2022年12月16日金曜日

無門関 覚書 11則、12則

 【11則】州勘庵主

相手のことだけを考える。すると自己を忘れる。これが無我であり、慈悲の勘所か?そして、自分のために生きるという感覚が希薄になっていくと、なるほど、故に縁起と言うのかという気持ちになる。「皆様の旅が良きものであることを心よりお祈りいたしております」と言う気持ちにもなり、これが般若心経の陀羅尼の心かという気がしてくる。

さて、11則に一言だけ。三千大千世界、と。






【12則】巌喚主人

何をしても同じと気づいてみれば、特にやりたくないこともなくなったが、同時に特にやりたいこともなくなった。では無味乾燥な世界になったかと言えばそんな事はなく、空や川を見てこの感じを道と言ってるのかな?と思ったりする。それは言葉にならないし、言葉にしようという気持ちも思い浮かばず、不立文字には文字を立てようとすら思わないというニュアンスがあるのかと思うくらいだ。この感覚は無心を軸に世界をとらえ直す事で得られたものなので、私の主人公は無心である。だが、軌道修正は必要である。お金があってもやる事を変わらないと思いつつも欲しくなる時は欲しくなるし、相手を優先すると心がけてはいるが自己が優先してしまう事もある。別にこれは悪い事ではないが、欲はうまくコントールしていかないと道を踏み外しやすいから意識するに越したことはない。何をしても同じという理屈の上では気にすることない話だが、実践の上では致し方ない事と思う。浮世の義理と言うべきか。この辺に彦和尚の工夫を感じる。無無明亦無無明尽と言うことなのだろう。

結論として、12則は「喝!!」と吹き飛ばしたくなるような話である。なお、「騙されてはいけませんぞ」とあるが、誰が騙すのか?それは思考である。こんなことを考えていると、夢と現実の区別もあったものではないなと思う。







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