2017年8月30日水曜日

般若心経の解説 その3

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

「色は空に異ならず。空は色に異ならず。色は即ち是(これ)空なり。空は即ち是(これ)色なり。」という訳になる。訳から漢字を見れば納得いくだろう。この部分は、色と空は同じであるという事を4つに分け説明している。(色=空)

では、色とは何か?空とは何か?という事になるが、両方とも字のままの意味だ。色は、色のついている物の事であり、空は空気の事と捉えて良い。と言うのも、お釈迦様は人を見て法を解けと言った先生であり、誰にでも分かるように説明する事を尊ばれた方だ。その先生を祖とする仏教の経典が、理解しづらく作ってあるはずがない。つまり、字のままのイメージで良い。

般若心経が難解と言われる事があるのも、色や空が何か特別な事を言っていると思えてしまうのも、昔は難しい事を有難がる風潮があったからだと思われる。理解できないものを有難く奏上するのが坊主の腕前という冗談も言われた時代があり、誰にでも理解できたら誰も有難がってくれないと考えられたため、般若心経は難しいというイメージが定着したのだろう。実際の般若心経は理解しづらくは作られてないため、お経の字のまま素直に受け取っていけば理解できるように出来ている。


色 = 色のついているもの 
空 = 空気






さて、色と空の解釈が分かったとして、色と空が同じとは変な事を言うと思わないか?色のついているものと、色のついていない空気が同じとはどういう事だ?その答えは質量保存の法則にある。

例えば、鍋にいれた水を沸騰させれば、いずれ鍋の中の水はなくなる。しかし、本当に水はなくなったのだろうか?水は確かに鍋の中からは無くなった。だが、水は湯気となり、空気中に湿気として分散しただけで、水そのものが無くなったわけでは無い。人は湿気となった水を空気としてしか認識できないがために、鍋に入っていた水がなくなると、水がなくなったように感じるだけなのである。空気中も含めた全体としての水は一切減っていないのだから、これにて質量保存というわけだ。

色と空が同じと考える時のポイントは、湿気となった水は人間は空として認識しているという事だ。水は色として認識するが、湿気となった水は空として認識する。同じ水なのに関わらず。空気中の水分と、コップの水に差はあるだろうか?人間が水として認識できているかの差こそあれ、同じ水である。

逆に考えて見よう。我々が普段飲んでいる水は、元をただせば空気中の湿気が暖められ上空で雲となり、雨となって降り注いだものだ。これを空という概念で説明すれば、空だったものが水となったと言え、我々が普段飲んでいる水はもともとは空だったと分かる。このイメージがとても大切だ。飲み水は般若心経では色と説明されるのだから、色は空が形を得たものと言え、空が形を得ると色と言われるとも言える。色と空が同じとは、つまりそう言うイメージだ。

空のなかに色がすでに存在していて、空が形を得ると色と呼ばれる事に気づけば、空と色に違いが無い事のイメージもつかめるだろう。(単純に空気中の水分とコップの中の水に差なんてないという理解で十分だが)

今回は水を例にとっているが、ありとあらゆる物は風化するわけで、ありとあらゆる物のなれの果てが空気中に舞っているが、それを人間は空気としか認識していない。ありとあらゆる物が水と同じ理屈で説明出来るために、色即是空となる。なお、この部分は般若心経で最も核となる部分であり、この空の概念をつかめたかどうかでその後の理解が変わってくるため、次回も引き続き説明する。




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