2019年6月28日金曜日

八佾 第三 23

【口語訳23】

孔子先生が魯の楽長に語られた。音楽は、大方こういう物であろう。始めは鳥が羽をあわせて飛び立つように音が盛んになっていく。それが放たれると、音色は混じりけの無い絹糸のように調和がとれ、各楽器が織りなす世界は純白の絹のように明瞭となる。そして、糸を引くように続いて完成する。



【解説】



孔子の時代の音楽が残っていないらしく、今となっては孔子が何を言わんとしたかを直接感じ取る事は出来ない。だが、動画の音を聞くと、孔子が言いたい事も分かるような気がする。




【参考】

子語魯大師樂曰。樂其可知也。始作翕如也。從之純如也。皦如也。繹如也以成。

これが原文となるが、何故上の口語訳としたかを追記しておく。端的に言えば、漢字の成り立ちを直訳した。翕如の翕は鳥が飛び立つ様を表現した漢字であり、純如の純は混じりけの無い絹糸を表し、皦如の皦は純白と言う意味、繹如の繹は糸を引く様を言う。孔子は音楽をまず鳥が飛び立つ様に例え、飛び立ってからは絹の糸に例えたのでは無いかと推察した。



2019年6月24日月曜日

八佾 第三 22

ここからは書き下し文は省き、口語訳から入る。


【口語訳22】

孔子先生が管仲は器が小さいと言うので、ある人が尋ねた。それは管仲が倹約家という意味ですか?、と。先生が答える。管仲は3つの邸宅を構え、使用人にも仕事を兼務させない。どうして倹約家と言えようか、と。すると管仲は臣下の礼を知っていたのですか?とある人が尋ねると、先生が答えた。

国君の場合、門の内側に目隠しの塀を建てるのが習わしだが、管仲もまた同じく目隠しの塀を建てておった。国君の場合、諸侯同士の好みを深めるに、反坫という土製の台を設け、献酬の済んだ盃はそこに置くのが習わしだが、管仲もその真似をして反坫を設けていた。管仲が臣下の礼を知っているならば、臣下の礼を知らぬ者などおらぬわ。



【解説】

今回、孔子から非難されている管仲は、管鮑の交わりで名高い斉の名宰相の管仲である。言わば歴史上の偉人である管仲に対し、孔子は器が小さいと評価している事になる。歴史に名を刻むほどの名宰相を捕まえて器が小さいと言うのだから、孔子は中々攻めた事を言っている。さて、器が小さいと言われれば、通常、ケチな人間に器が小さい奴との評判が立つものだから、管仲はケチだったのかも知れないと考えるのは当然だ。そこで、ある人もそう考えたと言う話となる。しかし、ある人が管仲はケチだったのですかと尋ねてみると、尋ねられた孔子はそうでは無いと言う。管仲はケチどころか浪費家であり、邸宅は3つを構え、使用人には仕事を色々と兼務させるのが通例なところ、管仲は兼務をさせずに使用人を贅沢に使っていた、と。

では、管仲はケチな訳では無いとなると、その逆で、贅沢ぶりが度が過ぎていたのかとなる。例えば、昔は日本でも上司より良い車に乗ってはいけないと言うルールがあったりした。その手の輩は生意気な礼儀を知らずとなって、決して良い評価はもらえないもの。要はこれである。こう考えて見れば、ある人が管仲は臣下の礼を知っていたのかと尋ねるのも納得がいく。そして、それがビンゴだったと言うのが今回の話の流れとなる。国君は門の内側に目隠しとなるように土や板で塀を作るのが習わしで、管仲の階級では簾を置くのが通例であった。そこを管仲は国君の真似をして塀を作っっていた。国君同士の酒宴は反坫という特製の台を設けて行うが、管仲はこれも真似して使っていた。国君にのみ許された行為を行うのは、自らが国君と言っているようなもの。礼節を重んじる孔子からすれば、生意気な限りなのであろう。

なお、孔子が器が小さいと評する理由は、彼の虚栄心が鼻につくからだろう。逆に器の大きいと言われる人物は、きちんと相手の面子を立てるもの。例えば、道で昔の先輩に会ったとしよう。今は自分の方が出世して成功していたとしても、先輩の前ではおくびにも出さず、きちんと後輩の礼を尽くす。そういう姿を周りの人が見た時、カッコイイ人とか、相手を立てる人とか、器が大きいという評判がたつ。逆に、今は俺のほうが上だと威張っていると、嫌な奴とか、小さい奴となるもの。孔子が管仲を器が小さいと評するのも一理ある。



1、臣下の礼の難しさ

今回、孔子は管仲が臣下の礼を軽んじて生意気だと非難しているわけだが、管仲にしても、臣下としての功労を称えられて国君なみの待遇を許されているわけである。それを生意気だと言われても困るだろう。これを官僚としてみた場合、とても難しい問題である。と言うのも、国君が臣下に国君なみの待遇を匂わせる場合、臣下の謀反を疑っているケースがある。謀反を気にしているから、探りを入れるために、心にもない言葉で臣下を試すのである。うっかり鵜呑みにすると、疑われて殺されるのが官僚の世界である。こういう場合、暇を頂くのが生き残るための定石だが、管仲にはよほど力があったらしい。国君なみの待遇を享受してはばからなかった管仲は、裏を返せば、それだけ力があったという事が感じとれる。



2、政治的な側面

君子という立派な官僚を目指す孔子は、間違っても謀反を疑われてはならない。そういう視点で見ると、管仲を非難する孔子の発言には政治的な側面も考えて置きたい。つまり、孔子は謀反には興味が無いとも言っている。



【参考】