2024年3月23日土曜日

龍神祝詞 その2

 【祝詞】


高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し給う龍王は    

大宇宙根元の御祖の神(御使い)にして 一切を産み一切を育て

萬物を御支配あらせ給う王神なれば 一二三四五六七八九十の 

十種の御宝を己がすがたと変じ給いて 自在自由に天界地界人界を治め給う

龍王神なるを尊み敬いて 真の六根一筋に御仕え申す 

ことの由を受引き給いて 愚かなる心の数々を戒め給いて

一切衆生の罪穢の衣を脱ぎ去らしめ給いて 萬物の病災をも立所に祓い清め給い

萬世界も御祖のもとに治めせしめ給えと 祈願奉ることの由をきこしめして 

六根の内に念じ申す 大願を成就なさしめ給えと 恐み恐み白す





【解説】

高天原 = 無心

竜王  = 無心の妙用



祝詞の奏上にあたっては、祝詞と一つになることに意義がある。祝詞と一つになっている状態、無心に祝詞を奏上している状態が高天原の具現化となる。



科学的には、竜を雷気の比喩と考えると良いかも知れない。人間の脳内で電気が流れているならば、この世界は電気の働きによって作られたと言っても過言ではない。



余談だが、聖書には神は自分に似せて人を創ったとある。その答えは人間が光だと考えるとスッキリするかも知れない。

人間 = 電気 and  電気 = 光  and  光 = 神 










無門関 23則 覚書

 【23則】不思善悪


菜の花や ああ菜の花や 菜の花や






明上座は衣が持ち上がらなかったと言うが、自分ならば持ち上がるのかを自問したいところである。


密語には秘密という意味のほかに、密だから密と言っているという意味があるように思われる。詮索しても分かるようなものでは無いという意味と、詮索するようなものでも無いという意味がある気がする。


観劇で例えるなら、言葉は後説である。後説だけ聞いて帰る客はいない。


気持ちが乗るという言葉があるが、乗っているのは何か?