初めからあった。
【感想】
今朝、朝風呂に入っていたとき、とてつもない愛情に包まれている事を実感した。感動して涙がでてきたので堪えたり泣いたりしていたら、声こそだしてないものの調度赤子の第一声のような産声をあげてしまった。なぜ天上天下唯我独尊が赤子の産声に例えられるのか、なぜ我々は仏心の中から産まれ落ちたなどと言うのか、なぜ慈悲が自然に生じなければ本物ではないなどと言うのか、体感した気がする。魔境かも知れないが素敵な体験であった。趙州無字における無門和尚の言う驚天動地の境涯は、自分がものすごい愛に包まれていたという実感のように思う。
香厳智閑は悟りをひらいたとき、あまりの喜びに師である潙山霊祐のいる方向を向き礼拝したと言うが、自分もその気持ちだけは分かり、自然と礼拝したくなり、礼拝させてもらった。よく教えてもらわないからこそ味わえた感動と言うが、仏心に包まれている実感はそもそも教えられないような気がする。ただ体感あるのみである。
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