高の学歴とは?

大きく成功するためという条件付きだが、最高の学歴は大学中退なのかも知れない。カーネギーも富豪になる条件の一つに大学を中退している事を上げているし、スティーブジョブス、ビルゲイツ等の例が実際にある。最高学府の人材が優秀なのは知っているので、否定する気は無いが、そのトップから大富豪が生まれないのは興味深い。

では、何故大学中退の人から富豪が生まれるのか考えて見よう。まず、大学中退という事で、ストレートに良い就職先にありつけない事が要因のように思う。そのため、彼らは自分で起業するなり、道を自分で切り開く事を強制的に迫られる。普通には周りから受け入れてもらえないため、どうやったら受け入れてもらえるか試行錯誤し、その事が彼らを大学卒業者より強くしてしまうのでは無いだろうか?人は失敗する事で成長していく。

また、大学中退は大学で学ぶ事がなくなったからというケースも考えられる。大学在学中に起業したく、大学にいる時間が惜しくなって中退に踏み切る。このケースは大学そのものを学ぶ場所と完全に割り切っているし、自分で道を切り開く意思が強いため、富豪が生まれやすそうではある。

富豪とまで突き抜ける人がでるには、時代が変化しないと無理と言うのもあるかも知れない。学校教育はその時代で良いとされる事を教えているので、時代の変化に対応しづらい。そのため、学校教育で優秀だった場合、知らず知らずのうちに時代の変化に対応しづらくなっているのかも知れない。時代が変わったとき、活躍するのは劣等生だった者だとすれば、大学中退者が時代の変化に乗りやすいのかも知れない。

と、3つほど書いてみたが、大学を卒業する事が悪いわけでは無いので、大学卒業者は大学中退者から富豪が生まれる理由を良く分析する必要があるかも知れない。変な話だが、大学卒業者が大学中退者から学ぶことが多いのだろう。大学中退者にあって、大学卒業者に無いもの。それが大事だからこそ、大学中退者に富豪が生まれるのだから。逆に考えれば、それさえ盗めれば大学卒業者のほうが動きやすい分、勝ちやすいかも知れない。

学校教育は記憶力を問われやすい。時代が変化する時、記憶力より対応力や発想力が試される。そこらへんが鍵か?富豪まで行くには攻めの姿勢が大切となる。大学卒業者はどうしても守りに入ると言うのもあるか?大学卒業者の富豪も多いだろうから、中退が良いと一概に言えないが、恐らくイメージより中退は悪くないと思う。




2016年6月4日土曜日

おみやげ

ラジオを聴いていたら、お土産はそこにしか無いものだから、価値がでるという話をしていた。言われてみれば、そうかもしれない。お土産をもらったとして、近くのスーパーで売っているものだと有難みも半減するし、異国情緒的な感じも全くないので、旅行に行ってきた雰囲気が伝わってこない。確かにラジオの言う通り、お土産にそこにしか無いという条件は大切なようだ。

ただ、今東京ではどこの物でも売っている。沖縄のものもあれば、北海道のものもある。沖縄に行かなくても沖縄の物が手に入り、北海道に行かなくても北海道名物が手に入る。とても便利になったとも言えるが、沖縄へ行くメリットや、北海道にわざわざ旅行するメリットが薄まったとも言える。事、物質的な意味では行く理由が全くないのだ。

旅行で大切な事は異国情緒的な感覚では無いだろうか?どこか別の世界に来たような感覚こそ求められるように思う。どこに行っても同じ街並みでは、わざわざ旅行するメリットはどこにあるのだろう?沖縄でしか買えないもの、北海道でしか買えないものを輸出するのも結構だが、そこでしか買えないという部分をもっと大切にしても良いかも知れない。少なくとも、観光客はそれを求めている部分があるのだから。




---- 以下、余談 ----

昨今は観光立国などと騒がれたりもするが、観光立国するうえで最も大切なのは異国情緒では無いだろうか?海外の人が日本で生活しやすいように日本語以外の表記を加えるも一つの手だが、逆に日本に来たら日本語のみも異国情緒として重要だ。海外の人は日本に来て、海外と同じように生活出来る事を望むだろうか?

貴方はアメリカへ行けば、アメリカらしさを求めるだろうし、ヨーロッパに行けばヨーロッパ特有のものを求めるだろう。そうでなければ旅行する理由がない。それと同じ事を海外の人は日本に求めるはずだ。日本に来たら、日本らしさをとことん見せてやるのが、本当に喜ばれる事のように思う。

グローバリズムが叫ばれるが、グローバリズムだからこそ、日本文化をより発信するのが本来の姿となろう。海外の人が求めている日本像でなくて、どうして海外の人が日本に来てくれようか?観光立国は日本文化を大切にして初めてなされるのだ。日本でしか味わえないものを提供する事が急務ように思う。

文武両道

文武両道と言うと、現在では勉強も出来て、スポーツ万能である人を指す言葉となっているが、どうも本来の意味とは違うらしい。文武の文は、勉強だけでなく、芸事も含む概念らしく、文武両道とは武術に通じ、頭脳明晰、芸術にも長けた何でもできる人を指すようだ。スポーツだけでも駄目、勉強だけでも駄目、遊ばなくても駄目と言うのが面白いではないか。現在は遊びの部分が意味から消えているので、読者自身が意味を補うと良いだろう。

武に限らず、運動はある時から文を必要とする。1位になるなら、やみくもに運動するだけでは足りなく、どういった動きが最も効率良いとか、どれくらい運動して休息をどれくらいとったら最高能率になるかを考えたり、食事にも気を使わねばならない。運動は最初はやみくもにすれば良いのだが、1位を目指すならば学問が必要になる。

学問にしても、机の前にずっと座っているより、体を動かしたほうが頭が良く働く。運動のやりすぎは効率を落とすが、適度な運動ならば学問の質を高めるのだ。健全な体に健全な精神が宿ると言うように、まずは健全な体が基礎となる。学問をしっかりするにも、病気がちでは能率が上がらないのだ。

文武両道。文と武は車の両輪。文が武を助け、武が文を助ける。両道と言うが、両道だと凄いという事では無く、両道が一番効率も良い事に気づくと世界が広がるのでは無いだろうか?自分は勉強だけやりたいから、自分は運動しかできないと言うのでは、文武両道の本質を理解してない意見となるので注意して欲しい。何でも一生懸命やる。それが単純明快な本筋だ。できる、できないが問題になるなら、勉強の能率をあげるために運動を一生懸命すると考えよう。運動の能率をあげるために勉強すると考えよう。それが文武両道という事。

2016年6月3日金曜日

一芸は道に通ずる。

一芸は道に通ずると言う。一芸に秀でた者は何をやってもそれなりにこなすと言うのだ。思うに、妥協のラインが変わるからでは無いだろうか?一芸に秀でた者は、その芸に関しては妥協をしてない。その芸の水準で他の事も見るため、一芸に秀でた者は何をやってもとなるのだろう。一芸に秀でた者はこれでいいやというラインが高い。

また、一芸に秀でる者は常にどうやったら上手くできるかと考える癖がついている事が多い。何をやっても上手くなろうと考えるため、それなりの処までは辿りつくのだ思う。一芸に秀でるまでには色々な事がある。途中でやめたいと思う事もあっただろうし、稽古がきついなど何かと忍耐を必要としたはずだ。それらに打ち勝ったという経験もプラスに働いているはずだ。

まずは一芸を磨け。一芸を頑張れば、他はついてくる。一芸を秀でる過程で得られるものは大きい。

2016年6月2日木曜日

人間の理想像

Charaのやさしい気持という曲を聴く機会があって、歌詞に気になる部分を見つけた。彼女は歌の中で、貴方の理想がいい加減な男としてもと歌っている。第1感としては、Charaは男運が良くないのかなと言った処だが、この男の理想像と言う話は考えた事が無かったので興味を惹かれた。

男としての理想像、もっと言えば人間の理想像とは一体何だろうか?自分は福の神こそ理想だと思う。周りに福をばらまくような人間が一番では無いか?情けは人のためならずと言うが、福の神なら自然とそうなるように思う。福をばらまき、結果福が返ってくる。まさに理想的で理に適っているでは無いか。こんな事を思いついたので、ここに書いておく。



---- 以下、余談 -----

Charaはいい加減な男の愛を自分が独占したいという気持ちを、やさしい気持という曲で歌っているように思うが、いい加減な男にこそ惹かれる女心と言うものがあるのだろうか?いい加減な男とは、モテる男であろうから、モテる男の愛を独占したいというのは分からないでも無いか。自分は歌を趣味にしているので、歌の世界観を自分なりに作る過程で、こう言った事がすごく気になる。好きな男の愛を自分だけの物にすると試行錯誤するのは、恋愛の醍醐味と言えば醍醐味か?さて、真実は?

2016年6月1日水曜日

深山の桜

深山の桜と言う話がある。深山とはその字の示す通り、山深くにある場所の事だ。深山の桜とは、普通は人が通ら無い山奥にある桜を言う。人が通らない場所にあるため、桜が大きく育つまでは誰も気づかない。だが、大きく育てば、誰かが見つけるものだ。一度誰かが見つければ、最初そこは隠れ家的な花見スポットになり、時間がたつにつれ口づてで桜の綺麗な場所があると噂になっていく。噂が広まるにつれ、深山の桜見たさに道が作られ、作られた道の回りには店ができる。深山の桜という山奥の存在だったはずのものが、その美しさから街を作るまでになるのだ。

この話は、実力さえあれば、周りがほっとかない。何はともかく実力を蓄えろという話として語られる。もし今、功を焦っているなら、自分を見直すキッカケになれば幸いだ。田中角栄も、功は焦らなくても良い。自分に実力がありさえすれば、運が必ず回ってくると言っている。必ず出番はくる。それまで淡々粛々と実力をためると良いだろう。後は運だ。考えてもしょうがない。