2024年12月26日木曜日

無門関 33則 覚書

 【非心非仏】


温もりや ああ温もりや 温もりや   




 

北風や 寒そのままの 暖かさ






剣は無常、詩は無情、価値は無上のひとり旅。






1、経験値:1年~3年の場合

単に即心是仏を言い換えただけと解釈していた。即心是仏の心は無心の状態を指し、非心非仏の心は通例使われる意味での心であり、此方は思考を意味する。言い方の違いはあれど、どちらも無心の状態を表現していると考えていた。また、ここを見得すれば参学が終わると言うが、そもそも学んでどうこうと言う話ではない。



2、経験値:4年~5年の場合

空っ風 風を箒に ひと眠り

落ち葉なし ああ落ち葉なし 落ち葉なし



3、参学事畢

分かると言う言葉があるが、その字の使われ方を見てほしい。通例、分かるは理解するという意味でつかわれるが、理解すると本質から分かるから、分かるを理解するという意味で使うのではないか、もしくは理解することを分かると言うようになったのではないか。悟りは差とりと言う。分かっては足元をすくわれる。



4、頌について

人を見て法を説けという事だろうか。人には3分を説くのは、知識は分別そのものであるから。教えすぎては相手を悟りから遠ざける。また、悟りは理屈で教えられる性質のものでもない。分かったらその時点でおかしいのだから。指導の言葉どおり、行く先を指で指し示すくらいがコツと解釈してみたい。すべてを施そうとして相手を分かった気にさせてしまうと、それ以降話を聞かなくなるし、その分かったという意識が悟りの邪魔をしている事に本人が気づかない。害あるのみである。



5、感想

錯。




2024年12月20日金曜日

無門関 32則 覚書

 【外道問仏】


秋風や 涼しかりけり 散歩道



お地蔵さんを前にすると、人は色々なお願いごとをする。お地蔵さんはその言葉を見てひいきすることも無いし、無言だからと意地悪もしないが、ただ有るだけである。にもかかわらず、みな一様に安心し、手を合わせて去っていく。はたから見ていると、あの人は何を願ったのだろうと不思議に思うが、素敵な夢を見ているのさと誰かが言った。



1、経験値:1年~3年の場合

言葉でも沈黙でもないものと問うた外道は、世尊の座った姿に無心の存在を見たと解釈していた。自分が最初に無心に気づいたときに受けた衝撃を考えると、外道が讃嘆して去ったのも体験的にうなづける。また、無心は気づいてしまえば特に珍しい事ではないため、すぐにそんな話ならとも思った。この体験を阿難に質問の形で言わせてるのではないかと思う。外道の讃嘆と阿難の疑問は、どちらも初めて無心に気づいたときの感想と言う側面があるように感じる。世尊は阿難の質問に良馬が鞭影を見て走り出すようなものと答えているが、無心の状態は実生活において調度鞭影のようなものと解釈していた。



2、経験値:4年~5年の場合

当初、據座の據を拠り所として解釈していたが、座りなおす動作としたほうが筋が良い気がしてきた。



3、頌について

覚悟を決めるという言葉の意味を再確認できる。



4、感想

喝っ!!