2016年5月31日火曜日

出来るだけ良いラベルを貼ろう。

世の中は、どのラベルを貼るかによって変わるという話がある。例えば、誰に対しても優しい人と言えば聞こえが良いが、八方美人と言えば聞こえが悪くなる。自分には何も無いと落ち込めばネガティブになってしまうが、もう失うものは無いのだし進むだけと思えばポジティブに変わる。要はどのラベルを貼るかという話。

実際は良い事も悪い事もない。自分が良いと思っている事と、悪いと思っている事があるだけ。もし、悪いと思っている事があるなら、もう一度ラベルを貼りなおしてみてはどうだろうか?まず、その事を客観的に事実のみを捉える。次に、その事から起きるメリットとデメリットを考えて見る。貴方がその事を悪いと思っているなら、デメリットのほうに注目しているはずだ。メリットに目を向けて見よう。恐らく、この状況は捨てたもんじゃないとできる。

チャンスとピンチは紙一重。チャンスのラベルを貼るか、ピンチのラベルを貼るかの差に過ぎない。お調子者な訳じゃない。みんなの雰囲気を和ませようとしているだけ。病気になって不幸なわけじゃない。病気になったおかげで健康の有難みに気づけた。業界の淘汰が始まった。ライバルを消すチャンス。要はどのラベルを貼るか。

これが理解できると、プラス思考、マイナス思考の他に、TV新聞などの情報もラベル貼という事が分かるようになるし、自分でラベルを貼れるようにもなる。ニュースのラベル貼をネガティブにとれば陰謀論、ポジティブにとれば公正妥当な情報。事の善悪はさておき、自分でラベルを貼ると世界が広がるように思う。お試しあれ。

2016年5月30日月曜日

イチゴの先だけを食べる人

ラジオからイチゴ狩りの話を紹介する。イチゴ狩りでイチゴの先だけ食べる人が増えているらしい。どうも、イチゴの甘味は先にあるようで、甘い処だけ食べて他は捨てる事をしているようだ。食べたいように食べるのが一番良いと言いたい処だが、甘いも酸っぱいも合わせてイチゴのように思う。甘い処だけ食べると得した気分になるのだと思うが、果たして本当にそうだろうか?

イチゴの甘さは酸味が引き立てる。甘い部分だけを食べては、イチゴの醍醐味と言うか、イチゴに本来備わっている甘味の美味しさを感じる事は出来ないだろう。酸味あってこそのイチゴなのに、その酸味を味合わないなんて、何て勿体ない事をしているだろう。

酸いも甘いも嚙み分けるという言葉があるが、酸いを知っているからこそ、甘いの本当の美味しさが分かる。甘いだけを味わっては、本当の美味しさは分からない。その事に気づいていない分、甘い処だけ食べ、他を捨てる行為は実は損をしていると言えよう。




---- 以下、余談 ----

見方によっては、イチゴの先だけ食べて他を捨てると言う行為は、食べ物を粗末にする行為だ。食べ物を粗末にしない人と、食べ物を粗末に扱う人がいたとして、一つだけ言えるのは、食べ物を粗末にしない人は周りの人も大切にする可能性が高いと言う事。自分はイチゴの先だけ食べるなんて許せないと言うほど潔癖症では無いが、食べ物を粗末に扱わない事は信用に繋がるのも知っておきたい。


2016年5月29日日曜日

限界を知る方法

誰しも一度は疲れてもう限界だと口走った事もあるかと思う。部活動の練習がきつくて、仕事が過密すぎて、ついつい限界という言葉が出てしまう。珍しい光景では無いが、だけど、本当に自分の限界を味わった経験はあるだろうか?今回はそういう話を紹介する。

ボディビルダーの世界では、一番最初にしなければならないのは己の限界を知る事と言う話がある。筋肉は限界まで鍛えた時に、超回復と言って、休息時にそれまでの能力を超えた回復をする。限界までトレーニングするから、筋肉は大きく育っていくわけだ。限界を味わうほど体が成長してくれるため、どこまでやったら限界なのかを各競技者は模索していく事になるが、これにはある程度の目安がある。

それはオーバーワークだ。オーバーワークと言って、トレーニングしているのにも関わらず、筋肉が小さくなっていったり、気持ちが不安定になっていく現象がある。これが人間が限界をきたした時のサインとなる。これを積極的に利用し、自分の体はどの程度までトレーニングしたら限界になるのか、身をもって知る必要があるのだ。人間の体は個人差があるため、テキスト通りでは本当の限界が分からない。自分の限界を正確に知るのは大変だが、限界までトレーニングをした時に最大限の効果が発揮されるため、一度体を壊してでも知る価値がある。己の限界を良く知っている者こそがチャンピオンの資格を得るわけだ。

この話が限界について考えるキッカケになればと思う。個人的には限界だなんて軽く言ってはいけないなと思うと同時に、アスリートの凄まじさを感じる。チャンピオンは限界のコントロールによって生まれるわけだ。限界を知るために自らの体を壊す。狂気と言えるかも知れない。


2016年5月28日土曜日

言霊

ある田舎に暴れてばかりの不良がいた。その母親は我が子の行く末を思うと気が気でならず、ある有名な占い師を訪ねたと言う。占い師は言った。お前の子は将来ヤクザになるであろうと。母親はその言葉にショックを受けたが、自分の胸にしまい子にはこう言ったと言う。占い師にお前を占ってもらった処、お前は大層出世するらしいよと。

暴れてばかりだった不良はその言葉に大変気を良くし、田舎から東京にでて、職人として修行を積んだ。そして、末は会社を作って大成功したと言う。これは、ヤクザになると言われた手を付けられない子供が、母親の暗示によって全く別の道を歩み成功したという話。母の言葉が言霊となり、息子を助けたのだ。



---- 以下、余談 ----

上の話は占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦という話だが、言霊という話でもある。日本には言霊と言う言葉がある。話した言葉には霊が宿ると言う。言った事が実現しやすいのは、言霊のお陰なのだ。話した言葉に霊が宿るなら、良い言葉だけを選び話したいものだ。上の話は母の愛を示す良い話だと思う。占い師の言った事をそのまま伝えなかった処に、この母親の愛を感じる。

占いは当たるものでは無い。当てるもの。いや、当てさせるものなのだ。



2016年5月27日金曜日

天才の条件

天才は一瞬のきらめきでは無い。

天才は継続できるという事。

10年やれば偉大。

20年恐るべし。

30年道となる。

50年神のごとし。

継続こそが天才の条件。




---- 以下、余談 ----

羽生善治と、中国の格言を合わせて見た。継続は力なり。誰もがアッと驚くひらめきや、きらめきに目を奪われがちだが、淡々粛々と継続できる能力こそが天才を作り上げる。ひらめきや、きらめきには華がある。でも、それは一瞬だ。頑なに同じことをするというのも、一つの才能という事だろう。そして、その才能こそが天が与えた本当の才能なのだ。

同じことを続けるのは、存外難しい。同じことを続ければ、必ずマンネリがやってくる。そのマンネリをちょっとした工夫で解除しながら、同じことを時間をかけて練り上げていく。その完成度足るや、一朝一夕で賄えるものでは無い。それが他人からは天才に見えるわけだ。

2016年5月26日木曜日

一流は臆病

意外だが一流になるほど臆病になる人が多い。一流は実力があるため堂々としていて、まさか臆病には見えないわけだが、その心情としては臆病なものと言う。人間は視野が広いほど、臆病にもなる。普通は考えなくても良い、もしくは考えられない可能性が頭をよぎると、そうなったらどうしようとなるわけだ。石橋を叩いて渡るという言葉があるが、視野が広くなると、勝手に石橋をたたき始める。結果、臆病になるわけだ。

人は自分を基準に相手を見る。一流の人は気遣いも一流であることが多いと言うか、大抵は上の者に引き上げられて一流の地位にあがるため、気使いにも五月蝿い。気使いに五月蝿い人が、相手を自分を基準に見た時、相手も同じ基準で気遣いを必要としていると考えやすく、そのため、細心の心地になってしまうわけだ。

もし、自分が相手に対し臆病になってると思う時があるなら、それは大よそ成長の証だ。一流になるほど、見えるものが増え、人は臆病になって行く。臆病は人の成長を計るバロメーターかも知れない。

2016年5月25日水曜日

体を動かすと、頭が良くなる。

事、ひらめきという意味だが、体を動かすとひらめきが生まれやすいという話がある。何か新しい事を考えようとしても、そうそう思い浮かぶものでは無い。だが、歩いたりするだけで、不思議と新しい発想が浮かぶものだ。読者も、もし頭が停滞するような事があれば、歩くと良いだろう。アインシュタイン等有名な学者のお墨付きの方法だ。試す価値くらいはある。

フィクションの世界では、頭の良い人は勉強のみのガリ勉、スポーツ万能の人はスポーツのみで頭は良くないというイメージが作られやすいように思うが、それはキャラクターを立てるために作られたイメージに過ぎない。実際は体を動かすと頭も良く働くようになるため、頭脳明晰、スポーツ万能こそがあるべき自然な姿となる。一流スポーツ選手が頭も良い事も多いのは、偶然ではないのだ。