2018年3月19日月曜日

国歌・君が代の解説




日本国の国歌である「君が代」を自分なりに解説してみたい。


1、君が代は

君が代とは、つまりは天皇陛下の治世を意味しよう。では、天皇陛下の治世とは何かと言えば、要は親子の情愛をもって世を治めるという事である。天皇陛下は、戦後は誤解されている向きがあるが、天皇位は今上陛下個人を意味してはいない。天皇位は、日本神話で天照大神から日本を平和で豊かな国にするよう仰せつかった邇邇芸命を表し、代々の天皇陛下は邇邇芸命となり、日本を平和で豊かな高天原にする事を日々願われている。

どんな親だって、我が子の行く末を案じているもの。天皇陛下の統治、君が代のイメージはまさにそれであり、貴方が我が子を慈しむように、陛下は国民を慈しむ。これが日本の国体であり、君が代となる。




2、千代に八千代に

一言で言えば、悠久の時を意味しよう。日本では数字の八が末が広がる様から、末広がりの縁起の良い数字と考えられてきた。そこで、特に沢山と言う意味を表したいとき、末広がりの願いも重ねて八を多用する。他にも八百万の神という表現があるだろう。沢山の意味を示したいなら、百万でも、五百万でも良さそうなものだが、あえて八百万を選んでいるのである。




3、さざれ石の巌となりて



画像がさざれ石の巌となる。さざれ石は細石と書き、その字が示す通り小さな石の事だ。そして、巌は大きな岩を意味するから、さざれ石の巌は、長い年月をかけて、さざれ石によって作りあげられた画像のような巌となる。

この部位は、さざれ石を国民一人一人の事と思えば良いだろう。苦しい事があろうが、泣きたい事があろうが、国民が一丸となって日本を平和で豊かな国を作り上げよう。そういう願いを、さざれ石が風雪に耐え、雷に撃たれながらも大きな巌を作り上げる様に例えている気がする。さざれ石の巌は、世間の厳しさ、様々な困難を乗り越える事の比喩と思われる。そして、巌は日本の堅固さの象徴でもあろう。




4、苔のむすまで

むすは、生すの事だ。つまり、苔が生えるまでの意となる。国民が様々な困難を経て作り上げた日本国が亡びぬよう、これからも守っていきたいと言う願いが込められている。岩に苔が生えるには時間がかかる。平和で豊かな国を、苔が生えるまで守り続けて行くと言う決意の意味であろう。

また、日本では古来から生す事を大変に重んじてきた。生すは豊かな生命力を象徴する言葉であり、命から新しいものが生み出される様を言う。「苔のむすまで」は、日本国から溢れ出る生命力を表現したのだろう。なお、生すは産すであり、日本神話の始祖となる2柱の神、高御産日神(たかぎむすび)と神産日神(かむむすび)の産である。2柱の神が与えてくださる豊かな生命力を讃えた言葉である。




5、まとめ

親が子を慈しむように、君臣一体となり、日本を平和で豊かな国にしよう。艱難辛苦を乗り越えて、日本を高天原にしよう。そして、未来永劫守り続けよう。君が代とは、こういう歌である。






---- 以下、余談 ----

1、おにぎりを、おむすびと言ったりするが、おむすびとはお産日という事だ。日は霊とも書き、命を意味する。おむすびとは、米一粒という小さな命が、お互いに合わさりあい、大きな命を産むという意味。こう聞くと、さざれ石の巌と表現が似ている気がしないか?この辺の感覚に日本らしさの何たるかがある気がする。


2、ヘブライ語訳による「君が代」








------  仏教の立場からの考察  ------

君が代とは、つまるところ自分の世のことであろう。千代に八千代には、本来の自分(無心)は永遠の存在であると歌っている。さざれ石の巌となりては、さまざまな経験をすれど無心は変わらないことに気付けば、それは巌のように人間の軸がしっかり定まると解釈する。苔のむすまでは、軸の存在が定まったならあとはより自然に、より自然にである。その意識すらないほうが好ましいとする。


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