【外道問仏】
秋風や 涼しかりけり 散歩道
お地蔵さんを前にすると、人は色々なお願いごとをする。お地蔵さんはその言葉を見てひいきすることも無いし、無言だからと意地悪もしないが、ただ有るだけである。にもかかわらず、みな一様に安心し、手を合わせて去っていく。はたから見ていると、あの人は何を願ったのだろうと不思議に思うが、素敵な夢を見ているのさと誰かが言った。
1、経験値:1年~3年の場合
言葉でも沈黙でもないものと問うた外道は、世尊の座った姿に無心の存在を見たと解釈していた。自分が最初に無心に気づいたときに受けた衝撃を考えると、外道が讃嘆して去ったのも体験的にうなづける。また、無心は気づいてしまえば特に珍しい事ではないため、すぐにそんな話ならとも思った。この体験を阿難に質問の形で言わせてるのではないかと思う。外道の讃嘆と阿難の疑問は、どちらも初めて無心に気づいたときの感想と言う側面があるように感じる。世尊は阿難の質問に良馬が鞭影を見て走り出すようなものと答えているが、無心の状態は実生活において調度鞭影のようなものと解釈していた。
2、経験値:4年~5年の場合
当初、據座の據を拠り所として解釈していたが、座りなおす動作としたほうが筋が良い気がしてきた。
3、頌について
覚悟を決めるという言葉の意味を再確認できる。
4、感想
喝っ!!
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